閑話 アネリという女の子
閑話をいっぺんに公開します。全三話です。
「ああ、愛しの我が子。貴女の名前は、アネリ。アネリよ」
美しい碧に染まる髪を持つ女性、アニス・ゼーレは、生まれた我が子を抱きながら、涙を流す。
アネリは、族長の血筋の女の子。
――――後に、アネリ・ゼーレの名を捨て、シェミーとなる、女の子だ。
これは、そんな女の子の話。
* * *
アネリは、アイオーンの王都から遠く離れた、小さな村で生まれた。
優しい父と、明るい母に囲まれ、何不自由なく暮らしていた。
時は流れ、アネリはすくすく育ち、10歳となった。
「お母さん、今日は何を教えてくれるの?」
小さな村に、学校なんてものがあるはずもなく、アネリは母であり、ゼーレ族の族長だったアニスに勉強などを教わっていた。
「そうねぇ……。今日はゼーレ族の勉強でもしましょうか」
「ゼーレ族って……。お母さんたちの……」
「ええそうよ、アネリ。よく知ってたわね」
アニスは、アネリに全くゼーレ族の話はしていなかった。
「村の皆が言ってたから。ゼーレ族であるアニス様のお陰で、今の我々があるんだって」
「大袈裟な……。助かってるのはむしろ私たちの方よ」
はあ、とアニスはため息を吐く。
ゼーレ族の里が潰れて、行き場を失ったアニスは、夫のブルースと王都から遠く離れた、知ってる人があまりいなそうな、小さなこの村にやってきたのだ。
「へー」
「だから、アネリ、村の皆さんに感謝の気持ちを持って接してね。彼らがいなかったら、貴女は生まれていなかったかもしれないんだから」
「わかった」
こくり、とアネリは素直に頷いた。
「じゃあ、ゼーレ族の話をしましょう。
ゼーレ族っていうのは、幻想魔法が効かず使えず、嘘を見抜く力を持つ、少し変わった一族なの。少数民族っていう奴よ。まあ、族長一族は特別で、幻想魔法が使えたけどね」
アニスの話を、真剣な表情で、聞くアネリ。
「で、その族長の一族が私。里を滅ぼしたのも私」
「え?」
母親の口から、衝撃的な言葉が次々と漏れた。だが、当の本人はそれを重大なこととしては捉えておらず、まるで冗談を言うような話し方だった。
「だから、貴女は族長一族の血を引いてるから、幻想魔法が使えるはずよ。まあ、ハーフだから微妙なところだけど」
「ハーフだと、力が落ちるの?」
「いい質問ね。答えは、イエスよ。ゼーレ族の血じゃないものが混ざるほど、ゼーレ族の力は弱まるわ。ハーフと純血じゃ、かなりの差が出るはずよ。それを、ゼーレ族の人々は恐れて、里に閉じこもったの」
呆れたように、アニスは言う。
「お母さんは、何でゼーレ族の里を滅ぼしたの?」
「そうしなくても、いつかは滅びたからよ」
「どう言うこと?」
「そのうち子供が生まれなくなって、ゼーレ族と呼ばれる一族自体が絶滅しちゃうの。まだ、アネリには難しいわね」
「つまり、遅いか早いかの問題だったってこと?」
「そういうこと。だから、私は里を解散させた。その方が、まだゼーレ族に未来があると思ったから」
アニスの話は難しすぎて、アネリは首をひねるだけだった。
「ふふ、アネリにはまだ難しかったわね。じゃあ、次に行きましょう。歴史の話でもしましょうか」
そう言って、アニスは話を進めた。
――――里を滅ぼした本当の理由を娘には話すことなく。
結局、その理由が彼女の口から語られることはなかった。
* * *
「お疲れ様、ブルース」
帰宅した夫に、アニスは労いの言葉をかける。
「アネリは?」
「寝ちゃったわ。貴方が遅いのがいけないのよ?」
「わかってるって」
今日、ブルースは村の男のみが集まる飲み会に招待されていたのだった。帰りが遅くなるのは、言うまでもないだろう。
「……それで、変わったことはあったか?」
ブルースは、椅子に座りながら、尋ねる。
アニスは、ブルースにお茶を淹れ、正面に座ると、ため息を吐く。
「……また、幻想魔法の効果が弱まったわ」
「また、か」
「ええ、魔物よけの結界の方は何の異常もないんだけどね」
どうしてなのか、二人とも理由に検討はついていた。
「やはり、アネリの力なのか?」
「ええ。十中八九、そうだと思うわ。――――でも、まさか私の子供が先祖返りを起こすなんて思わなかったわ」
本当に皮肉なものよね、アニスはそう呟く。
「対処法はあるのか?」
「ない」
ブルースの問いに、絶望的な解答をアニスは即答で返す。
「じゃあ、どうするんだ?」
「選択肢は二つ。一つ目は、この村を出て家族で旅をするか。幻想魔法が効かないなら、定住なんてできないわ。そしてもう一つは、アネリを村から追い出すか」
「な、お前……」
娘を捨てる、という親とは思えない暴論が出てきて、ブルースは驚きで固まる。
「安心して。可愛い我が子を追い出すわけないでしょ。残念だけど、村を出る準備をしましょう。もうそろそろ、どちらかがこの場所を見つけ出すわ」
「そうだな。明日にでも村の皆には話をしよう」
そんなブルースの言葉に、アニスは心が痛む。
「ごめんなさい。私のせいよね。私なんかと一緒になったせいで……」
「気にするな。選んだのは、俺だ」
「……どうして、こうなってしまうのかしら? 私はただ、自由に生きたいだけなのに。私が生きたいように、生きたいだけなのに。どうして、邪魔をするの……。どうして、許して、くれないのよ……」
アニスの目から涙が溢れる。
そんな弱々しいアニスを、ブルースはそっと抱きしめた。
こうして、二人の夜は更けていった。
――――だが、このときにはもう全て手遅れだったのだ。




