19 陥穽
高度五百。
わたしは双眼鏡を覗き込んだ。愛用の品はオウラとともに飛び散ったので、これはフィーニアを通じて借りた奴だ。鏡筒の動かし方のコツがいまひとつつかめていないので、使い辛い。
「五艇確認!」
一足先に双眼鏡を覗いていたサンヌが、叫ぶ。
わたしも艇影を慎重に数えた。‥‥やはり、五つだ。
「こちらも五艇確認! サンヌ、継続監視! 装弾はやります!」
「了解!」
仮称『紫の虎二号』は、レスペラ艇二艇を左に見る形で、レスペラ上空にあった。
予測通りの全力出撃と思われた。当初予想された空賊側航空戦力は七ないし八艇。レスペラ市街地上空でわたしが一艇落とし、出撃中継地点襲撃で三艇を破壊、一艇を捕獲した‥‥言うまでもなく、その艇がこの『紫の虎二号』である‥‥。今現在、見えているのが五艇。ということは、最低でも空賊側戦力は十艇だったということになる。
「王女艇、信号です!」
ティリングが叫ぶ。
わたしは双眼鏡を置き、肉眼でシスティハルナが乗り組むレスペラ艇を注視した。小さな白い旗が振られている。事前計画通り実行せよ、の合図だ。
「計画通りやります! ティリング少尉、王女艇に追随!」
「了解!」
わたしの提案を容れてシスティハルナが立てた作戦で要となるのは、わたしとリュレアだった。囮となるレスペラ艇と『切り札』によって、空賊艇を特定地域に誘い込み、わたしとリュレアの『卓越した射撃技術』(システィハルナ談)により、一艇でも多くの空賊艇を葬り、しかる後に機動戦に持ち込み完全勝利を目指す、というものである。
うまく引っかかってくれるといいが‥‥。
まず、囮艇が前に出た。王女艇は誘うように別な方向に進路を変え、わが艇もそれに追随する。
空賊側は分散した。二艇が囮艇に喰らいつき、三艇はこちらを追尾してくる。
王女艇が、速度と高度を減ずる。わたしは、空賊艇に対し射距離五百で初弾を放った。罠に嵌めるためにはある程度近接していなければならないが、こちらが被弾しては元も子もない。近づけさせないための牽制射撃だった。敵も、撃ち返してくる。
「ティリング、準備はいい?」
「準備よし!」
威勢のいい返事が返ってくる。
罠が仕掛けられたのは、市街地西方の小さな森であった。そこにはすでに百人を越える警察軍兵士と義勇兵、それに武装した市民有志が隠れている。
王女艇が、森の上空を通過した。わが艇も、続く。
先頭の空賊艇が、森上空に差し掛かった。
と、いきなり森の東側から飛行船が急上昇した。
それは、奇妙な飛行船だった。ゴンドラの代わりに、気嚢の下に木箱のようなものがくくりつけてある。さらに、気嚢からは数十本におよぶ様々な太さの索が、地上まで垂れ下がっていた。それはさながら、ある種の海月のようにも見えた。
次いで、木箱の中から二筋の白煙が噴き出す。その反動で、木箱は水平面でくるくると回り始めた。白煙が流れ、渦巻きを作り出す。
市街地で撃墜した空賊船の気嚢を回収して修理し、作り上げられた切り札だった。
切り札を見た空賊艇の行き足が止まった。罠と悟り、慌てて進路を変えようとする。
眼下の森から、一斉に薄い煙の柱が垂直に上がった。その数、実に二十本。
火箭である。しかも、空賊艇を狙って放たれたものではない。だが、いきなりの『攻撃』に空賊艇がさらに慌てた。なんとか森上空から離脱しようと機動を始める。
その頃にはもう、わが艇と王女艇は森の南側に回りこみ、超低速状態まで急減速を終えていた。わたしはすでに観測を終え、照準器を覗き込んでいた。
火箭は風と空賊艇の動きを読むためのものであった。等間隔で打ち上げられた火箭が作り上げた煙の柱は、空賊艇までの射距離と、その周囲の気流状態を詳しくわたしとリュレアに教えてくれたのだ。いわば、巨大な方眼紙の上に立ち尽くす人物を狙撃するようなものである。
射距離は二百以下。
先にリュレアが放った。わたしも一瞬送れて引き金を引く。
二弾とも、命中した。二艇の空賊艇の気嚢に、穴が開く。
発動機を全開にして、空賊艇が離脱を図る。だが、東側には謎の飛行船がいる。南側にはわれわれ二艇。逃げ場は北か西しかない。
無傷の空賊艇がわれわれに向け発砲する。距離が近いから至近弾となった。
「発砲後装弾中回避!」
わたしはティリングに命じた。ほぼ同時に、サンヌの手が左肩を叩く。
わたしは傷ついた空賊艇に発砲した。すでに離脱にかかっていたものの、これも命中する。
即座に、ティリングが回避行動を開始した。無傷の空賊艇が離脱しつつ発砲するが、これは外れる。
リュレアの二発目は外れたようだった。王女艇を狙った空賊の射弾も、外れる。
わたしは三発目の狙いを、逃げてゆく無傷の空賊艇に向けた。二発喰らわせた空賊艇は高度と速度を大きく減じ、森に隠れていた兵士や市民有志に下から歩兵銃や猟銃を撃ちまくられている。
ティリングが、回避行動をやめる。
わたしは撃った。射距離は三百。
当たった。
まぐれとまではいかないが、かなり幸運な一弾と言えた。
サンヌが装弾するあいだに、わたしはさっと周囲を見渡した。
わたしが二発喰らわせた艇は、すでに地上からの射撃で気嚢をずたずたに引き裂かれ、地面まであとわずかという処を情けなく漂っていた。リュレアは三発目を当てたらしく、王女艇の獲物も高度を減じ、フィーニアの部下の餌食となりつつある。
「回避しつつ距離を詰めて! 残ったあいつも仕留めるわよ!」
「了解!」
捕虜とした男の一人は、ワフ・パトロー元中佐と名乗った。‥‥いつぞや捕虜にした空賊の証言にあった、元タガレー共和国軍人である。容貌も、証言と一致した。まず間違いなく、本人であろう。
完勝であった。囮艇は、なんとか被弾せずに逃げ切った。『紫の虎二号』も、王女艇も無傷。空賊五艇のうち二艇は逃がしてしまったが‥‥まあ、二艇だけではそれほどの脅威にはなるまい。
フザロック直々の命令で、パトローは真っ先に王城に連行された。空賊の親玉ならば、内通者に関する情報を持っている可能性が高い。そう判断されたからである。当然、他の捕虜とも隔離された上で、拘禁される。
尋問にはわたしも立ち会った。狭い部屋の中で椅子に縛り付けられた上に屈強な王室警護隊員二人に押さえつけられたパトロー。床に脚を固定された小さなテーブル‥‥尋問室に固定されていない家具を置くのは非常識というものである‥‥を挟んで、腰掛けたシスティハルナ。彼女の後ろには、当然ながら守護天使のごとくエクス隊長が控えている。
システィハルナの名乗りを聞き、パトローがわずかに笑みを見せた。
「噂どおり、お美しい方ですな」
「レスペラ藩王国藩王フザロックの代理として、わたくしが尋問を行います」
誉め言葉にも動じず、澄ました顔でシスティハルナが言い放つ。
「書記がいないようですがね。たしかリンカンダムの法律では、書記による同時記録なしの尋問は、違法行為じゃありませんでしたっけ?」
パトローが、不敵な笑みを湛えたまま突っ込む。
「これは、犯罪者に対する尋問ではありません」
辛抱強く、システィハルナが答えた。
「状況証拠を総合すれば、あなたのことを外国の侵略軍の一員と見なすことも可能なのです。お分かりですか? その服は、どうみても軍用の飛行服ですよね?」
言われたパトローが、自分の格好を見下ろした。主要部に革を縫い付けた濃い緑色の、よく見かけるタイプの簡易な飛行服姿だ。左袖は大きく破けており、わずかだが血痕が付着している。
「武装飛行船にその服装で乗り組み、わが領土に侵入し、警察軍を相手に戦闘を行った。これは認めざるを得ないでしょう。そして‥‥」
システィハルナが言葉を切り、歯を見せて微笑んだ。
「あなたのその服には、国籍標識も所属部隊の徽章も階級章も一切付いていない。もちろん、飛行船にも同様の徽章は付いていない。となれば、空賊の可能性もありますが、いまのところわがレスペラは金品の要求も脅迫も受けてはおりません。したがって、あなたは空賊とすら認められないのです」
ほんのちょっとだけ、パトローの顔に動揺が走った。
「交戦国の軍人ではないから捕虜ではない。空賊とも認められないから通常の犯罪者でもない。ちなみに、レスペラ藩王国内は今のところ、リンカンダム中央政府によって交戦地域との宣言がなされています。公的にね。つまり、あなたは交戦地域で侵略行為を行ったにも関わらず、交戦資格のない人物となるわけです。国際法上の傭兵にも該当しませんね。‥‥要するに、戦時捕虜の扱いも国際法の保護もリンカンダムの民法も‥‥すべての法律法規の保護を受けられない身分なのです」
「なにを馬鹿な! わたしは地方政府の正規軍に所属している。徽章の不備は作戦上の必要によるものだ。戦時捕虜の待遇を要求する」
「だったら、それをこの場で証明してみせるんだな」
エクスが、絶妙のタイミングでぼそりと口を挟んだ。
「よかろう」
ワフ・パトロー元中佐の供述は実に一時間に及んだ。
彼が所属していたのは、タガレー共和国内の中堅軍閥(彼に言わせれば、地方政府だそうだが)のセンコ自治共和国。元タガレー飛行船戦隊大隊長の経歴を買われて、ヴィーカル製中古飛行船十五艇を与えられ、飛行船部隊の編成を命じられたのが、一年前のこと。資金は充分に供与する。ただし、軍閥軍とは完全に指揮統制を分離した独立部隊とすること、という条件がついていた。
元部下を集め、さらにあちこちから新兵を募り、なんとかものになる部隊が出来上がったのが、約三ヶ月前。目的がレスペラ攻撃と知らされ、それから二ヶ月ちょっとの時間を費やし、パトローは各所に物資集積場や出撃中継地点を作り上げた。そして‥‥。
「では、レスペラ攻撃の目的は?」
システィハルナが、ずばりと訊く。
「それは教えてもらっていない。とにかく定期的に攻撃し、打撃を与えろと言われていた」
「特になにか命じられてはいませんでしたか? 特定のレスペラ艇を撃墜するようにとか?」
システィハルナが続けて質問する。声は、いつもよりほんの少し高かった。
「そういう命令はあった。二回目の出撃の時だったな。とにかく、迎撃してきた艇は全部叩き落せと命じられた。なんとか罠にかけたんだが、すばしっこい艇がいて、逃げられたよ」
「では、肝心なことを訊きましょう。あなたは誰に雇われていたの?」
「まあ、直属の上官は自治共和国軍司令官のカカン将軍だ。命令は、すべてそこから来た」
「カカン将軍の上官は?」
「ルマトール首相さ。あんたらに言わせれば、軍閥の頭領だが」
「あなたのところに、レスペラの防衛戦略やその他の軍事情報が流れてきたはずですが?」
「ああ。来たよ。カカン将軍の副官が不定期に持ってきてくれた。簡単なメモだったな」
「どんな内容でした?」
パトローは尋問に協力的だった。彼の供述によれば、メモの内容は多岐に渡っていた。飛行船や対空火器の現状、人員の錬度や士官人事、主要な飛行船の出発時刻、弾薬備蓄について、など。
‥‥どう見ても、フレンス・オウラに探り出せる内容ではない。いささか詳細に過ぎる。
「情報の出所について知っていることを、全部話してください」
「知らん。おそらく、レスペラに間諜を潜り込ませてあるのだと思ったがね。メモは簡潔なものだったし、情報も常に新しかったから、無線電信で送られてきたものだと察しはついた。ただし‥‥」
「続けなさい」
言い澱んだパトローを、システィハルナが鋭い口調で促す。
「‥‥妙な指示があった。航空軍団の艇との交戦はなるべく避けるように、メモに書いてあったんだ。とりあえず指示には従ったがね。理由が判らないから、不審には思ったが」
システィハルナはさらに尋問を続けたが、内通者の特定に至るような情報は聞き出せなかった。
「いいでしょう。今日はこれで終わりにします」
すっかり疲れた表情で、システィハルナが立ち上がった。
「俺はどうなるんだ、王女様?」
「処置は中央政府に任せます。レスペラは、国際問題を背負い込むわけには行きませんから」
「じゃあ、このお嬢さんに預けられるのかな?」
パトローが、尋問のあいだ黙って突っ立っていたわたしを見上げた。
「あんた、リンカンダムの軍人だろ? 徽章からすると、航空軍団の大尉だな。そうか、あのけったいな罠を考えついたのも、あんただろう?」
「一応はね」
「何だったんだ、あの索をたくさんぶら下げた飛行船は? あれが噂に訊く空中機雷ってやつか? それとも無人飛行船か? 地上から、電気的に発動機の方向を変えて動くっていう? リンカンダム軍は、いつの間にあんな兵器を開発したんだ?」
「実はね‥‥」
わたしは許可を求めるかのようにシスティハルナを見た。彼女がかすかにうなずくのを確認してから、わたしは続けた。
「あれ、ただの気嚢だったのよ。地上で熱気を充分に注ぎ込んでから、タイミングを見計らって飛ばしただけ。索や煙ははったりよ。とにかく、あの森の上空で、あんた方の艇の速度を落としたかっただけ。ただ、それだけのものだったのよ」
「‥‥縛られてなきゃ、殴ってやるところだ。あんなものに、四人も殺されちまったのか!」
パトローが吐き捨てる。
システィハルナが、目顔でわたしを呼んだ。わたしは彼女のあとについて部屋を出た。背後で、エクスが静かに扉を閉めた。
「真の内通者が誰かを絞り込むことはできませんでしたが‥‥だいぶ裏事情が判明しましたね」
眉間に皺を寄せつつ、システィハルナが小声で言った。
「そうですね」
わたしはうなずいた。パトローに与えられた準備期間の長さと、部隊創設に関わる諸費用の大きさから推定すると、黒幕はまず確実にどこかの国家であろう。レスペラに打撃を与え、システィハルナを殺害することが戦略目標だったことは間違いあるまい。となれば、空賊の作戦目的はやはりレスペラ藩王国の体制に対する揺さぶりであろう。システィハルナが死亡し、フザロック藩王に無能の烙印が押されることになれば‥‥。
「真の内通者が、あのお方である可能性が高まりましたな」
エクスが、ぼそりと言う。
「ええ。残念ですが」
システィハルナが、嘆息した。