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蝶の記憶  作者: 高階 桂
15/22

15 夜襲

「大漁の予感、ってとこね」

 やや湿っている芝草の上に腹ばいになって双眼鏡を覗きながら、わたしはそうつぶやいた。

「大漁?」

 傍らのエクス隊長が、訝しげに訊く。

「港町生まれの言い回しよ。気にしないで」

「言いたいことは判る」

 システィハルナの天候予測はきわめて正確だった。朝方からしとしとと降っていた雨は、午後も半ばには霧雨となり、夕方には日没が拝めるほど回復した。今はすっかり晴れ渡り、満月に近い月が、あたりを照らしている。

 月明かりだけでは、集光率の高い軍用双眼鏡を使用しても、空賊の出撃中継地点となっている山間の平地の細部を見極めるのは無理であった。だが、係留してある四艇の飛行船のシルエットは、はっきりと確認できた。

「一艇に四人として、十六人。もとの人員が六人。しめて二十二人か」

「攻撃ルートは見つかったかしら?」

「俺の部下を信用しろ。‥‥そろそろ行こうか」

 エクスが身を起こす。わたしも、双眼鏡を丁寧にケースにしまうと、彼のあとに続いた。藪の中を掻き分け、三分ほどで本隊と合流する。

 エクスが、偵察結果をシスティハルナに報告する。

「よろしい。では皆さん、襲撃の刻限まで休息とします。ハヴィラン、念のために出撃中継地点とのあいだに警戒線を」

 システィハルナが、きびきびと命ずる。いつもの飛行服姿だが、今日は腰の左右に一丁ずつ拳銃を吊っている。

 作戦の前半は滞りなく終了していた。三艇ともトラブルなく発進、あらかじめ指定した場所に着陸し、事前に徒歩で密かに集結していたエクス隊長とその部下たちを乗せ、再び舞い上がった。夜間にも関わらず、天測と地文とコンパスを利用した航法も順調で、システィハルナが指示する場所に着陸、無事に係留も終え、そして今事前偵察も成功裏に終わった。

 わたしは一本の広葉樹‥‥海育ちなので、山地の植物には詳しくない‥‥の根元に居場所を定めた。サンヌが、傍らに座り込む。

「うまいこと行くかね?」

「たぶんね‥‥って、心配している割に、やる気満々じゃないの」

「まあね」

 照れたように、サンヌが笑う。彼女はさながら歩く戦列艦だった。王室警護隊の武器庫から借り出した歩兵銃と銃剣、航空軍団の官給拳銃、愛用のナイフ。加えてゴンドラ内備品の手斧まで腰に挿している。

 夜襲に参加するのは、システィハルナ、エクス隊長とその子飼いの部下八名、古めかしい鳥撃ち銃を持参したリュレア、それにわたしとサンヌの合計十二名。ティリング少尉とレスペラ艇の乗員ニ名は、飛行船の係留場所で待機する手筈だ。

 わたしは歩兵銃を点検した。原理的には、旋回銃も歩兵銃も構造は同一である。弾薬筒を薬室に入れて閉鎖し、雷管キャップを点火口に填めて撃鉄を起こし、引き金を引く。撃鉄が雷管キャップを叩き、発火させる。次弾を放つには、薬室を開き、新たな弾薬筒を挿入して閉鎖、撃発した雷管キャップを新しいものに取り替えてから撃鉄を起こす、といった一連の作業が必要となる。

 航空軍団の制式兵器にも、当然歩兵銃は採用されている。飛行船搭乗員も訓練は受けているし、わたしも射撃は上手い方だ。細部まで点検し満足したわたしは、少しでも休息を取ろうとくつろいだ姿勢になった。


 『夜襲は戦術的奇襲の一形態に過ぎない』‥‥士官学校で学んだ教科書には、確かそう書いてあった。

 わたしとサンヌに与えられた任務は、飛行船の確保であった。エクス率いる本隊が、出撃中継地点の東の端にあるテント群を制圧、システィハルナとリュレア、それに兵士一名からなる援護部隊が、絶好の狙撃位置である崖の上で待機。その間、わたしとサンヌは係留場へと走り、飛行船に空賊を近づけないようにする。旋回砲は、対人用としては不向きである‥‥発射速度が遅く、威力がありすぎる‥‥が、抑えておくに越したことはない。

「行けっ」

 エクスの号令で、兵士たちが走り出す。わたしとサンヌも、着剣した歩兵銃を手に走り出した。係留場に見張りはいない‥‥はずだった。

「おい、何してる!」

 走り寄るわたしたちに向け、誰何すいかの声が掛かった。一艇のゴンドラの中からだ。そこで寝ていたのか、あるいは見張りだったのか。

 わたしたちの背後から、ぱんぱんと小火器の発砲音が聞こえる。エクスたちが発砲しているのだ。暗闇に慣れていた眼に辛うじて見えていた人影が、すっとゴンドラの中に引っ込んだ。わたしとサンヌはほぼ同時に立ち止まり、歩兵銃を構えた。相次いで発砲する。

 ゴンドラはいわば籐製の巨大な編み籠である。防弾性能など、まったくと言っていいほど備えていない。

 男の悲鳴。

 わたしとサンヌは手早く次弾を装填した。周囲に気を配りながら、ゴンドラに接近する。気配は、ない。

 わたしはサンヌに援護するように合図すると、歩兵銃を顔の前に構えて内部をひょいと覗き込んだ。空賊は、ゴンドラの床に突っ伏していた。銃剣の先で、突いてみる。‥‥絶命しているようだ。

「そっちをお願い」

 空賊が死んだことを身振りで伝えたわたしは、サンヌにテント群の方角を警戒するように命じた。エクスらが捉え損ねた空賊がいれば、こちらへと逃げてくる可能性が高い。

 わたしは歩兵銃を構えなおすと、飛行船を一艇ずつチェックした。まだどこかに空賊が隠れているかもしれない。

 前方に、気配。

 わたしは足を止めた。歩兵銃を構え、慎重に闇の中を透かし見ようとする。

 と、突然その闇の中から人が躍り出てきた。わたしは慌てて引き金を引いた。

 命中の手ごたえはあった。だが、人影はわたしに向かい突進してきた。‥‥大男だった。手には、刃渡りの長い曲刀が握られている。

 わたしは大声でサンヌを呼ばわった。斬りつけてくる男の右手を注視し、銃剣をその手首めがけて叩きつける。狙いはわずかに逸れ、銃剣は曲刀の刀身を叩いた。男の手から、刃物が弾き飛ばされる。

 だが、男の突進までは止めることが出来なかった。

 男の巨体が、わたしの身体に接触する。すさまじい衝撃だった。さしずめ、全速力で走りながら壁にぶち当たったかのような。

 足が二本とも中に浮いた。次の瞬間、背中に衝撃が来た。地面に押し倒されたのだ。次いで、男の身体がわたしの上にのしかかってきた。‥‥肋骨が一本残らず折れたのではないか、というくらいの衝撃が、わたしの上半身を襲った。

 ろくに息もできぬまま、わたしはもがいた。歩兵銃はどこかに飛ばされていた。

 訓練された歩兵ならば、ここで冷静に腰に帯びた拳銃を抜くのであろう。だが、わたしが近接格闘の訓練を受けたのは遠い昔のことであり、おまけにその成績はお世辞にも良好とは言いがたいものだった。半ばパニックに陥っていたわたしは、ただ闇雲に男の身体の下から抜け出そうと暴れた。

「大尉!」

「こっち!」

 サンヌの声に、わたしは悲鳴にも似た声で応えた。

「退きやがれ、このでかぶつ!」

 サンヌの声が、すぐ間近で聞こえる。

「早く! 撃って!」

 わたしはなおももがいた。努力の甲斐あって、上半身が少しだけ自由になる。

「大尉?」

 やけに冷静な質問口調で、サンヌが訊く。

「早く! 撃ちなさい!」

「なにを撃ちゃいいんだい、大尉?」

 さらに冷静な口調で、サンヌ。

 わたしもそこではっと気付いた。‥‥大男が、一向にわたしを攻撃してこないことに。

「‥‥死んでるの、こいつ?」

「おそらくね。ぴくりとも動いてないよ」

 わたしは、サンヌの手を借りて男の身体の下から這い出した。男は絶命していた。‥‥わたしが放った銃弾が、運良く急所に命中したのだろう。おそらくその時点で即死していたに違いない。あとは惰性でわたしにぶつかり、押し倒したのだ。

「怪我は?」

「ない、と思う。たぶん」

「少尉には、黙っといてやるよ」

 闇の中でも、サンヌが爆笑寸前である気配は、充分に伝わってきた。

「ありがとう」

 ‥‥またひとつ、サンヌに弱みを握られてしまった。


 戦闘は、いともあっけなく終わった。エクスの部下は精鋭であり、容赦がなかった。抵抗の気配を見せた空賊は、たとえ丸腰であっても射殺された。捕虜になったのは、無抵抗を貫いた三名だけであった。こちらに出た負傷者は僅かに二名。‥‥うち一人は言うまでもなく、軽い打撲傷を負ったわたしである。もう一人は、空賊が盲射した一弾に上腕を撃ち抜かれていた。出血はひどかったが、骨は逸れていたし、命に別状もない。

 わたしたちはいくつもの篝火かがりびを焚くと、戦利品を集め始めた。書類の類、発動機部品、旋回砲の弾薬の一部などが、分捕ることを決めた飛行船の中に運び込まれる。本当ならばすべての飛行船を鹵獲したいところだが、レスペラまで飛行させるだけの乗員がいなかったし、仮に移動させたとしても、操舵手自体が不足しているのだから戦力にはならない。残る武器は、すべて貯えられているガソリン缶のところに運ばれた。

 わたしとサンヌ、システィハルナは、残る空賊艇三艇の旋回砲と発動機をすべて外した。連絡を受けて待機場所から飛来した『紫の虎』とレスペラ艇に、それらを積み込む。

 捕虜を乗せるだけの余裕がなかったので、簡単に尋問し、捕虜宣誓の真似事をさせた上で、備蓄してあった食糧を持てるだけ持たせて解放した。水は得られるし、いずれ仲間が来て救出されるだろう。

 帰還の準備を終えたわれわれの四艇は、離陸した。充分に離れたところで、乱雑に並べたガソリン缶めがけて、リュレアが旋回砲を放つ。

 すべてが燃え上がった。オレンジ色の火柱を置き土産に、われわれはレスペラへの帰途についた。


用語解説 捕虜宣誓/戦時捕虜に対し、解放する代償として一定期間軍務に復帰しないなどの条件を誓わせること、ないしはその宣言。

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