0972.演説する議員
「この大きな湾全体をまとめて、パドール湾って言うんですって。小さい入江にもそれぞれ名前があるけど、全部読んだ方がいい?」
「いや、いい。ありがと」
少年兵モーフが頼んだら、薬師のねーちゃんは快く港の案内板を読み上げてくれた。
ふたつの半島に挟まれた大きなパドール湾内は、北西のクリュークウァ市から南東のカーメンシク市まで、五つの都市を結ぶ定期便が行き交う。
地図看板の横には船会社別の時刻表もあった。
「この湾の街は昔からみんな、ウーガリ山脈の炭坑や金属の鉱床から掘り出した物を加工して輸出したり、国内の工場に送ったりしてるんですって」
山脈の名前が「石炭」だから、ロクに学校に通えなかったモーフにも何となく想像がついた。
「カイラー市の人が山から色々掘り出して来て、選別や途中までの加工をして、チェルニーカ市ではそれを仕入れて部品とか中間素材を作る工場がたくさんあるそうよ」
「街の名前、蔓苔桃なのに?」
どの案内板も、文章の周りを蔓苔桃の絵が囲む。
薬師のねーちゃんが文章の中の一行を指でなぞった。
「それは、ここ二百年くらい……共和制になってからの新しいお仕事で、元々は蔓苔桃が特産品だったって書いてあるわね。今もいっぱい育ててるけど」
モーフは、この街に来て新しく覚えた「チェルニーカ」と言う単語をみつけて頷いた。
一昨日、ピナの兄貴と葬儀屋のおっさんが警察に行って、夜遅くに帰ってきた。
ピナは妹を宥めるのが大変そうだったが、モーフは何もしてやれなかったのが悔しかった。
あの時、ソルニャーク隊長とラジオのおっちゃんが上手いコト言って野次馬を大人しくさせてくれなかったら、暴動になったかもしれない。
薬師のねーちゃんの兄貴が、野次馬が帰った後、「人の口に戸は立てられないからなぁ」とボヤいた。
少年兵モーフは今日、トラックを止めた公園の駐車場からチェルニーカ港までの道を歩いて、漁師の爺さんの言った意味がわかった。
チェルニーカ市民や仮設住宅の住民は、寄ると触ると一昨日の騒ぎの噂をする。
どこを歩いてもあの話で持ちきりだ。
既にかなりの尾鰭がついていたが、薬師のねーちゃんに止められて訂正できなかった。
「余計に拗れるだけだし、これ以上騒ぎになるとよくないから、我慢して」
「でも、嘘のハナシが広まんの、よくねぇんじゃね?」
「街の人みんなに訂正して回ってたら、一生ここから出られなくなるけど、いいの?」
少年兵モーフは、ピナが居るなら別にどこで住んでもよかったが、一生を訂正で費やすのはバカみたいだと思った。
この街は魔法ではなく、機械を扱う工場が多いので、ネモラリス島にしては、力なき陸の民が多いらしい。
薬師のねーちゃんにそう言われて思い返すと、一昨日の野次馬も、今日、道で見た人々も緑以外の髪色が多かった。
昨日は一日、みんなで相談して、今日は取敢えず情報収集することに決まった。
ラジオのおっちゃんとピナの兄貴は、放送免許のことを調べに図書館へ行き、残りの半分は街へ出て星の標や隠れキルクルス教徒の調査、残りは留守番だ。
「他所で隠れキルクルス教徒を探って、祈りの詞を広めないように口止めして回ってんの、星の標の各支部に伝わってそうだもんなぁ」
DJレーフは、だから、布教しやすいこの街から追い出したいのだろう、と締め括った。
爆弾でトラックを吹っ飛ばされるかも知れず、モーフはこんな街、とっとと出て行った方がいいと思ったが、みんなの結論は違った。
「こんな街だからこそ、放送の可否に関わりなく、しっかり調査してラクエウス議員らに情報を届けねばならん」
「コミュニティFMの許可を取得すれば、ここでも放送できます。これまでも、星の標にとって不都合なことは放送しなかったのですから、なんとかなる筈です」
ソルニャーク隊長とラジオのおっちゃんが言うと、工員の兄ちゃんの父ちゃんもお気楽なことを言った。
「あの騒ぎで市民の注目が集まったので、却って手を出し難くなったんじゃありませんか?」
みんなが見ているからこそ、見せしめに爆破し甲斐があると言うものだ。
ハナシが通じる相手なら、こんなにあちこちで爆弾テロなんかしないだろう。
……まぁ、やるって決めちまったモンはしょうがねぇ。
モーフは諦めてさっさと終わらせようと、張り切って薬師のねーちゃんを連れ出した。
客船用の船着場の近くには、ちょっとした広場があり、それを囲んで飲食店が並ぶ。昼メシの仕込み中らしく、あちこちから美味そうな匂いがして混じり合う。
広場の真ん中に人集りがあった。
ワゴン車の屋根に演台があり、そこで白髪混じりの茶髪のおばさんが演説している。
「イーヴァ議員、こんなとこまで避難してたのね」
「ねーちゃんの知り合い?」
「知り合いじゃないけど、ゼルノー選挙区の国会議員の一人よ。まだ立入制限が解除されなくて帰れないし、仕方ないわよね」
二人も人の輪に加わった。
「ですから、この難局を乗り切る為には、国内の産業にもっと力を入れる必要があります。貴重な人材が経済難民となって他国に流出しては、戦争が終わる前に国家が破綻してしまいます」
おばさんは、モーフにはわからない難しい話をするが、聴衆は何度も頷きながら熱心に耳を傾ける。
「絶望の闇に呑まれた今こそ、塞がれた目に知恵の灯を点し、その一条の光によって闇を拓かねばなりません」
「イーヴァ先生、具体的に、どうすればいいんですか?」
おばさんは、声を掛けた者に人懐こい笑顔を向けて答えた。
「湖上封鎖の範囲に掛からない湖東地方の国々との関係を強化し、輸出先の確保につなげて行きます。先日、リャビーナ市の対岸、ディケア共和国に非公式の視察団を送り――」
少年兵モーフは、おばさんが聖句をいじった言葉を吐いたのは「またか」と思っただけだったが、ディケアと聞いてギクリとした。
DJレーフがリストヴァー自治区から帰った時、市民病院の呪医からイヤな話を聞いたと言っていた。
確か、あの国も長い間、キルクルス教徒とフラクシヌス教徒が戦っていた。
国連がちょっかい出してキルクルス教徒に加勢したから、フラクシヌス教徒が自治区に押し込められて、キルクルス教国になったとか言っていたような気がする。
……ヤベぇ。あのババァ、隠れキルクルス教徒どころか、ディケアのスパイなんじゃねぇのか?
どうにかしてアジトを突き止めたいが、車で逃げられたのでは、どうしようもない。
隣を見ると、薬師のねーちゃんは熱心にメモを取っていて、話し掛けて邪魔するのは気が引けた。
少年兵モーフは広場を見回して、そっと人の輪を外れた。
☆祈りの詞を広めないように口止め……「791.密やかな布教」「793.信仰を明かす」、「806.惑わせる情報」~「808.散らばる拠点」、「817.浮かばない案」「818.否定しない策」「833.支部長と交渉」「873.防げない情報」参照
☆イーヴァ議員/ゼルノー選挙区の国会議員……「624.隠れ教徒一覧」「880.得られた消息」参照
☆立入制限が解除されてない……「128.地下の探索へ」「168.図書館で勉強」「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「527.あの街の現在」参照
☆ディケア共和国……「696.情報を集める」、「751.亡命した学者」~「753.生贄か英雄か」、「766.熱狂する民衆」参照
☆DJレーフがリストヴァー自治区から帰った時、市民病院の呪医からイヤな話……「903.戦闘員を説得」「0938.彼らの目論見」「0939.諜報員の報告」参照
▼湖上封鎖の範囲




