7 王女
フィーニアが去ると、わたしは拳銃の収まった装備ベルトだけ身につけ、一足先に着陸した『レンゼルブ夫人』を目指した。
『レンゼルブ夫人』の着陸後点検はすでに終わっており、船長の姿もなかった。わたしは委託した装備を脇の小屋に収納している乗員を呼び止めて、船長の所在を尋ねた。
「小屋の裏だよ、大尉さん」
礼を言い裏手に回ると、船長の姿はすぐに見つかった。くせのある茶色い髪の、なかなかに知的な好ましい風貌の小柄な青年と、なにやら声高に話し合っている。
「だから、今回は軍に借り上げられただけなんだよ、あんた」
船長が、やや苛立ちの混じった声で言う。
「しかし、たった一冊の本ですよ? 二ヶ月も前に注文したのに」
青年が食い下がる。
「無理だ無理だ。ガソリンと頼まれた貨物でめいっぱいだったんだ。明日も、今度は軍人さんを運んでやらにゃならん。悪いが、しばらくのあいだ諦めるんだな‥‥おっと、借主のご登場だ。文句があるんなら、あの別嬪さんに言うんだな」
わたしが近付くのに気付いた船長が、逃げの一手を打つ。青年が、母親に叱られた少年のようななんとも情けない表情でわたしを見やった。わたしは挨拶代わりに軽い微笑を浮かべてから、そっと二人のあいだに割って入り、船長と明日以降の打ち合わせを開始した。
飛行船に損傷があったにもかかわらず、船長はかなりご機嫌だった。おそらく、初めて戦闘行動に『参加』した興奮が、多幸状態を生み出していたのだろう。新兵がよくかかる症状である。わたしは満足して打ち合わせを終えた。
「では、あなたが派遣軍の責任者なんですか?」
船長との話が終わるのを待っていたかのように、青年が話し掛けてくる。
わたしは苦笑した。『派遣軍』とは、なんとも大げさな呼び名である。
「そうです」
わたしは次なる目的地、レスペラ艇の着陸地点へと歩み出しながら短く答えた。乗員に、助けてもらった礼を申し述べなくてはならない。
「申し遅れました。わたくし、レスペラ藩王国文化事業部嘱託の翻訳官で、フレンス・オウラと申します」
肩を並べて歩き出しながら、青年‥‥オウラが自己紹介する。
嘱託とはいえ、藩王国政府関係者ならば邪険に扱うわけにもいくまい。
「王国軍航空軍団大尉、エルダ・フォリーオです」
「こんな山奥で翻訳屋が何をしているんだろうとお思いでしょうが‥‥」
訊かれもしないのに、オウラがぺらぺらとしゃべり出す。わたしは見た目で彼に好意を抱いた事を後悔した。
「レスペラは文化振興にも熱心なのですよ。セレスタ王女殿下が北方語にも堪能なのはご存知ですか?」
「いいえ」
黙っているのも大人気ないので、わたしは歩みながら短く答えた。セレスタというのは、フザロック藩王の妹である。病弱な人物で、王位継承権上位であるにもかかわらず、公務にはついていないと聞く。
「そうですか。あまり知られていないかもしれませんが、王女殿下は北方語書籍の翻訳も手がけられているのですよ。そんなわけで、わたしのような者が外部より招かれて、正式に国家事業の一環として翻訳業務などを行っているのです。むろん、外交文書の翻訳や外国からのお客様の通訳なども勤めますがね」
やや自慢げな口調で、オウラ。
「それで‥‥どちらへ向かわれるんですか?」
「レスペラの飛行船のところです。助けていただいたので」
わたしは、眼前に見えている飛行船を指差した。レスペラ艇は、すでに係留塔の前に移動させられ、地上要員の手によってしぼみ始めた気嚢が突き出した梁の中に押し込められているところだった。この光景を見ると、わたしはいつも公立学生だった頃の蛙の解剖実験を思い出してしまう。
その飛行船の前には、乗員と思しき二人の小柄な人物の姿があった。いずれも若い女性だ。黒くまっすぐな髪をちょっと長めに伸ばしている、塵除け眼鏡を掛けたままの細身の人物と、くせのある赤毛を少年のように短く刈っている、細い眼の少女。二人のすぐそばには、警察軍とはまた違ったデザインの、だが公安関係者か軍人としか見えない制服を身に付けた大男が突っ立っている。
「では、システィハルナ王女殿下に会いに行かれるのですな?」
オウラが訊く。わたしは足を止めると、怪訝な表情で彼を見やった。
「王女殿下? いいえ、飛行船の乗員に会うだけです」
わたしの返答に、オウラがくすりと笑う。嫌味のない笑い方だったが、わたしは妙に不快に感じた。
「では、ご存知ないのですね」
オウラが、すたすたと三人の方へと歩み寄った。塵除け眼鏡の女性の前に立つと、芝居がかった仕草で深々と一礼する。
「王女殿下。王国航空軍団大尉、エルダ・フォリーオ殿をご紹介申し上げます」
あっけに取られているわたしを尻目に、オウラが続ける。
「フォリーオ殿。こちらにいらっしゃるお方が、わがレスペラ藩王国藩王ご息女、王位継承権第一位、システィハルナ王女殿下にあらせられます」
少女が、慣れた手付きで塵除け眼鏡を取った。びっくりするくらい大きな灰色の瞳が、わたしを見つめていた。
わがリンカンダムは王国を名乗ってはいるが、国王は形式上の国家元首に過ぎず、その政治上の実権はゼロに等しい。最大の国家権力を有するのは国民議会の多数党であり、その指名を受けた首相もあくまで行政の長としての権限しかもたない。国家の政治的安定を得る為に、権力の分散が徹底しているのである。
その国民議会で、貴族制の廃止法案が可決されたのは二百年も前のことである。だが、その法案には例外規定も存在した。辺境域に限り、貴族領の存在と存続とを認めたのである。当時小規模な常備軍しか持たなかったリンカンダムは、周辺諸国との国境紛争に悩まされており、その対策として辺境貴族に大幅な自治権を認める代わりに自警的兵力を育成させて、国境警備に当たらせようとしたのであった。
その後、常備兵力が充実するに従い、これら辺境貴族領の存在意義は低下し、廃止される傾向が続いたが、島嶼部や中央山岳付近などの人口希薄な地帯では、いわば代官的存在としての貴族領が存続した。直接統治よりも、中央政府の経済的負担が少なかったからだ。さらに飛行船の発達で中央山岳地帯にいくつかの入植地が建設されるようになると、そのほとんどが隔絶性ゆえに自治権を希求し、自治村落ないし貴族領としての道を選択することになった。なかでも、もともと辺境貴族だった一族がその私財を投入して建設された入植地は、その功績ゆえに特別に藩王を名乗ることを許された。レスペラも、そんな藩王国のひとつなのである。
藩王国はリンカンダム王国内の特別自治領の中でも、もっとも独立性の高い自治体といえる。持つことを許されていないのは外交権だけであり、リンカンダム国内法に抵触しない範囲内での地域法の制定や徴税権はもちろん、治安維持および国境警備目的の自衛戦力である警察軍の保有さえ認められている‥‥。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。ようこそレスペラへ。フォリーオ大尉」
少女‥‥システィハルナが革の手袋を取り、右手を差し出す。わたしはちょっとためらってから、その手をそっと握り返した。
システィハルナ王女は美人であった。色気のない飛行帽からはみ出した漆黒の髪はやや長めで、癖はまったくない。いわゆるオークル系の色白で、丸顔の中で大きな灰色の眼が輝いている。その眼のせいなのか、あるいは不釣合いな飛行服のせいなのか、わたしは派遣前のブリーフィングで渡された資料で知った十六歳という年齢よりも多少幼いという印象をもった。
しかし、その資料のどこにも王女が飛行船に乗るなどということは記載されていなかった。ましてや、空賊と渡り合って撃退してしまうなどとは。
わたしは当り障りのない、だが丁寧な挨拶を述べてから、本題に入った。
「その‥‥助けていただいて、どうもありがとうございました」
「実に見事なタイミングで駆けつけられたわね。まあ、あなた方を出迎えついでに哨戒していたら、たまたま出くわしただけなのだけれど」
システィハルナが微笑む。‥‥ちょっと嫉妬の念さえ覚えるほどの、可愛らしい笑みである。こんな笑顔を見せられたら、たいていの男はころりと参ってしまうだろう。
「では、殿下がこの艇を?」
「ええ。操舵手をね。けっこう上手に操りますのよ。ところで、あなたの艇の砲手はどなた?」
「わたしが、艇長兼砲手を勤めております」
「やっぱり」
システィハルナが、傍らの赤毛の少女と顔を見合わせた。
「紹介しましょう。わたくしの艇の砲手、リュレアです。今は、警察軍の義勇兵扱いね」
赤毛の少女が、ぺこりと頭を下げた。わたしも礼を返した。
「見事な射撃だったと、彼女が驚嘆していました」
「運が良かっただけです」
実際、空中での射撃を成功させるには運も必要である。完璧な射撃をしたからといって、命中するとは限らないのだ。数多くの、見通せない変数‥‥局所的な横風、空気の密度、気温による屈折‥‥などが、わずかに弾道を狂わせてしまう。
「運だけで、あれほど正確な射撃はできないでしょう」
そう言ったシスティハルナの肘を、リュレアがそっとつついた。横を向いた王女に向かい、赤毛の少女が複雑な手振りをする。しばらくその様子をぼんやりと眺めていたわたしは、リュレアが言葉をしゃべれないことにようやく気付いた。
「リュレアはこう訊いています。あなたの仲間‥‥つまりは、航空軍団という意味でしょうけど‥‥のなかで、大尉ほどの腕前の砲手は多いのか、と」
システィハルナが通訳する。
「正直、多くはありません。わたしの上官の中には、もっと正確な射撃を行える者はおりますが」
わたしの答えを聞いて、リュレアが嬉しそうにうなずく。‥‥少なくとも、耳は正常らしいし、東部標準語を解さないわけでもないらしい。
「では、とりあえず王城に参りましょうか。今日はもう、空賊の襲撃もないでしょうし。ハヴィラン、皆さんの受け入れ準備は整ったのね?」
システィハルナが、控えていた大男に訊く。
「クロイ少佐が万事手筈を整えたはずです、殿下。警備に関してはわたし自らが手配し、万全を期しております」
ハヴィランと呼ばれた大男が、軍人らしい口調でてきぱきと答える。
「では、参りましょう。お父様にも会っていただく必要があるし。フォリーオ殿、よろしいですね?」
艇の方はサンヌに任せておいて問題はあるまい。どうせ明日整備班が来るまでは待機するしかないのだ。しかし、システィハルナのお父様‥‥現藩王フザロックに引き合わされるのならば、服装は改めねばなるまい。『レンゼルブ夫人』に委託した貨物の中には、わたしの第一種礼装を含む衣類が詰まったトランクがある。急げば化粧直しも含めて半時間で済むとは思うが、いくらなんでもシスティハルナ王女を待たせるわけにはいかない。
「フザロック陛下には、今夜にでも改めてご挨拶に伺いたいと思いますが‥‥」
わたしの返事を聞き、システィハルナがくすりと笑う。
「ご心配なさらずに。お父様も堅苦しいことは苦手なお人ですから。それに、今現在レスペラは事実上の戦時下にあります。飛行服でも問題ありませんわ」
「殿下がそうおっしゃるのでしたら‥‥お供します」
石畳の道を、てくてくと歩く。
王城までの移動手段はなんと徒歩であった。藩王の娘とはいえ王女なのだから、馬車か車両が使われて当然と考えていたわたしはそうとうに面食らった。車両はともかく、上空から見た限りでは馬が不足しているようには見えなかった。おそらく、歩むのはシスティハルナの趣味か習慣なのだろう。実際、彼女の歩みは速くはなかったが一定のペースを保った着実なもので、歩き慣れていることをうかがわせた。
ある意味では、妙な一行であった。赤毛の砲手少女‥‥リュレアが弾むような足取りで先頭を歩き、すぐあとにシスティハルナとわたしが続く。その後ろ、わずかにあいだを置いて、システィハルナが王室警護隊隊長だと紹介してくれた金髪の大男、ハヴィラン・エクスとその部下二名が歩む。翻訳官フレンス・オウラは、いつの間にかいなくなっていた。
わたしは少しでもシスティハルナに敬意を示そうと、彼女の半歩くらいあとを歩もうと勤めたが、彼女はどうやらわたしと肩を並べて歩きたいらしく、すぐに歩みを合わせてきてしまう。ついにはわたしも諦めて、システィハルナの歩調に足を合わせた。
レスペラの街の中心部は、上空から見た印象とさほど変らなかった。立ち並ぶ家々は比較的小ぶりだったが、いずれもが丁寧な造りで、明るいグレイの切石を積み上げた土台に、太めの角材と鎧張りにした羽目板で形作られていた。屋根はいずれもかなり傾斜のきつい切妻屋根で、冬季にはかなりの積雪があることをうかがわせた。
どうやら、システィハルナは自らレスペラの案内役を買って出たようだった。わたしと肩を並べて歩きながら方々を指差し、市街の主要な建築物や公官庁の位置を教えてくれる。わたしはいささか恐縮しながらいちいちそれに応えた。まあ、レスペラの職業訓練校や共同屠畜場の場所など覚えても役に立つとは思えないが。
わたしたち一行が市街を抜けるあいだに出会ったレスペラ市民の数は、せいぜい五十人というところであり、その全員がシスティハルナに対し挨拶を行ったが、そのやり方は実にバラエティに富んでいた。深々と頭を下げた老婆。担いでいた農具を立て銃のように体側に付けて、直立不動の姿勢で見送った農夫。こちらが唖然とするほど気さくに、片手をひょいと挙げて挨拶した中年男。人気のある役者に街中で出会ったときのように、王女の名を連呼しながら激しく手を振った青年二人。五人連れの幼い少女たちは、夢中になっていた遊戯を中断し、システィハルナにひとしきり群がった。まるで、彼女が久しぶりに帰郷した歳の離れた姉であるかのように。
「何か言いたいことがあるようね?」
市街を抜けたところで、システィハルナがそう訊いてきた。
「失礼な言い方かも知れませんが、市民にだいぶ愛されておいでのようですね、殿下」
「否定はできないわね」
くすりと微笑んだシスティハルナだったが、急に真顔になると、わたしの腕をそっと取った。
「でも、その殿下という呼び方はやめていただけない? 堅苦しすぎていけませんわ。まあ、公的な場所では仕方ないけど」
「‥‥もちろん構いませんが‥‥では、どのようにお呼びすれば?」
「親しい者には『姫様』と呼んでもらっているので、できればあなたにもそう呼んでほしいものだわ」
「承知いたしました、姫様」
『姫様』とは、また古めかしい呼び方である。王族の若い女性に対する尊称ではあるが、いまどき時代小説の中でしかお目にかかるまい。
やがて、道は緩やかな登り勾配となった。眼前には、低くなだらかな丘の上に建つ城砦が立ちはだかっている。
「あそこに見えてきたのが王城。一応、レスペラ藩王国政府の所在地ね。まあ、戦争の遺物でもあるけど」
「戦争‥‥二十二年前の、内戦のことですね」
「まあ、きちんと勉強していらしたのね」
システィハルナが、微笑む。‥‥出来のいい生徒を誉める新米女教師の笑みと言ったら、誇張しすぎだろうか。
「勉強だなんて、そんな。概要を読んだだけです」
わたしは正直にそう答えた。実際、レスペラの歴史に関しては、連隊本部の情報班が取りまとめてくれた薄っぺらな書類を、官舎のベッドの上で寝酒をやりながら通読しただけである。しかしながら、それはそれでかなり面白い読み物でもあった。
そもそもレスペラ藩王家には、ふたつの系統があった。初代藩王を祖とする一族と、その従兄弟を祖とする一族である。レスペラに入植が始まったのは、今から六十年近く前のことだ。藩王国として成立したのは、その数年後。初代藩王が亡くなったのち、その後を継いだのは当然のことながら直系の息子であり、従兄弟系の一族はいわば名前だけの王族の地位に甘んじていた。
転機が訪れたのが二十二年前である。二代目藩王が従兄弟系一族の経済力を削ごうと、強引な法律改正を行って、その所有する農地のかなりの部分を国有地に編入しようと試みたのである。反発した従兄弟系一族は、武力を持ってこれに抵抗、かくしてレスペラ藩王国は内戦に突入した。
ところがレスペラ唯一の実働戦力と言える警察軍は二代目藩王を支持しており、最初から従兄弟系一族に勝ち目はなかった。内戦はわずか一週間で終結する。従兄弟系一族を武装解除し、思惑通りその領地を削減した藩王だったが、宗主国たるリンカンダム中央政府は彼を許さなかった。統治能力に欠けると見なされた彼は退位を強要され、ターレンザム諸島のとある自治領への移住を余儀なくされる。事実上の追放刑であった。
リンカンダム中央政府は、レスペラで二度と内戦が起こらぬように、藩王家に対し露骨な政治介入を行った。藩王位は前藩王の長男フザロックに継がせたものの、従兄弟系一族の未婚女性との婚姻を強制したのだ。初代藩王系、従兄弟系両族を血縁で結びつけようという思惑であった。フザロックと同様、前藩王の長女セレスタには従兄弟系一族の男性との婚姻を、次男ヤラムにも従兄弟系一族の女性との婚約‥‥当時ヤラムはまだ十四歳であった‥‥を強いる。
いわば両系統の和解の‥‥あるいは強制的血縁統合の象徴として生まれたのが、わたしの隣を歩いているシスティハルナというわけだ。
それ以来、レスペラは平和な状態が続いている。先の大戦の時も、数名の青年が『自発的に』リンカンダム王国陸軍に志願して出征したのみであり、全員が負傷することもなく復員したという。その平和を突如破ったのが、今回の空賊来襲であった。
近付くにつれ、城の細部が見て取れるようになった。
なんとも古式ゆかしい城であった。外城壁は、あちこちが野面積みの石で補強されただけの土盛りだ。その奥の切石積みの内城壁は美しさまで感じられるほどに高くそびえている。‥‥砲撃を受けたら、ひとたまりもあるまい。近代築城技術をまるで無視した、百五十年前ならばそこそこの堅城だったかもしれない時代錯誤の城、と言わざるを得ない。
「もともと、シンボル的意味合いで建築された建物でしたから」
わたしの考えを読み取ったかのように、言い訳がましくシスティハルナが説明する。
「建国当時の熱気とでも言いましょうか、まったく何もないところから始まった入植地に、国家としての拠り所を求めようとしたのですね。あの塔にしても‥‥」
システィハルナが、例の目立つ細長い塔を指差す。
「実質的に何の役にも立っていないのです。ただ、この地を一望できる場所が欲しかっただけ。ただそれだけのために、当時得られた建築技術の粋を集めて、あんなものを造ってしまったのですから‥‥」
わたしも塔を見上げた。切石積みの円塔で、木製らしい円錐形の屋根がついている。あの細さでは、おそらく塔の内部には螺旋階段しかないのであろう。
「まあ、この程度の古臭い城でも、内戦の時には役立ったと聞いております」
システィハルナが、続けた。
「当時の警察軍には重火器などなく、双方とも歩兵銃で撃ち合う程度。一番威力のあった兵器が、改造して爆薬の量を増した擲弾だったそうですから。空から、東の砦をご覧になったと思いますけど‥‥」
「はい。見ました」
「あれが、内戦のもう一方の当事者だったシャンディエル王子系‥‥いわゆる従兄弟系一族が、城館を改造して建設した砦です。あそこは、もう少し近代的な造りになっていますのよ。内戦で破壊された上に、中央政府の命令で取り壊され、今では廃墟と化していますけど」
外城壁に設けられた正門とおぼしき個所は、なんと単なる木戸であった。しかも、そこの警備に就いていたのは、システィハルナよりも若い‥‥いや、幼い少年であった。腰に吊った拳銃が重そうに見えるくらい小柄だ。
「一応、彼も警察軍義勇兵です。大人は皆重要な仕事に就いているか、義勇兵としてもっと危険な任務についていますから」
システィハルナが説明する。そう、ここはすでに戦場なのだ。
リュレアとはそこで別れ‥‥一応ここまでは、システィハルナの護衛役としてくっついてきたようだ‥‥一行は木戸を抜け、城の内部へと入った。手入れの悪い中庭を抜け、これまた少年が警備についている内城壁の門‥‥こちらはがっちりとした切石積みの楼門に、落とし格子まで付属した本格的なものだった‥‥を抜けたところで、エクス隊長の二人の部下もいなくなった。ここから先は、安全地帯ということらしい。わたしたちはシスティハルナを先頭に、内城壁と一体化している城本体へと足を踏み入れた。
外見と違い、城の内部はなかなかに凝った造りであった。石壁が剥き出しになったところはまれで、ほとんどの壁面は丁寧に板張りが施されている。装飾も多く、あちこちに絵画が飾られ、また彫刻の類が置かれていた。わたしは芸術に関しては大して造詣が深くはないが、それでもこれらの作品がそれほどレベルの高くないものであることは察しがついた。
「初期の入植者の作品です。誤解なきように。芸術品としてではなく、記念碑的価値で飾られているのです。生まれ故郷を遠く離れ、文化的中心地からも隔絶したこの地で、それでも芸術的創造心を失わなかった先祖の心意気を記念しているのです」
「左様ですか」
わたしはその中の一枚の絵に興味を引かれた。丁寧に描かれているが、これといって誉めるべきところのない油彩だった。しかし、わたしのような職業の者には心引かれる題材が描かれていた。
気がめいるような曇天をバックに、旧式な大型飛行船が飛行している。ゴンドラからは、たいそうな顎鬚を蓄えた大柄な初老の男性が身を乗り出していた。
「『レスペラ』という名の飛行船と、初代藩王サグシードです。最初の入植に使われた飛行船ですわ。サグシード自身も根っからの飛行船乗りだったのです。昔は、藩王族は皆飛行船を操れましたのよ。最近では、まれですが。まあ、わたくしはある種の先祖返りなのかもしれませんね」
くすくすと、システィハルナが笑う。いかにも少女らしい、屈託のない笑い方だ。わたしもつられて微笑んだ。
「システィハルナ!」
背後からの呼びかけに、わたしは思わず振り向いた。
声を掛けてきたのは、二十歳前後と思われる青年だった。まっすぐな黒髪を男性としてはやや長めに伸ばしており、なかなかに整った風貌だ。王女殿下を呼び捨てにできるところを見ると、王族の一員なのだろう。おそらく、藩王フザロックの妹セレスタの息子だろう、とわたしは見当をつけた。名前は忘れたが、たしか二十歳過ぎの王子がいたはずである。
「こちらが、われわれを救いに来てくれた軍の方だね?」
小走りに近寄ってきた青年が、システィハルナに問う。
「そうよ。航空軍団のエルダ・フォリーオ大尉。大尉、彼はサリュシオン王子。わたくしの従兄になります」
「初めまして、殿下」
わたしは丁寧に挨拶し、改めて名乗った。
「いやあ、きれいなひとだね。飛行船乗りってのは、君も含めて美人が多いのかな」
冗談であることが判る程度に微笑んで、サリュシオンがシスティハルナに言う。わたしはお義理程度に微笑を浮かべた。
「それはそれとして‥‥君が帰還したとの報告を受けて、陛下が会議を招集したそうだ。大尉と一緒に緋色の間に行ってくれ」
早口で、サリュシオンが言う。
「判ったわ。じゃあ、あとで」
うなずいたシスティハルナが、わたしの腕を取った。
第七話をお届けします。やっとサブヒロイン、システィハルナ王女の登場です。




