20 会食
「おやおや。ぼくはシスティハルナに招待してもらったはずだけどね」
王城の小食堂のテーブルについているわたしを見て、サリュシオン王子がおどけたように肩をすくめた。
「申し訳ございません、殿下」
立ち上がったわたしは、深々と頭を下げた。
「王女殿下は、どうしてもご都合が悪く、朝食を欠席なさるとのことです。僭越ながらこのわたしが、殿下の朝食のお相手を務めさせていただきます」
「システィハルナが朝食に誘ってくれるとは珍しいと思っていたが‥‥どういうことだね? 正直に行こうじゃないか、大尉。今現在、システィハルナはどこで何をしているんだ?」
「殿下のご自宅を捜索する一隊を率いておられます」
わたしの一言に、サリュシオンの笑みが凍った。
「‥‥また、なぜ」
「殿下がご自宅に無線電信機をお持ちではないか、と王女殿下は考えておられました」
「たしか、無線電信機の所持を禁じた法律は、リンカンダムにもレスペラにもないはずだが‥‥」
軽い口調で、サリュシオン。だが、表情は強張っている。
「通信内容が問題なのです」
わたしは音高く指を鳴らした。第一種礼装に身を包み、これ見よがしに腰に拳銃を吊ったサンヌが、銀色に光るトレイを持って現われた。わたしはトレイの中の厚紙を取り上げ、テーブルの中央に置いた。
厚紙には、いくつもの細片に分かれた紙が、糊で貼り付けてあった。‥‥破り捨てられた紙を、丁寧に復元したものだ。
「軍では、機密事項を記載した用紙は決して破り捨ててはいけないと教育します。焼却したうえで、灰をすり潰すのが最良の方法です。燃やすことが不可能ならば、できうる限り細片に千切り複数の個所で野外に撒き散らすか、河川や海に流すようにします」
いったん言葉を切ったわたしは、人差し指を厚紙に突きつけた。
「そしてこの紙は、殿下のご自宅のゴミから回収したものです。はっきりと読めます。十七日現在、『火龍式』一門故障。『No.24』一門、『No.21』二門は稼動中‥‥。推測するに、無線電信を送るためのメモでしょう。いったい、どなた宛に発信されたのですか?」
サリュシオンは答えなかった。眼は、厚紙を凝視している。やがてそこから視線を逸らしたサリュシオンは、すっと大きく息を吸い込むと、穏やかな表情でわたしを見た。
「‥‥座ってもいいかね?」
「もちろんです」
サリュシオンが座るのを待って、わたしも席についた。
「朝食を召し上がりますか?」
「もらおうか」
わたしはうなずいた。控えていたティリングが、大きなトレイを持って現われ、テーブルの上に手際よく皿やカップを並べていく。
ティリング少尉は今回の役どころを存分に楽しんでいた。体格の似ている給仕から服を借りて着込んでいたのだ。スタイルが良いせいか、エプロンドレス姿は、妙に似合っていた。
「さて」
お茶を一口味わったわたしは、サリュシオンの灰色の眼を覗き込んだ。
「システィハルナ王女殿下は、殿下こそもっとも重要な空賊への内通者であった、とお考えです。否定なさいますか?」
「否定はせんよ。この字は、ぼくのものだしね」
サリュシオンが、いまだテーブルに置かれている厚紙を見やる。
「しかし、ゴミまで漁られていたとはね。なぜ判った?」
「システィハルナ王女殿下とエクス隊長らの、地道な捜査の結果、ほとんどの官僚と警察軍幹部の疑いが晴れたのです。残る怪しい人物は、王族方のみ。当然真っ先に疑われたのは、殿下です。数日前から、殿下のあらゆる行動は、こちらの監視下にありました」
「ご苦労なことだ」
サリュシオンが、鼻で笑う。
「だが、君に言い訳するつもりはない。システィハルナを呼んでくれ。彼女なら、ぼくの立場が判るはずだ」
「残念ですが、王女殿下は殿下にお会いになるつもりはないそうです。王女殿下からのわたしへの指示はこうです。『サリュシオン王子から事の次第を聞き出し、亡命させよ』‥‥。よろしいですか、この場にわたしとわたしの部下しかおらず、レスペラ関係者がいないのは、この一件をなるべく穏便に処理しようとする王女殿下のお気持ちの表われなのです。真相はわたしの口から直接王女殿下にご報告申し上げるだけ。ご自宅の家宅捜索も、表向きは公金横領の疑いということになっています。サリュシオン殿下は、公金の私的流用の責任を痛感し、公職を辞し、王族籍を離脱、外国に亡命した、というかたちで幕を引きたいのですよ」
「横領だと。ばかばかしい」
サリュシオンが、吐き捨てる。
「いいだろう。教えてやる。だが、食べながら話させてもらうぞ」
「ご存分に」
サリュシオンに対し最初に接触してきたのは、ヴィーカル連合王国の外交官だった。
リンカンダムの王都オルテンにフザロックの名代として赴いたのは、一年半ほど前のこと。そこで訪ねて来たヴィーカルの外交官が、甘言をささやいたのだ。『正式な独立国家たるレスペラ王国の国王になりませんか』と。
もちろんサリュシオンは拒否した。フザロックの治世に不満がないわけでもないし、野心と無縁なわけでもない。しかし、それなりに藩王に対する忠誠心は持ち合わせている。だが、外交官の語る壮大なビジョンを前にして、まだ若いサリュシオンの心は揺れ動いた。ヴィーカルの飛行船技術を持ってすれば、近い将来レスペラは大陸の交通の要衝になりうる、と外交官は説いたのだ。
ヴィーカル連合王国が、国家的プロジェクトとして進めているガス式飛行船の開発‥‥。その究極の目標は、大陸を無着陸で横断できる巨大ガス式飛行船の建造と就航であった。しかし、そのプランはすでに設計段階で非現実的なものと見なされていた。そこまでの長距離性能を求めるとペイロードの極端な減少を招き、とてもコスト的に割の合わないものになる可能性が高かったのだ。飛行船のライバルはやはり鉄道である。いったん線路を敷設してしまえば比較的低コストで運用できる鉄道と、人員輸送や郵便貨物部門でまともに競争しようとするならば、経済性の維持は最重要課題であった。開発陣は設計案をいくつもひねり出したが、運用要求やコストのバランスを考えると、その航続距離は長くても大陸横断距離の二分の一程度が現実的な数字といえた。したがって、将来ヴィーカル連合王国が、その卓越した技術力で大陸の飛行船交通網を独占的に構築するためには、どこかに大規模な中継地点を設ける必要があった。大陸の中心部にあり、ガソリンや灯油の供給に事欠かない場所が。
唯一の適地が、レスペラだった。位置はほぼ大陸の真ん中。石油は豊富に産出する。地積も充分にある。鉄鉱石の鉱脈があることも、水素の供給には好都合と言えた。
だが、レスペラ藩王国はいまのところヴィーカルの仇敵、リンカンダム王国に属している。鉄道技術先進国であり、大陸環状鉄道建設計画の主導的国家であり、鉄道による交通ネットワーク造りに邁進するリンカンダムが、そうやすやすとヴィーカルの進める飛行船交通網構築に協力するわけがない。
レスペラを独立させるしか方法はない。そう、ヴィーカル連合王国は考えた。むろん、ガス式長距離飛行船が実用化されるのはずっと後‥‥早くても、二十年後と予想されている。だが、リンカンダム王国がレスペラの真の価値に気付く前に、これを抑えておくべきである。
現在のフザロック藩王は、独立の障害になると思われた。前藩王のこともあり、リンカンダム中央政府には頭があがるまい。その娘システィハルナも、父の意向には従うだろう。弟ヤラムも頑迷な人物で、独立など夢想だにしないはずだ。
白羽の矢が立ったのが、サリュシオン王子だった。フザロックとシスティハルナがいなくなれば、藩王位はセレスタ王女のものになる。病弱な王女に代わり、息子サリュシオンが名代としてレスペラを取り仕切るようになるのは時間の問題だろう。そしてもちろん、セレスタが死ねば、藩王位はサリュシオンのものとなる。
ヴィーカルの外交官は、熱心に説いた。二十年後の、そして三十年後のレスペラの繁栄ぶりを。空を行き交う巨大ガス式飛行船。国際都市と化したレスペラの街を歩む各国の人々。飛び交ういくつもの言語。立ち並ぶ高級ホテルと、郊外の巨大精油施設。そして、それらを統治するサリュシオンの姿を。
若き王子は苦悩し‥‥そして決断した。
「君も飛行船乗りだ。判るだろう」
サリュシオンの食欲は旺盛だった。しゃべり続けながら、食物が次々と口の中へと消えてゆく。
「原油はまだまだ出る。ちょっと谷間へ入れば、染み出しているところがいくらでもあるからな。土地も余っている。よい水も得られる。その外交官が教えてくれたが、数年前に効率のいい水素製造方法が発明されたそうだ。原理はぼくには理解できないが、高温に熱した鉄の細片に水蒸気を当てると、酸を使う方法よりも数倍も効率的に水素を得られるらしい。君らが思っているよりも、ガス式飛行船の実用化は早いのだよ。‥‥いいか、ガス式長距離飛行船が開発されれば、レスペラを介して大陸のすべての主要都市が四日行程で結ばれるのだ。朝飛行船に乗り込めば、翌日の日没前にレスペラに到着する。ここで一泊して、また朝に飛行船に乗り込めば、通算四日目の夕方前に目的地に着く。四日だぞ、四日。シュミッド−レスペラ−ファーリンデンだろうが、ゴベン−レスペラ−タビークだろうが、オルテン−レスペラ−ウィッテルクだろうが、四日で旅することができるのだ。これはまさに交通の革命なのだよ」
たしかに、壮大なビジョンだった。だが、わたしは軍人として別の側面にも気付いていた。どうやら、サリュシオンには判っていないようだったが。
「いいか、レスペラは単なる中継地点じゃないぞ。政治的に重要な都市にも発展できる。各国の首都から二日でやってくることが可能なのだ。国際会議の場に最適ではないかね? 有線電信で朝に連絡を取れば、主要各国の外務大臣が翌日の夕食のテーブルを囲むことができるのだ、このレスペラで! 前大戦の開戦原因のひとつが、主要各国間のコミュニケーション不足にあったことは知っているな。電信では、人と人との繋がりは保てんのだ。丁寧な信号のやり取りよりも、顔をつき合わせての怒鳴りあいの方が、はるかに人間関係を深める。レスペラの発展は、大陸の平和にも寄与することだろう!」
言葉の勢いそのままに、サリュシオンがフォークを焼きソーセージに突き立てた。
「他に、その外交官はレスペラの未来について語っていませんでしたか?」
「まだある。大学の設立だ。各国の主要大学や研究施設とも、二日行程で結ばれるのだ。それら叡智を結実させる施設としての大学建設場所として、レスペラより適した場所があるだろうか? レスペラは、小さいながらも大陸中の政治と文化の中心地として、平和と文明の発展に寄与するのだ」
‥‥やはり気付いていない。そうわたしは確信した。
「それで? 具体的に、どういう方策をとったのです?」
「詳しい計画は、向こうが勝手に作った。連絡員として送り込まれてきたのが、フレンス・オウラだ。タガレーの軍閥に金と飛行船を渡して空賊を組織させ、レスペラを襲わせる。出撃したシスティハルナを罠に掛けて殺してしまう。空賊の被害が増大すれば、リンカンダム中央政府はフザロックを無能だと判断して追放するだろう。‥‥前藩王と同様にね。そうすれば母上が藩王となる。そこで空賊の役目は終わりだ。ぼくは母上を助け、独立の機会が訪れるのを待つ。そういう段取りだった」
サリュシオンが、小さなチーズの塊を千切ったパンの一片とともに、口に放り込む。
「システィハルナ王女殿下を亡き者にすることに関し、良心の呵責はなかったのですか?」
「あったさ。彼女は大好きだ。だが、ぼくの説得に耳を貸すとは思えん。それどころか、あっさりとぼくを告発したろうな。無理だよ、彼女とは組めない」
サリュシオンの前の皿は、ほぼ空に近付いていた。ティリングが静かに近付き、王子とわたしのカップにお茶を注ぎ足す。
「だが、計画はうまくいかなかった。システィハルナは罠を逃げ延びた。航空軍団から増援が送られるのは覚悟していたが、こんなにも優秀な奴らが来るとは思わなかった。オウラに爆薬を仕掛けさせて始末させようと考えたが、隙がなく、民間籍輸送船を爆破したにとどまった。あとは見ての通りだ。空賊は撃退されてしまった」
「空賊に軍事情報を流していたのは、殿下だったのですね?」
「そうだ。詳しい情報は、オウラが集めてくれた。ぼくはそれを暗号化して、発信するだけだった。受信先がどこかなど、詳細までは知らない。向こうから電信が来たときも、オウラに伝達しただけだ。たいていは、暗号のままね」
卵の最後の一片が、フォークで掬い去られ、サリュシオンの口の中へと消えてゆく。
「どうするおつもりだったのです、これから?」
「しばらく大人しくして様子を見るつもりだった。ヴィーカルは計画を諦めていないからね。こちらから働きかければ、またなんらかの策を考えてくれたはずだ。だが、もうぼくは諦めたよ。素直に負けを認めよう。亡命でも何でも、システィハルナの言う通りにするよ」
「恐縮です」
わたしは肩の力を抜いた。お茶のカップを持ち上げ、一口すする。一仕事終えたあとだけに、絶妙な味であった。
「殿下。デザートはいかがいたしましょう」
すっかり給仕になりきっているティリングが、訊ねる。
「いや、結構。ぼくのデザートは、これだから」
サリュシオンが言って、懐に手を突っ込んだ。つかみ出された物を見て、わたしは思わずカップを取り落とした。
小ぶりの、決闘用拳銃だった。すでに雷管キャップも填められている。
控えていたサンヌが慌てて自分の拳銃を抜いた。
「殿下!」
叫んだティリングが、身をすくませる。手にした銀盆が、天窓から差し込む陽光を一瞬反射させ、わたしの眼を射た。
サリュシオンが、素早く撃鉄を起こした。
「不名誉な生き方は、ごめんだ」
銃口が、口の中に突っ込まれる。
わたしは動けなかった。魅入られたように、どんよりと濁った灰色の眼を見つめるだけだった。
サンヌが駆け寄る。だが、間に合わなかった。
サリュシオン王子の後頭部が、轟音とともに吹き飛んだ。
サリュシオン王子の死は、そのまま自殺と公表された。でっち上げシナリオの最後の部分が、亡命から自害へと切り替わっただけだ。
「申し訳ございません、姫様」
「謝る必要はありません。むしろ、謝らなければならないのはわたくしの方です。レスペラの、いや、王族内の問題の解決に、あなた方部外者を巻き込んでしまったのですから」
システィハルナが、言う。声は明らかに湿っていた。
「とりあえず、これで空賊の襲撃もなくなるでしょう。ヴィーカルが裏にいたことが、証拠はないもののはっきりしたのですから。陛下が中央政府に詳しい報告を提出すれば、善処してくれるはずです」
「だといいのですが‥‥」
「なにか腑に落ちないことがおありのようね」
システィハルナが、上目使いにわたしを見る。
「はい。サリュシオン殿下と‥‥オウラの証言を組み合わせると、少しばかり引っかかることがあるのです」
わたしはシスティハルナを見つめた。
「姫様。ひとつだけ、お願いがあるのですが‥‥」
システィハルナは、わたしの願いを快諾してくれた。
第二十話をお届けします。本作は次々回の第二十二話が最終話となります。しかしながら同話はエピローグ的内容であり、分量も少なく、構成上も実質的最終話である第二十一話と連続して読んでいただくべきと判断いたしましたので、次回は第二十一、二十二話を同日連続投稿し、本作を完結させたいと思います。