0974.行方不明の子
薬師アウェッラーナは、血の気が引いて倒れそうだった。
イーヴァ議員の演説が終わり、聴衆が広場周辺の飲食店に散ってゆく。手近の者を片っ端から捕まえて聞いて回ったが、誰もそんな男の子は見ていないと言う。
……どうしよう。私がついていながら……!
おなかが空いて一人で飲食店に入ってしまったのか、と広場の端から順に定食屋を覗いて回ったが、モーフの姿はなかった。
アウェッラーナに背格好が似た湖の民について行き、途中で気がついてそのままトラックに戻った可能性を思いつき、無理のある推測に一縷の望みを託してチェルニーカ港の【跳躍】許可地点へ走る。
移動販売店プラエテルミッサのトラックは、公園付属の許可地点の反対側にある駐車場に停めてあった。公園の広いグラウンドは仮設住宅で埋まり、流石にそこを駆け抜けるのは気が引けて、外回りで半周する。
……きっと、おなかが空いて先に帰っちゃったのよ。
そうでなければ、誘拐されたのか、昼日中に魔物か魔獣が一飲みにしたことになる。あの広場は日当たりがよく、地面には【魔除け】の敷石があった。
アウェッラーナ自身、そんな危険な気配には気付かなかったし、広場の誰もそんな大型のモノは視ていない。
……あんなトコに魔物とか居たら、とっくに大騒ぎよ。
人間が誘拐したなら、しばらくは生かしておくだろう。
身代金目的、或いは他に要求があって人質にしたなら尚更だ。
少年兵モーフの無事な姿に会えると信じ、息が切れるのも構わず全力で駆けた。
「アウェッラーナさん、大丈夫ですか?」
「姐ちゃん、坊主はどうした?」
ピナティフィダとメドヴェージが荷台から降り、水を入れたマグカップを差し出す。急に立ち止まったせいで脇腹が痛く、アウェッラーナは咳が治まるまで水を受取るのもままならなかった。
力尽くで深呼吸を繰り返してどうにか受取り、一息に飲み干して聞く。
「モーフ君、先に戻って……」
「まだだ。何があったんだ?」
アウェッラーナはメドヴェージの声に足が震えた。
仕度が整い、後は食べるだけのみんなが、荷台から心配そうな顔を向ける。
「ご、ごめんなさい。私がついていながら……」
兄とレノ店長、ソルニャーク隊長、葬儀屋アゴーニも出て来た。
「どうした? 坊主がちょろちょろして迷子ンなったのか?」
「何か気になる物をみつけて単独行動を取ったのかもしれん」
アゴーニと隊長が可能性を口にすると、メドヴェージが吐き捨てた。
「あの野郎、あんだけ口酸っぱくして言い聞かせたのに」
「えっと、取敢えず、先にごはん食べましょう」
「腹拵えして、みんなで手分けして捜そう。なっ」
アウェッラーナは兄に肩を抱かれて荷台に上がった。
クルィーロが、濃く煮出した香草茶をマグカップに注いでくれた。香気で少し落ち着きを取り戻し、状況を説明する。
「……それで公衆トイレの中も捜したんですけど、どこにも……ごめんなさい」
今朝、久し振りにレノ店長がパンを焼いてくれたが、みんなは味わうどころではなく、口に入れたまま難しい顔で黙る。アウェッラーナは食事に手をつけられず、ますます身を縮めた。
「あの坊主はそれなりに修行してる。素手同士なら、星の標の連中相手にどうこうされるタマじゃねぇ」
葬儀屋アゴーニはそう言って焼魚を頬張った。
兄が小さく首を振る。
「しかし、まさかイーヴァ議員が隠れキルクルス教徒だったとはなぁ」
「まだ、そうときまったワケではありませんよ。演説に流行りの歌やフレーズを取り入れるのは、聴衆の歓心を買うのによく使われる手法ですから」
パドールリクが言うと、ゼルノー選挙区の有権者たちは微妙な顔で頷いた。
湖の民であるアウェッラーナは、陸の民のイーヴァに票を入れたことがない。兄とアゴーニも多分、そうだろう。
それでも、彼女が今期、無所属から秦皮の枝党に鞍替えしたことくらいは、知っている。
パドールリクとクルィーロ父子は、イーヴァに投票したことがあるのか、浮かない顔だ。
「先日の件を考えると、あまりここを手薄にするワケにはゆかん」
ソルニャーク隊長が、捜索組と留守番組を分けてくれた。
アウェッラーナは勿論、捜索組だ。ソルニャーク隊長、メドヴェージと葬儀屋アゴーニ、レノ店長とクルィーロも捜しに出る。
「俺も行った方がよくありませんか?」
「いえ、アビエースさんは戦いの心得があるので、残って下さい」
隊長に言われた兄は、残る顔触れを見回して、仕方なく引き下がった。
少しでも戦った経験があるのは、【漁る伽藍鳥】学派の使い手である兄と、半世紀の内乱中に【急降下する鷲】学派の呪符を使ったことがあると言うパドールリクだけだ。
アナウンサーのジョールチとDJレーフも力ある民なので、星の標や隠れキルクルス教徒が相手なら、ある程度はなんとかなるだろう。
アウェッラーナは喉が詰まりそうだったが、どうにか昼食を胃に流し込み、今朝通った道を再び辿った。
レノ店長とクルィーロが中心街から港まで続く長い商店街で店を回りに分かれ、葬儀屋アゴーニとメドヴェージの組は、その先の公園にある仮設住宅へ聞きに行ってくれた。アウェッラーナはソルニャーク隊長と二人で港まで行く。
「パドールリクさんはあぁ言ってましたけど、私はイーヴァ議員……怪しいと思います」
「何故です?」
人通りの切れ目で言うと、隊長は前を向いたまま聞いた。演説の内容を掻い摘んで説明すると、「そうか」と呟いたきり黙る。
ロークは、この街に星の標の支部があることは調べてくれたが、流石に詳しい所在地までは突き止められなかった。どこに星の標のテロリストが紛れ込んでいるかわからず、人通りの多い商店街を歩くだけで神経がすり減る。
戦争のせいで船便の本数が減り、港は閑散としていた。
☆あの坊主はそれなりに修行してる……「711.門外から窺う」「712.引き離される」参照
※ ゼルノー選挙区の有権者たち……薬師アウェッラーナ、老漁師アビエース、パドールリクとクルィーロの父子。レノ店長はまだ年齢が足りず、選挙権がない。他の大人たちは選挙区が違う。
☆彼女が今期、無所属から秦皮の枝党に鞍替えした……「624.隠れ教徒一覧」参照
☆アビエースさんは戦いの心得がある……「0961.信じられない」参照
☆半世紀の内乱中に【急降下する鷲】学派の呪符を使ったことがあると言うパドールリク……「851.対抗する武器」参照




