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蝶の記憶  作者: 高階 桂
10/22

10 工作

 翌朝食事を済ませたわたしは、ひとりで係留場に赴いた。

 すでに『レンゼルブ夫人』には作業員が取り付き、ダルムド市に戻るための出発準備に掛かっていた。気嚢の穴は、昨日のうちに塞がれている。わたしはそれを横目で見ながら『紫の虎』に向かった。夜通し警備についていたらしい警察軍兵士二人‥‥こちらは義勇兵でなく、正規の兵士だった‥‥が、眠そうな顔で出迎えてくれる。わたしは労いの言葉を掛けてから、手早く『紫の虎』の状態をチェックした。問題はないようだ。気嚢に充分な熱気が入りさえすれば、いつでも飛び立てる状態である。

 満足したわたしは、『レンゼルブ夫人』に向かった。船長に、テリアー曹長宛の手紙を差し出す。あとで思いついた、レスペラでは手に入りにくい物品のリストである。

「一応、軍事郵便扱いですから」

「商売にはならない、ってことだな」

 いやそうな顔で、船長が応じる。法律上、軍事郵便は切手なしでも届くし、それを託された事業者は特に理由がない限り、無報酬で最寄りの郵政当局ないし軍の出先機関に届けなければならないのだ。

「開封もしないように。最悪の場合、間諜の罪で死刑よ」

 冗談だとはっきり判るように、歯をむき出す笑顔を見せながら、わたしは手紙を船長に手渡した。

 一仕事終えたわたしは、散歩を兼ねて周囲の放牧場をぶらぶらと歩き回った。さすがに中央山岳地帯だ。空気はひんやりとしている。昨晩も思ったより冷え込み、わたしは消灯してからごそごそと起き出して、戸棚から予備の毛布を引っ張り出したほどだ。

 歩くことに飽きたわたしは、放牧場を仕切る柵に腰掛け、『レンゼルブ夫人』の出発準備の様子を眺めた。気嚢はすでにほぼ一杯に膨らみ、乗員が最終点検に忙しい。見送りなのか、あるいは急に貨物を託したくなったのだろうか、ひょっとすると単なる野次馬か、十数人の市民がそれを取り巻いている。

 眺めているうちに、わたしはその中に見知った顔があることに気付いた。あの多弁な翻訳官、フレンス・オウラだ。郵便物の運搬でも頼みに来たのだろうか。

 わたしはしばし思案した。彼も一応人脈である。好みのタイプではないが、今現在警察軍幹部とわれわれの関係は冷ややかである。嘱託とはいえ形の上では政府の人間なのだから、警察軍の裏事情などに通じているかもしれない。それとなく訊いてみるくらいなら害はなかろう。

 わたしは柵から腰をあげ、歩みだした。だが、十数歩進んだところで足が止まる。

 放牧場に、車両が二台滑り込んで来たのだ。両方とも黒塗りの有蓋で、六輪の人員輸送タイプだ。

 いぶかしみながら見守るうちに、停止した車両からぞろぞろと人が降り立った。総勢八名ばかり。ほとんどが、王室警護隊の灰色の制服に身を包んでいる。ひときわ大きな金髪の男は、どう見てもハヴィラン・エクス隊長だった。その巨体の陰に半ば隠れている小柄な女性は、明らかにシスティハルナ王女だ。今朝は飛行服ではなく、婦人用の乗馬服のようなものをまとっている。

 わたしは足を止めたまま、成り行きを見守った。どうやら、システィハルナとエクス隊長が、『レンゼルブ夫人』の船長になにやら強い調子で申し入れを行っているようだ。遠目に見るとそれは、運賃を値切っているところに見えないこともなかった。‥‥むろん、便乗しようとしているわけではないだろうが。

 話し合いは、長くは続かなかった。結局、システィハルナが折れたらしく、あからさまに不満の色を浮かべながら、歩み去ってゆく。わたしは早足で、そのあとを追った。

 護衛の一人がわたしの接近に気付き、エクス隊長に身振りで知らせる。エクスがわたしを確認し、システィハルナに耳打ちした。王女が足を止め、わたしを見て破顔する。

 わたしは足を緩めた。

「おはようございます、殿下」

「おはようございます、大尉」

 エクスがわずかな身振りを見せると、部下たちが静かに周囲に散った。むろん、警護のためである。護衛対象が移動中の場合と、停止中の場合では、その警護方法もおのずから異なるのだ。前者ならば主な警戒対象は前方と側面だが、後者ならば全周が警戒対象となる。

「船長と、なにかあったのですか?」

 わたしがそう尋ねると、システィハルナが『レンゼルブ夫人』の方を見やった。すでに、地上作業員が係留索を外し始めている。飛行船の場合、ゴンドラが地上を離れていなくても、船長が離陸を宣言し、係留索を解くように指示を出した時点で出発と見なすのが普通である。したがって、法規の上ではすでに『レンゼルブ夫人』は飛行中ということになる。

「‥‥いえ、ちょっと気になることがあったものですから」

 視線をわたしに戻したシスティハルナが言う。煮え切らない口調だ。彼女らしくない。

「そうですか」

 わたしは深く突っ込むこともできずに、そう曖昧な返答をした。

「ところでフォリーオ殿」

「何でしょう、姫様」

「あなたの艇に異常がないか確認して欲しいのです」

「異常ですか? 今朝、一応点検はいたしましたが‥‥」

「妙な点はありませんでしたか?」

「気付きませんでした」

 わたしはいぶかしみながらも、正直にそう答えた。

「警備の者は? 何も言っていませんでしたか?」

「別段なにも聞いてはおりませんが‥‥」

「そうですか。念のために、部下の方々と共にもう一度念入りに艇の点検を行ってみてください」

「殿下‥‥いえ、姫様がそうおっしゃるのならば、やりますが‥‥何かあったのですか?」

「実は‥‥」

 システィハルナが細い眉をわずかにひそめた。それとほぼ同時に、異変が生じた。

 わたしは『レンゼルブ夫人』に体側を向けていた。だから、直接『レンゼルブ夫人』は見えていなかった。なんとなく視界の端に、巨大な影のようなものを捉えていただけだ。それが上昇する『レンゼルブ夫人』だと言うことは判っていた。

 その影が、いきなり強い光にかき消された。

 反射的に光の方に顔を向ける。砲口閃光のごときまぶしい光は一瞬で収まり、空中には濃い煙の球のようなものが生じていた。その上には、ゆがんだ形の気嚢。煙の球が、『レンゼルブ夫人』のゴンドラがあるべき個所にあることは、ひと目で判った。

 その頃になってようやく、わたしの耳に爆発音が届いた。大口径の海岸砲の射撃音のような、重々しい音響だった。

 『レンゼルブ夫人』のゴンドラが、爆発したのだ。

 煙の球は急速に膨らんでいった。爆風と共に、種々雑多なゴンドラの断片が、あるものは煙の尾を引きながら、あるいは炎をまとわりつかせながら、四方八方に飛び散り始めた。

 わたしはとっさにシスティハルナの細い身体を抱いて、地面にしゃがみこんだ。王女は抵抗しなかったが、そのまなざしは『レンゼルブ夫人』のなれの果ての方を見つめていた。

 飛び散った断片が、地面に撒き散らされる騒々しい音があたりを包む。

「うっ」

 わたしは思わず唸った。一片が、わたしの背中を直撃したのだ。幸い、硬い金属片などではなかったらしい。誰かが手加減して蹴った蹴球が当たった程度の衝撃だった。

「殿下!」

 いきなり、わたしとシスティハルナの上に巨体が覆い被さった。エクス隊長だろう。

 しばらくしてエクスが身を起こし、わたしも顔をあげた。すでに、『レンゼルブ夫人』の爆発に伴う破片の撒布は収まっていた。代わりに、悲鳴と怒号があたりを包んでいる。

「立たせてください、フォリーオ殿」

 冷静な口調で、システィハルナ。

 わたしは、彼女に手を貸すようにして立ち上がった。

 『レンゼルブ夫人』のゴンドラの姿はどこにもなかった。ただ、地面に無数のがらくたが撒き散らされているだけだ。支えるべき対象を失った気嚢は、飛び散った破片に無数の穴を開けられた惨めな姿にもかかわらず、なおもけなげに空中に浮かんでいる。‥‥ピンク色の兎の笑顔が、どことなく寂しげに見えたのは、気のせいだろうか。

 直下の牧草地は見事なまでに黒く焼け焦げていた。爆発で撒き散らされた燃料類に引火したのか、あちこちで炎が踊っている。

「お怪我はありませんか、殿下」

 エクス隊長が、やや青ざめた顔で問う。

「わたしは大丈夫です。誰かを連絡に走らせて。残りの者は負傷者の救護を」

 システィハルナが指差す先には、ほんの一分ほど前には『レンゼルブ夫人』のゴンドラであったはずの破片の中に倒れ伏すいくつかの人影があった。巻き込まれた地上作業員だろう。‥‥あるいは、落下してきた『レンゼルブ夫人』乗員の死体かも知れないが。

「承知いたしました、殿下」

 エクスが命令を怒鳴る。部下たちが、一斉に走り去った。エクス本人は、あくまでシスティハルナの護衛にこだわるようだ。

「可能性を予見できていたのに、阻止できなかった‥‥」

 システィハルナがぷっくりとした愛らしい唇を噛む。

 元来、飛行船というものは剣呑な乗り物である。狭いゴンドラ内に、大量の可燃物を積載した上に、それらを燃焼させながら飛行するのだ。しかも、発動機用ガソリンはたいへん揮発性が高く、したがって発火しやすい上に、爆燃といっていいほどの激しい燃焼をする。フィーニアが巻き込まれた事故も、こんな感じだったに違いない。

 ‥‥だがこれは事故ではない。破壊工作だ。

 システィハルナの言動から、わたしはそう確信していた。彼女はなんらかの事情で『レンゼルブ夫人』に破壊工作が行われるとの情報をつかみ、それを阻止しようとしたに違いない。そしておそらく船長に異常はないと告げられたのだ。『紫の虎』の異常の有無をわたしにしつこく尋ねたのも、それで納得がいく。

「とにかく、あなたの治療をしましょう」

 そう言ったシスティハルナが、わたしの上着に手を掛けた。

「な、なにをなさるんですか、姫様」

 わたしは慌てた。だが、システィハルナは有無を言わせずわたしの上着を脱がせてしまう。その背中の部分がわずかに朱に染まっているのに気付いたわたしは、硬直した。

「いけません。触らないで」

 背中に手を回そうとしたわたしを、システィハルナがたしなめる。

「待ってください、姫様」

 システィハルナの手が、わたしのシャツを脱がせにかかる。わたしは目顔でエクスの存在を指摘した。まあ、男に下着姿をさらすのを大いに恥じるほど初心ではないが、この地ではしたない女だという評判を広めるのも具合が悪い。

「こちらへ」

 了解したシスティハルナが、わたしを手近の小屋に押し込めた。明り取りのために扉を開け放ったまま、わたしを脱がせにかかる。

 小屋の中とはいえ、素肌をさらすとさすがに寒かった。わたしは両膝を床に着き、両腕を組んで胸部を抱きかかえるようにして、少しでも体温が失われるのを防ごうとした。

「打撲と浅い裂傷ですね。尖ったものがぶつかったけど、刺さりはしなかったみたい。うまい具合に、背骨も逸れているわ。出血はかなりしているけど、きれいな傷よ」

 傷を調べながら、システィハルナ。冷たい指先が、わたしの背中に触れている。

「ハヴィラン!」

 彼女が一声叫ぶと、いきなり戸口から手のひらサイズの白っぽい物体が投げ込まれた。システィハルナが、それを器用に空中で受け止める。

 すぐに、わたしの背中に柔らかいものが押し当てられた。システィハルナの手がわたしの腹の方に回ってくる。包帯だ。どうやらエクスが投げ込んだのは、軍用の戦場応急具だったようだ。脱脂綿を布で包んだ止血帯と包帯が入っている軽量な包みで、陸軍の歩兵や海軍狙撃兵ならばみな持たされている。わが『紫の虎』にも、非常用品として人数分は積み込まれていた。

 システィハルナの手際は良かった。見習衛生兵よりも上手に、くるくると包帯を巻いてゆく。

「お上手ですのね」

 わたしは心底感心してそう言った。

「山の民ですからね。女は皆簡単な外科的治療くらい心得ているものですよ」

 こともなげに、システィハルナ。

「とりあえず、これでいいでしょう」

「ありがとうございます、姫様」

 わたしは礼を言いつつシャツに袖を通した。

「礼を言いたいのはこちらです、フォリーオ殿」

 指先に付着した血液を余った包帯で拭きながら、システィハルナがわたしを見つめた。

「わたくしを、身を挺して護ってくれましたね。レスペラの市民でもないのに」

「当然のことをしたまでですわ」

 わたしは微笑みながらそう答えた。彼女を庇ったのは半ば本能的なものであった。危機的な状況に置かれた際に、とっさに自分よりもか弱そうな存在を庇ってやったに過ぎない。おそらく、あの場に仔犬や仔猫がいたとしても、同じように庇ったに違いない。

「ともかく、ありがとう。このことは生涯忘れることはないでしょう」

 システィハルナが、厳かな調子で手を差し出す。わたしはその手をしっかりと握り返した。


 わたしとシスティハルナが小屋を出る頃には、もう多くの人々が係留場に駆けつけていた。警察軍兵士が随所に立ち、市民らの手により負傷者が次々に運び出されてゆく。

 エクスが、わたしの上着を腕に掛けて待っていた。

「ありがとう、フォリーオ大尉」

 少し照れたような色を見せながら、エクスがわたしに上着を手渡してくれる。‥‥とっさにシスティハルナを庇ったおかげで、彼にも好印象を持たれたようだ。わたしはその印象を長続きさせようと、取って置きの笑顔を見せながら上着を受け取った。

「姫様‥‥いえ、殿下」

 わたしは上着を着込むと、システィハルナに向き直った。

「殿下はこれを単なる事故とお考えですか?」

「いえ。断じて事故ではありません」

「では、破壊工作が行われることを予見なさっていらしたのですね?」

 わたしの断定的な問いかけに、システィハルナが一瞬口ごもる。

「‥‥そうですね」

「それでは‥‥」

 さらなるわたしの問いを、彼女は身振りで制した。

「その話はあとにしましょう。‥‥そうね、昼食をご一緒しましょう。昼前に王城に来て下さい。よろしいですね」

「喜んで、姫様」

「あなたは、部下の方々ともう一度あなたの艇を調べて下さい。十二分に気を付けて。いいですね。それと、背中を医者に見せるように」

「承知いたしました、姫様」


第十話をお届けします。ようやく策謀がその姿を現し始めました。次話以降、推理ものやスパイ小説がお好きな方は、内通者や空賊の目的や真の黒幕がどこか、など推測しながら読んでいただくとより楽しめるかもしれません。‥‥内通者に関しては、キャラの数をセーブしているのですでにばればれ(汗)かもしれませんが。

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