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蝶の記憶  作者: 高階 桂
13/22

13 茶話

「おや、大尉。お久しぶりですね」

 王城の通廊でばったり出くわしたのは、サリュシオン王子だった。

「‥‥どうでしょう、お茶でもいかがですか?」

 サリュシオンが、感じのいい笑顔で誘いの言葉を口にする。

 別に急ぎの用事があるわけでもないし、マザコンとの噂があるとはいえ向こうはなかなかハンサムな王子である。ここは誘いを受けるのが女の常識というものだろう。うまくいけば玉の輿、などということはないだろうが、王族の一員を味方につけると言うのは悪くない。

「ありがとうございます、殿下。ご馳走になります」


 侍女が注いでくれたお茶を、慎重にすする。

「おいしいですわ」

 わたしはちょっと媚びたような笑顔をサリュシオンに向けた。

「それで、今日は何の用事で王城に?」

「連隊への定期報告です。電信室を、お借りしました」

「そうですか。‥‥どうです? 今回の一件、いつごろ終結しそうですか?」

「難しいご質問ですね。ご存知のように、空賊側からいまだ金品の要求などは一切届いていないのが現状です。つまり、空賊の戦略目的が不明なわけです。レスペラへの襲撃という戦術行動を根本的に阻止するには、空賊側の戦略目的を知り、その戦略そのものを蹉跌させるような戦略をこちらが採用し、それに沿った戦術を展開しなければ‥‥」

「ちょっと待ってくれ」

 サリュシオンが、苦笑しつつわたしの話を遮った。

「ぼくは軍事に関しては素人だ。というより、素人以下といってもいい。戦術だ戦略だと言われても理解できないよ。もっと端的に、あと一ヶ月くらいで終わりそうだとか言って欲しいのだが‥‥」

「正直申し上げまして、見当がつきません。申し訳ありませんが」

 わたしはそう答えた。サリュシオンが嘆息する。

「そうか。ぼくの専門は経済だ。君も感じていると思うが、いまレスペラの経済情勢は悪化しつつある。レスペラ自体はもともと豊かな土地だ。農産物は豊富だし、石油も産出する。付近には、鉄鉱石や錫鉱石、銅鉱石の鉱脈もある。もっとも、域外に運び出す方法が空路しかないから、たとえここで精製したとしても、採算はあわないがね。‥‥もちろん、すべての物資を自給できるわけではない。布地、機械部品、乾燥海産物、一部の農具、書籍、その他の豪奢品などは継続的に移入する必要がある。その対価として支払う紙幣を獲得するための唯一の手段が、ワインなど単価の高い生産物を域外へと販売するルートの確保だ。現在のところ、その空路は空賊によって閉ざされている」

 サリュシオンがいったん言葉を切り、お茶をすすった。

「義勇軍に労働者を取られているために、労働力の不足も発生している。負傷者が職場を離れていることも痛い。このままの状態が半年も続いたら、国有財産の取り崩しを始めなければならない羽目に陥るだろう。‥‥まあ、君に愚痴っても仕方ないがね」

「リンカンダム王国軍人として、努力します」

「別に君を責めているわけじゃないよ」

 ぱたぱたと、やや子供っぽい仕草で、サリュシオンが手を振って否定する。

「ただ‥‥本当に、わがレスペラは危機的状態を迎えつつあるのだ。それだけは、判っていて欲しい」

「はあ」

 わたしは気まずい思いでお茶を味わった。

「それと‥‥一番気になるのが、子供たちのことなのだ」

「子供‥‥ですか」

「怯えているんだよ。空賊が来襲するたびに」

 サリュシオンが、身を乗り出す。

「もともとレスペラの子供は明るいんだ。小さく平和で安全な地域社会だからね。今度の一件で、子供たちのほぼ全員が、身近な人物が負傷したり亡くなったりしている。親兄弟、親族、近所の住人、友人の親兄弟‥‥。どれほど心に傷を負っていることか」

「ええ。よく判ります」

「頼む、大尉。君と君の部下が精一杯努力しているのは承知しているが、それでもあえて頼む。子供たちのために、空賊を撃退してくれ」

「はい。必ずや、警察軍と協力して空賊を駆逐してごらんにいれます」

 サリュシオンの勢いに押され、わたしはなんともおぼつかぬ約束をしてしまった。


「子供想いのマザコンねえ」

 サンヌが感想を述べる。

 夕食は牛肉のシチューがメインだった。肉も野菜も大きな塊ごと入っているいかにも手作りといった料理で、味の方もなかなかのものだ。

「で、お茶飲んだだけで帰ってきたのかい?」

「あたりまえでしょ。言っときますけど、マザコン男を魅了できるほどの歳じゃないわよ」

 言い返したわたしの台詞を聞いて、ティリング少尉がぷっと吹き出す。

「で、そちらの首尾は?」

「問題なしです。きれいなものでしたよ」

 ティリングが、答えた。

 わたしがこまごました用事をこなしている間に、ティリングとサンヌは『紫の虎』の発動機を予備の物に取り替え、外した方の野外分解清掃を行ったのだ。五四式発動機はアマツバメ級以外の軍用飛行船にも採用されている優秀な発動機であり、民生用タイプも広く販売されている。しかしやはり機械である以上、定期的な点検と清掃は必須である。本来ならば、整備班の仕事ではあるが、いまだ到着していない以上、自前でやるしかない。

「空賊がたまにしか来ないから、助かってるけどね」

 茹で野菜にフォークを伸ばしながら、サンヌ。

 わたしはうなずいた。

 一般的に機械というものは、その部品の数が多いほどデリケートである。そしてその故障しやすさは、可動部品の数に比例すると言っていい。さらに、機械の整備に要する時間は、その機械がより過酷な使われ方をされればされるほど増大する。

 戦場における軍用飛行船の発動機は、過酷な使用の見本例と言える。連続しての稼動。燃焼するガソリンの高温。出力の急激な増減。埃や雨滴の付着。さらに、乱暴な扱い。

 これを支えるのが、整備班である。幸い、レスペラ側が提供してくれた地上作業員の中に発動機整備を行える者が複数いるから、一般的なメンテナンスは任せることが出来るが、野外分解清掃‥‥簡単に外せる部品を外して洗浄する作業‥‥となると、やはり五四式発動機に慣れた者でなければ行えない。そして稼働時間が長ければ長いほど、これら作業の回数も増やさざるを得ない。もし一日二回出撃があったとしたら、三日と持たずに予備の発動機まで動かなくなった上に、ティリング少尉が過労でぶっ倒れてしまうだろう。さらに、本格的に行われる発動機解体整備と磨耗した可動部品の交換は、ティリングの手には負えない。いずれにせよ、テリアー曹長率いる整備班が近いうちにレスペラ入りしなければ、『紫の虎』は『格納庫の女王』と化すだろう。


「サリュシオンといい仲になったんだって?」

 最初の一杯が半ばまで減ったあたりで、フィーニアがそう訊いた。

 わたしは唖然としてグラスを置いた。

「どこでそんなデマ聞きつけてきたの?」

「王城じゃ、誰でも知ってるわよ。二人っきりで、一時間ばかり過ごしたそうじゃないの」

「十分ばかりお茶を飲んだだけよ」

「やっぱりね」

 フィーニアが、笑った。

「どう見ても、サリュシオンの好みじゃないものね、あんたは」

「‥‥うるさい」

 わたしは干したグラスをフィーニアに突きつけ、お代わりを要求した。

「で、捕虜にした空賊艇の乗員から、なにか有用な情報は得られたの?」

 ブランデーを注ぐフィーニアに、わたしは尋ねた。

「‥‥聞いていないわ。残念だけど」

 几帳面に瓶に栓を施しながら、フィーニアが答える。

「警察軍で尋問してるんじゃないの?」

「まさか。捕虜を確保してるのは王室警護隊よ。システィハルナ王女直々の指揮でね。エクスのやつが締め上げているところだって、もっぱらの噂だわ」

 そう言ったフィーニアが、急に声を潜めた。

「ねえ。システィハルナはいったい何を企んでいるの? あんた、だいぶ殿下に気に入られたみたいだから、なにか聞いてるんじゃないの?」

「‥‥聞いていないわ。残念だけど」

 わたしは、先程フィーニアが言った台詞をそっくりそのまま彼女に返した。

「結構、ぎくしゃくし始めているのよね。殿下と警察軍の関係が」

 胡瓜のピクルスにかぶりつきつつ、フィーニア。

「法制上は、システィハルナには何の権能も与えられてはいないのよ。操舵手として、自発的に義勇軍に参加している、というだけでね。作戦会議に顔を出すのも、あくまで陛下の非公式な個人的助言役として認められているからに過ぎない。さすがに警察軍の方針に口を出すことはないけれど、様々な面で影響力を及ぼしていることは確かね。問題は、王室警護隊よ。システィハルナは完全にエクス隊長を飼い馴らしているわ。口さがない警察軍士官の中には、王室警護隊はすでにシスティハルナの私兵と化しているとまで言う者がいるくらいよ」

「‥‥否定はできないわね」

「その王室警護隊が、裏でこそこそと動いているのよ。警察軍に何の相談もなしにね」

 いまいましげに言ったフィーニアが、指についたピクルスの汁を舌で舐め取る。

「推測だけど、内通者を探してるんじゃないかしら」

 わたしは、システィハルナと昼食をともにした時のことを手短に話した。

「‥‥はっきりとした返事はもらえなかったけど、おそらく殿下も内通者がいると考えているはずだわ。そうしなければ、辻褄が合わないもの」

「ふうん」

 フィーニアが、不満げな相槌をうつ。

「‥‥ここだけの話だけど、ぎくしゃくしているのはシスティハルナと警察軍の関係だけじゃないわ」

 ややあって、フィーニアが続けた。

「実は、警察軍と陛下のあいだにも、不協和音が生じているのよ」

「‥‥そうなの?」

「今回の空賊騒ぎで、明らかにフザロック陛下の威信は低下したわ。警察軍内部でもね」

「‥‥クーデターでも起きるってんじゃ、ないでしょうね」

「まさか。そこまでは行かないわよ」

 笑って、フィーニアが否定する。

「でも、対応が後手にまわったことや、システィハルナの越権行為ともとられかねない動きが、警察軍幹部の不満を増幅させていることは確かね。今度の一件の結果と、中央政府の出方次第では、政変の可能性がないことはないわ」

「それって‥‥フザロック陛下の退位とか?」

「ありえない話じゃないわ」

「じゃあ、継承権一位のシスティハルナが、藩王位につくわけ?」

「まだ若いから、おそらくはヤラム王子が後見役についてね」

「はあ‥‥」

 わたしは唖然としてグラスを置いた。あのあどけなささえ残る可愛らしい少女が、藩王とは。まあ、大陸中探せば十代の国王がいないことはないし、彼女は年齢の割にはしっかりしていると思えるので、務まらないことはないと思うが‥‥。

「ねえ。本当に、そんな事態になると思う?」

「判るわけないじゃない。今回の一件、どんな形で決着がつくか見当もつかないし、リンカンダム中央政府がそれに対しどう動くかなんて、予測すらできないもの」

 左肩だけをすくめるという器用な動作をしながら、フィーニア。

「まあいいや。飲もうよ」

 彼女は破顔して、自分のグラスにブランデーをどぼどぼと注いだ。



第十三話をお届けします。アクセス数が低空飛行中‥‥気嚢に穴でも開いているのでしょうか(笑) 用語解説 格納庫の女王/故障しやすい、あるいは他の機体に比べて整備に手間がかかるなどの理由で、常に格納庫の奥に鎮座している航空機を揶揄した表現

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