門出
自分では長編にはできそうになかったので、短編という形でどうぞ。
きっちりと整備され、火属性の魔石によって明るく照らされた洞窟の中。少年は真っ直ぐにその最深部を目指して歩く。ズタズタに傷付いた足が、夥しく血を流すのもお構い無しに。
「……」
長い時間を歩き目的地の目の前まで来て、少年は唐突に足を止めて背負った刀を抜いた。ギシ、ギシと音を鳴らし、錆び付いた刀身が顕となる。
抜いた刀を正眼に構え、目を閉じる。微動だにせぬ美しい構えは、錆クズを零れ落とすこともない。
少年は昨日の事を思い返していた。唯一家族と慕う老人との最期の会話の記憶を。身に付けているのが黒装束であるからか、その所作はまるで、故人への追悼の祈りのようであった。
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『あの冬の日にお前を拾ってからというもの、俺の人生は激変した』
老人は言葉を紡ぐ。
彼は妻を亡くし、子どもも一人を除いて皆喪った。さらに不治の難病にかかり、余命宣告までされ、失意の渦中にいる中で少年と出会い、彼の面倒を見ると決めた。共に過ごすうち次第に絆が芽生え、二人は家族と呼べる関係になった。
だが、その関係はもう終わる。老人に限界が来てしまったから。どんな人間も寿命には勝てない。迎えるべき時が来た老人は、最期に伝えたい事を少年に伝えることにした。
『医者も俺はあと二、三年の命だと言った。だから俺はそのうち、この家寂しく死ぬものだと思ってた。けど、そうはならなかった。お前を拾ったせいで、俺は八年も生きちまった』
老人の口からつらつらと語られる、少年を拾ってからの日々の思い出。
もう会えないと思っていた、戦争で行方不明になった息子にもう一度会うことができた。
もう二度と見れないと思っていた高台からの景色をもう一度見ることができた。
病にかかってからは疎遠になった町の人達と、また交流を持てるようになった。
体を悪くしてからは一人でできなくなった事を、的確に支援してくれた。諦めていた家族の墓参りに行くことができた。
医者に宣告された余命から、五年も余計に生きてしまった。
それでもこの人生に退屈も後悔もなかったのは、老人が残された人生を全うできるように、少年が働いていたからだった。
紡がれる言葉は締めくくりに入る。
『町の嫌われ者のハズのお前が、お前を虐げる奴らに掛け合い、俺が人生を良いものだったと思えるようになるよう訴えてくれた。おかげで俺はもう、満足したよ。だから、次はお前だ』
『俺は、人としての生活をお前にやった。だから、お前は恩返しのために俺に充実した晩年をくれた。もういいんだ。お前はもう、自分のために生きていいんだよ、エンリ』
己が名付けた少年の名を呼ぶ。ガラガラに乾いた声が不思議と優しく響いた。
『俺から最期に一つ。……ありがとう、エンリ』
ありがとう。それが老人の最期の言葉。
失意の渦中で気まぐれにとった手が、孤独に終わるハズだった晩年を充実したものに変えてくれた。人生が幸せだったと断言でき、その上こうして、家族に見届けてもらえる。老人は満足げな顔でこの世を去り、家族の元へと旅立っていった。
するりと、握っていた手が滑り落ちた。手の平にはまだ温かみが残っている。もう片方の手で消えるまで包みこむ。
所作は祈り。
野垂れ死ぬハズだった自分を救い、育ててくれた恩人を、今日まで助け合いながら共に生きてきた家族を想い、冥福を祈る。エンリは老人が幸せだったと知っている。だから、エンリの隻眼から涙が流れることはなかった。
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「ありがとう、か……。それは私が言いたかった台詞だよ。爺さん、さようなら。私は、私の思うように生きるから」
構えを崩し、亡き老人に別れを告げる。この時、今まで微動だにしなかった刀身が小刻みに震え、覆う錆を全て落とした。その本来の姿、真紅い刃が顕となった。
そのまま、洞窟深奥……『写し鏡の間』に踏み入る。どこからともなく溢れ出した水が、エンリを飲み込まんと迫り来る。それを、一刀の元に斬り裂いた。分厚い激流のその先まで見えるようになる。
激流を薙いだその先では、エンリに瓜二つの少年が刀を構えて立っていた。白装束に蒼い刃の刀、左眼を覆うように巻かれた包帯。傷の無い綺麗な肌。瓜二つであれど、エンリと彼は正反対の姿をしていた。
すなわち鏡像。己自身でありながらまた違う存在。決して相入れることのない者とエンリは対峙した。
入ってきたはずの穴が消え失せ、地面に浅く水が張られる。互いに殺意は万全の状態。
「……」
「……」
言葉は交わさない。刀に付いた水滴が零れ、波紋を作るのを合図に二人の戦いは始まった。
水が波打ち、土が削れ、刀と刀がぶつかり合う。
両者の実力は互角。己との戦いは加速する。手の内を知り尽くした相手であるが故、決定打は与えられない。千日手のように殺陣は続く。
時間が経つにつれ、次第に水位が上昇していく。決着をつけろと急かすかのように。
この時になると、両者相手に手傷を与えられるようになっていた。浅く、しかし確実なダメージを相手に与える。
こうなると、不利なのはエンリだ。鏡像と違い、彼は右目以外にも多数の傷を最初から負っている。これまで劣悪な環境で生きてきた、その証たる傷を。
だが、止まらない。今更傷が増える事くらい、古傷が開き激痛が襲う事くらい、構いやしない。目の前の鏡像は絶対に、その時の隙を見逃さないはずだから。勝って生きて、直せばいい。
既に、水位は互いの腰まで上がっている。戦いの終わりは近い。そして、その時は唐突に訪れた。
剣撃が交錯し、紅と蒼のクロスが描かれる。上がり続けていた水位が急激に下がり、グズグズに湿った地面がまた現れた。
二人は互いに向き直らない。同時に構えを崩し、刀を下げ、鏡像は問いかける。
「……お前は修羅の道を進む事を選んだ。覚悟はできているのか?」
「そのために、私はここに来た」
「分不相応な夢だと思うか?」
「だから地獄を往くと決めた」
「その道から逃げて、身の丈に合った幸せを探した方が良いんじゃないか?」
「それでは意味がない。私は、己の意思で選んだ道を往く。たとえそれが修羅の道であろうと、その先に望む未来があるなら、私はそこへ行こう」
全ての問いに、エンリは堂々とした態度で答える。それ以上の問いが来ることはなく、二人は同時に互いに向き直った。
鏡像は胴に大きく亀裂が走り、そこから身体が散り散りとなっていた。
己の道を往くにあたって、最も邪魔となる己と向き合うために戦い、エンリは勝利した。決着のついた両者の目にはもう、先程までのような殺意は無い。
「修羅の道を往く私へ。餞別だ、受け取っておけ」
「……ああ」
「よく馴染むだろう?見せてくれよ、私がその夢を叶える姿を」
鏡像は己の眼を握り潰し、完全に消え去った。その場に刀と血の波紋を遺して。
包帯が解けた顔の右半分を触り、違和感の正体を確認する。瞼を触ると柔らかい感触を感じた。失ったはずの右眼がまた、眼窩に収まっていた。
見下ろした水たまりには、傷だらけのオッドアイが映っていた。
「力を貸りるぞ、私。地獄の果てまで、付いてきてもらうからな」
蒼の刀を背負い、用のなくなった洞窟をまたいつの間にか出現していた出口から出た。日の出と同時に入ったが、もう満月が空に昇っていた。月明かりを帽子で遮り、エンリはまた旅に出る。
誰からも、必要とされていなかった。
天使の加護を持たずに生まれた事で悪魔に憑かれ、魔除けのために産まれてすぐ右目を潰された。歩けるようになったら「家に悪魔憑きなど要らない」と、父親に追い出され、一人で生きていかねばならなくなった。
殴られ、蹴られ、石を投げられる事は当たり前。毎日続く暴力と罵倒に耐え続け、ゴミを漁ったり、虫を採ったりして死と隣り合わせの日々を生きた。
冬の寒さにボロ布一枚で耐えていた時、エンリは老人と出会った。あの日から、エンリの人生は大きく変わっていった。
毎日清潔な服を着て、体を綺麗に清められるようになった。臭い、汚いなどを理由に馬鹿にされることがなくなった。
三食栄養のある食事を摂って、成長できるようになった。襲い来る暴力に立ち向かえるようになった。
屋根のある屋内で、柔らかいベッドで寝られるようになった。冬の寒さに震えながら耐える事や、硬い石畳に横たわって体を痛めることがなくなった。
共に時を過ごす家族ができた。孤独が解消され、心から笑えるようになった。
老人と生きた日々が、エンリの考え方を変え、彼に夢を持たせた。
誰からも必要とされないのなら、誰もが必要とせざるを得ないような人物になろうと。エンリという人間の存在を、この国の全てに認めさせてやろうと。
道のりは長く、険しいものになるだろう。忌避される「悪魔憑き」……被差別者であるエンリの出世はとても難しい。
それでも、エンリは前へ進むと決めたのだ。
蒼の刀を握りしめ、月夜の中を歩き出す。
「……それじゃあ、行くか」
エンリは修羅の道を往く。その先にある夢を掴み取るために。己の存在をこの国に認めさせるために。
そのための初めの一歩を今日、彼は踏み出した。