14 密談
システィハルナの呼び出しがあったのは、翌日の朝食後のことであった。
かしこまった席ではない、とのことなので、わたしは通常軍装のままで迎えの馬車に乗り込んだ。王城に着くと、ハヴィラン・エクス隊長が出迎えてくれた。案内されるままに歩く途中で、エクスがわたしの耳もとに口を近づけ、一昨日の戦果を小声で誉めてくれた。‥‥どうやらこの男、礼や誉め言葉をおおっぴらに口にするのが苦手らしい。
「こちらへ」
エクスが最終的に連れて行ってくれたのは、石造りの急な螺旋階段の下であった。どうやら、例の無用の長物と化している塔の基部らしい。
「最上部で、殿下がお待ちです」
エクスが告げ、螺旋階段の下で立哨の態勢に入った。わたしはちょっとだけためらってから‥‥百段近くあるのではないだろうか‥‥右回りの階段を上り始めた。随所に分厚いガラスをはめ込んだ明かり取りが設けられていたものの、そこは薄暗く、埃臭かった。‥‥夜中には絶対に登りたくない階段である。
わたしは、段数を数えるのを五十で諦めた。代わりに足を止め、一息入れる。もちろん一気に登り切るだけの体力はあるが、上で待っているシスティハルナの前に荒い息遣いで現われたくはない。‥‥ちょっとした、プライドの問題である。
登攀再開から三十段前後登ったところで、戸口が見えた。扉のない、素っ気ない木枠だけのものだ。わたしは最後の一段を残したところで足を止め、内部に声を掛けた。
「殿下、フォリーオです。お招きにより参上いたしました」
「どうぞ、入ってください」
システィハルナの返答が聞こえる。わたしは最終段を踏みしめ、戸口をくぐった。
塔の最上部は、なんと『紫の虎』のゴンドラなみに狭かった。四方には大きな長方形の開口部があり、そこから光が差し込むので戸外とほとんど変わらぬ明るさだ。床は板張りで、天井はなく、円錐形の屋根を支える梁が剥き出しのまま複雑に交差している。四隅には、壁に造り付けの狭い木製ベンチ。
今日のシスティハルナの装いは、簡素な白いドレスだった。スカート丈は足首がはっきりと見える程度。おそらくは、彼女にとっての普段着と言うところだろう。履物は、凝った造りの革のサンダルだ。
「今日はいいお天気ですけれど、明日は雨になりますわよ」
開口部から外を眺めながら、システィハルナが言った。わたしは進み出て、彼女の隣に並んだ。
「明日は雨ですか‥‥」
わたしは内心首を傾げた。一応、飛行船砲手教育課程には気象学の講座もある。いささか雲が多い‥‥雲量三というところか‥‥が、現在の天候は晴れだ。その雲も、白っぽい中層の雲ばかりで、天候の悪化を予感させるようなものではない。
「あそこ、ご覧になって」
システィハルナが指差す先、手前の低い山並みの向こう側には、ひときわ目立つ鋭角的な孤立峰があった。慎ましい裸婦像がシーツで腰部を隠すような感じで、中腹のあたりに真っ白な雲をまとわりつかせている。
「あの山に雲が掛かっているときは、たとえ晴れていても明日は雨になるのです。今の季節だと、一日中降り続くことはありませんね。日暮れまでには、止むでしょう」
「左様ですか」
わたしは気のない返答をした。‥‥天候の話をするために、わざわざ呼び出したのではあるまい。
「ここに初めて登ったひとは、たいてい景色の見事さを口にするのだけれど‥‥飛行船乗りには珍しくもなんともないわね」
システィハルナが、微笑む。やや寂しげな笑みだ。
「美しいことは確かですが‥‥」
「座りましょうか」
システィハルナが言い、ベンチに腰を下ろした。傍らの背板を叩き、横に座るように勧める。わたしは一礼すると、そこに座った。
「ここは王城の中で唯一安全な場所です。階段の下はハヴィランが固めているし、壁面をよじ登るのも無理。盗み聴きされる心配はありません」
やや声を潜めて、システィハルナ。
‥‥では、内密の相談というわけか。
「ここ三日ばかりのあなたの言動と、昨日の朝のお話を聞いて、あなたは信頼できる人物だと判断しました。単刀直入に申し上げますが、ぜひともレスペラのために、わたくしとともに戦っていただきたい」
「もちろんです、姫様」
「そうではないのです」
システィハルナが、眉根を寄せる。
「いまのあなたのお返事は、リンカンダム王国軍人としての返答でしょう。そうではなく、エルダ・フォリーオ個人として、わたくしに協力していただきたいのです」
‥‥政争にでも巻き込もうというのか?
わたしの怪訝な表情を見て、システィハルナがふっと小さくため息をついた。妙に色気のある仕草だった。
「最初から詳しくお話しましょう。今回の一件の裏事情を‥‥」
空賊の目的はシスティハルナの殺害にある。そう、彼女は考えていた。
二回目の襲撃は明らかに罠であった。誘いを掛ければ、操舵の腕に覚えのあるシスティハルナが自ら出撃すると踏んだのだ。僚艇の捨て身の行動でシスティハルナは窮地を脱するが、運が悪ければ山中に屍を晒していたことは間違いない。
市民の動揺を避けるために公表されていないが、その直後にシスティハルナの乗る飛行船に爆薬が仕掛けられたことがあった。予備のガソリン缶を動かすと爆発する仕掛けになっており、空中で起爆すれば乗員全員即死は免れない。幸いこれも、事前に乗員に発見され、事なきを得た。これ以後、システィハルナはすべての飛行船の警備を強化した。
さらに五日前には、再び空中で罠が仕掛けられた。現われた空賊艇があっさりと遁走、追尾したレスペラ艇の前に新手が出現する。だが、罠であることを予期していたシスティハルナはすぐに離脱し、空賊側の思惑は頓挫した。
「言っておきますが、単なる被害妄想ではありません」
きっぱりと、システィハルナ。
「単にレスペラの航空戦力を潰したいのであれば、連日大量出撃を続けてこちらを消耗させればいいだけのこと。それだけの戦力はあるはずなのにね。にもかかわらず、ちまちまと罠を仕掛けてくる。これはもう、わたくしを暗殺ではない形‥‥事故死か、戦死として亡き者にしようとしているとしか思えません」
「暗殺ではない形‥‥」
「自慢ではありませんが、ハヴィラン率いる王室警護隊は優秀です。有能な刺客を送り込めば、わたくしの暗殺は不可能ではないでしょう。しかし、実行犯はまず間違いなく捕らえられます。そうなれば、暗殺を命じた者は確実にあぶり出されるでしょう。誰がわたくしの死を望んでいるかは知りませんが、その正体を絶対に明かしたくはないのでしょうね」
「でも、何のために殿下のお命を‥‥」
「判りませんわ。でも、こう見えても藩王位継承権第一位ですからね。殺すだけの価値はあるのかも知れない」
システィハルナの冷笑は、それはそれでかなり美しかった。
「それって‥‥まさか」
「叔父上や叔母上を疑っているわけではありません。まあ、完全に潔白とは言い切れないけど」
やや寂しげに、システィハルナ。
レスペラの藩王位継承権は、男女問わず直系が優先される。その次に来るのが弟か妹、そしてその直系だ。したがって、第一位は現国王フザロックの娘システィハルナ、第二位が妹のセレスタ、第三位が末の弟のヤラムとなる。第四位はセレスタの息子サリュシオン。第五位と六位が、ヤラムの双子の娘。七位がまだ赤ん坊の息子。直系が優先されるから、将来システィハルナが子をなせば、その子が第二位となる。
「いずれにしても、いまだ空賊から金品の要求はありません。となれば、彼らの目的はこのレスペラそのものなのかも知れない。そう考えると、お父様やわたくしの存在は邪魔でしょう。殺害を狙ってもおかしくはない」
「それはそうですが‥‥」
レスペラ藩王国には乗っ取るだけの価値があるのだろうか。確かに豊かな国である。自給に充分なだけの農産物。鉄鉱石を始めとする鉱物も豊富だ。石油すら出る。しかし、陸路が通じていないためにそれら産物を他の地域へ運び出すことが困難だ。商業的価値は薄い。
独立国家とするか。中央山岳地帯の奥深い場所という隔絶の地ゆえに、リンカンダムがレスペラの独立宣言に対しさしたる反応を示さない可能性はある。それならば、乗っ取る価値はあろう。王族を殺害し、あるいはそのうちの誰かと結託し、警察軍を解散させ、市民を屈服させる。
どこかの追放貴族か革命家が自前の国家を求めているのだろうか。そういえば、以前に西方洋の島嶼が犯罪者集団に乗っ取られたことがあった。独立国家を名乗り、各国で手配されている犯罪者を金銭と引き換えに亡命させるという商売を始めたが、結局多国籍で編成された派遣艦隊の前にあっさりと降伏させられた。今回の一件は、その山岳地帯バージョンなのか?
わたしは考え込んだ。いずれにせよ、情報が少なすぎる。
‥‥まてよ。情報といえば‥‥。
「姫様、一昨日の捕虜からなにか情報は得られていないのですか?」
「捕虜ね」
くすくすと、システィハルナが笑う。
「根っからの軍人なのね。まあ、いいでしょう。尋問によれば、いくつか興味深い情報が得られたわ。三人ともタガレーの元陸軍軍人で、なかでも操舵手は大戦の頃からタガレー陸軍飛行船隊にいたらしいの。お金で雇われているだけの連中ね。空賊を指揮しているのは、ワフ・パトローという名の元タガレー陸軍飛行船隊の中佐。彼らによれば、パトロー元中佐もお金で雇われただけ。指令と資金がどこから出ているかまでは、知らないそうよ」
「タガレーのどこかの軍閥でしょうか?」
「たぶんね」
‥‥もしタガレーの軍閥のひとつがレスペラを狙っているとしたら‥‥。
窮地に陥った軍閥が、避難先としてレスペラを乗っ取ろうとしているのか。いや、そんな弱小軍閥が何艇も飛行船を運用し、遠くレスペラに攻撃を掛けてくるというのも理屈にあわない話である。あるいはわざとリンカンダム王国とのあいだに紛争を引き起こそうというのだろうか。どこか‥‥リンカンダムと国境を接する非友好国の差し金で。ひょっとすると、ヴィーカル連合王国やドングル海沿岸協商諸国の中の一国が裏で糸を引いているのだろうか。平和になったとはいえ、いまだわがリンカンダム王国には敵が多い。
大陸のほぼ中央にある小さな藩王国。このレスペラに、何らかの特殊な利用価値を見出した勢力が、乗っ取りを企んでいるのだろうか。空路で運び出しても儲けの出る産物‥‥金や宝石の鉱脈でも見つかったのであればありえるが、そのような事柄をシスティハルナが隠しているとも思えない。
「ではそろそろ、本題に入りましょうか」
システィハルナが、わずかに居住まいをただし、わたしの眼をまっすぐに見た。
「レスペラ内の内通者はかなり高位の人物だとわたくしは見ています。あなた方がいらした時も、その出発時刻は極秘だったのにもかかわらず、絶好の位置で待ち伏せを受けた。警察軍幹部か、政府の上層部に誰か内通者がいるはずです。どこかに無線電信機を隠し、密かに空賊側と連絡を取り合っているはずですわ」
「では、いったい誰が‥‥」
「容疑者が多すぎます。リストから外していいのは、お父様とハヴィランくらいね。あとの人は‥‥ヤラム叔父様から警察軍の尉官クラスまで全員が怪しいと見なければなりません」
システィハルナが、肩をすくめる。
「そこで相談なのですが‥‥わたくしに協力していただけません? リンカンダムの軍人であり、よそ者であるあなたとその部下ならば、空賊に内通している可能性はない。無条件で、信頼できるでしょう」
「それは‥‥構いませんが」
わたしはちょっとためらった。指揮系統はどうなるのだろう? あとあと法的に問題を生じないだろうか?
「で、具体的に何を‥‥」
「例の‥‥捕虜から、空賊の出撃中継地点の位置に関する情報を得ました。そこを、襲撃したいのです」
「もうすでに引き払ったのではありませんか?」
内通者が有能ならば、空賊が捕虜になったことはとっくに連絡されているはずだ。となれば、もう撤退が始まっているだろう。
「そこを逆手に取るのです。すでに、わたくしを含めた一隊が、明後日出撃中継地点を襲撃するという作戦を立案しました。内通者を通じて空賊がそれを知れば、罠に掛ける絶好の機会と捉えるはずです。おそらく、空賊はその出撃中継地点に戦力を集中させるでしょう。わたしたちは裏をかいて、明日の夜襲撃するのです」
「夜ですか?」
「出発は日没後に、夜間行動訓練と称して行います。三艇すべてを投入。レスペラから充分離れた地点で、兵士を同乗させます。目標の至近で着陸。徒歩で接近、夜襲を仕掛けます」
「敵情が充分につかめない状況での夜襲は危険です」
「捕虜によれば、通常は地上要員六名がいるのみだそうです。火器は歩兵銃程度。ガソリンと灯油の備蓄がかなりの量。無線電信はなし。うまくいけば、複数の飛行船を地上で破壊できるかも知れません」
「徒歩での接近にも賛成しかねます。下手をすれば、迷ってしまいますわ」
わたしはそう指摘した。事前偵察なしの少人数による夜襲など、正規の精鋭奇襲部隊にとってさえ困難な任務である。
「地理は判っています。案内人もいますから」
システィハルナが、自信ありげに言い放つ。
「実はこの場所は、あの辺りでは珍しく平らな処で、良い水場もあるのでわたくし自身何度か着陸したことがあるのです。空賊のいる場所から死角になる位置に好適な着陸場所がありますし、そこから尾根伝いに歩けば迷う心配もありません」
「‥‥えーと、あと法的な問題が残っています。わたしの所属はあくまで第二連隊にあり‥‥」
「正式な要請があればよろしいのでしょう?」
システィハルナが、勝ち誇ったような笑みを見せると、懐から折り畳まれた二枚の紙を引っ張り出した。
「こちらが、陛下がハヴィラン宛に出した、本作戦に対する命令書。建前上、彼が指揮官となります。そしてこれが、レスペラ派遣群に対する作戦参加要請書。警察軍は藩王に隷属する組織です。お父様のサインと国璽があれば、怖いものなしですわ」
「はあ」
いずれにしろ、他に選択の余地はなかった。わたしは参加を確約すると、螺旋階段を下りた。‥‥罠に嵌められたような気がしたが、このまま来襲する空賊を追い払っているだけでは埒があかないのも事実である。賭け事は苦手だが、この作戦はやってみる価値はあるだろう。‥‥たぶん。