0970.チェルニーカ
チェルニーカ市は、クリュークウァ市の南に位置する。
市壁の外には蔓苔桃と収穫間近の麦畑が交互に並び、畑仕事をする人が点々と見えた。
移動販売店プラエテルミッサのトラックとFMクレーヴェルのワゴン車が市壁の門を潜る。検問所は設けられておらず、順調に市内に入れた。
レノがトラックの助手席で地図を広げ、車窓の街並と見比べる。
メドヴェージはとっくに頭に入れたらしく、迷いのないハンドル捌きで大きな服屋の角を曲がった。
大きな公園に隣接する無料駐車場に停める。
クリュークウァ市の図書館で、地図と旅行案内の本から要点しか書き写してこなかったが、なんとかなった。
ネミュス解放軍のカピヨーに何か酷いことをされたワケではないが、クリュークウァ市に居る間、一瞬も気が休まらなかった。放送の告知を手伝われた件も、どんなウラがあって、後でどんな見返りを要求されるのかと気が気でなく、神経がすり減った。
形だけは何度も礼を言ったが、向こうもレノたちが本当に感謝して言ったとは微塵も思っていないだろう。
DJレーフが、リストヴァー自治区に連れて行かれた際、ウヌク・エルハイア将軍とペルシーク支部長のコンボイールから、ネミュス解放軍の支部がある都市を聞き出した。
日々勢力を拡大中で、彼らが全てを把握できていない可能性もあるが、ある程度の参考にはなる。
支部が新設されたのか、モグリが名を騙るのか、調べるのも情報収集の内だ。
……チェルニーカには、解放軍の支部はないらしいけど、星の標はあるんだよなぁ。
アスファルトに降りたレノは、駐車場を見回した。
ここも車が少ない。湖上封鎖で燃料の輸入が滞り、値上がりしたせいだ。往来するのは業務用車両ばかりで、ここに来るまでの間、明らかに過積載のトラックと何台もすれ違った。
メドヴェージが荷台を開けると、少年兵モーフが元気よく飛び降りた。
「ここも公園に家があるんだな」
フェンスの向こうにプレハブの仮設住宅が並ぶ。
もうすっかりお馴染みの風景で、だんだん感覚が麻痺するのが怖かった。
……これじゃ子供が遊べないし、最初の空襲から一年以上経つのに、まだ、ちゃんとした家に住めないなんて。
プレハブの仮設住宅は間に合わせで、取敢えず雨風を凌げるだけだ。
家や住人を守る【魔除け】【耐寒】【耐暑】【防火】などは、呪符で補うしかない。
……これから暑くなるけど、【耐寒符】みたいに【耐暑符】も盗まれるんじゃないだろうな?
冬なら、重ね着して毛布を被れば、ある程度は寒さを防げるが、夏は全裸以上には脱げない。冷水を浴びて団扇などで煽ぐにしても、限度がある。
防犯上、窓を開けっ放しにして寝るなどとんでもないし、睡眠中は団扇を使えない。ネモラリス共和国は魔法文明寄りの両輪の国で、元々電力供給が貧弱だ。仮設住宅の大分部が電気を引いておらず、エアコンや扇風機は使えない。
もし、【耐暑符】が盗まれたら、熱中症などで死者が出るのは避けられないだろう。
……早いとこ犯人捕まらないかなぁ。
転売や使用が目的ではなく、仮設の住人に対する嫌がらせくらいしか理由が思い当たらない。
何の罪もないのに空襲で焼け出され、命からがら逃れて、何故、そんな仕打ちを受けなければならないのか。
レノは犯人に憤りを感じたが、警官でも兵士でもない力なき民のパン屋には、どうすることもできなかった。
……警察に情報提供できるように聞き込み頑張ろう。
決心して、まずは昼食の準備に取り掛かった。
五日間、放送の告知と情報収集を並行して行ったが、チェルニーカでも呪符泥棒が出ることと、キルクルス教の祈りの詞がひっそり広がっているのがわかっただけで、犯人の手掛かりは得られなかった。
仮設住宅の自治会長に話を通すと、娯楽に飢えていたのか、二つ返事で了承された。
いつも通りに公園脇の駐車場で放送の準備を整える。
チェルニーカ市での第一回公開放送に物見高い人々が集まってきた。陸の民が多いのは、仮設の住民が見に来たからだろう。
「みなさま、本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。国営放送アナウンサーのジョールチでございます。首都圏の放送局有志によるFMラジオ公開生放送、最後までごゆっくりお聞き下さい」
ジョールチがいつもの口上を述べると大きな拍手が起こった。
移動販売店見落とされた者の一行が、放送を楽しみにしてくれる人々の存在に勇気づけられ、「すべて ひとしい ひとつの花」を歌う。
荷台の係員室に引っ込んだジョールチが、チェルニーカ市内のニュースを次々と読み上げた。
「今朝八時二十分頃、国道三十一号線の市役所前交差点で、トラックが横転しました。トラックの運転手が軽傷を負いましたが、他に負傷者などはありません」
さっき入ったばかりの速報だ。
駐車場前に一台のパトカーが停まった。
制服姿の警察官が三人、まっすぐこちらに向かって来る。レノたちは少し気になったが、駐車場の入口に背を向ける観衆は気付かない。
大股に歩いて来た警官の一人が、肩から紐でぶら下がったホイッスルを吹いた。鋭い音に観衆が振り向く。
係員室のジョールチには【静音】の効果で聞こえなかったのか、原稿の続きをいつもの調子で読み上げた。
「右折の際、積み荷がバランスを崩して曲がり切れなかったと見られ、警察は過積載が原因とみて、運転手と荷主から詳しい事情を聞いています。トラックの積荷は蔓苔桃ジュースで、散乱した瓶やガラス片の回収の為、一時通行止めになりましたが、現在は解消されています」
警官が三度続けてホイッスルを鳴らしたが、ジョールチは止まらなかった。
観衆がざわつく。
「直ちに違法電波を停波し、無許可放送を中止しなさい」
人々に動揺が広がり、ざわめきが大きくなった。
移動放送のイベントトラックと警官たちの間でオロオロ視線を泳がせる。
「責任者、出て来なさい」
レノは唾を飲み込み、一歩前に出た。
ソルニャーク隊長と葬儀屋アゴーニ、パドールリクが傍についてくれた。
警官は、黒髪と金髪の陸の民と湖の民が一人。計三人。誰も徽章を身に着けていない。
レノはひとつ深呼吸し、腹に力を入れて応えた。
☆放送の告知を手伝われた件……「0964.お茶会の話題」参照
☆DJレーフがリストヴァー自治区へ行った時……「916.解放軍の将軍」~「921.一致する利害」、「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆湖上封鎖で燃料の輸入が滞り、値上がりした……「606.人影のない港」参照
☆最初の空襲から一年以上経つ……最初の空襲=二月三日「056.最終バスの客」参照、現在は翌年の五月。
☆ネモラリス共和国は魔法文明寄りの両輪の国で、元々電力供給が貧弱……「410.ネットの普及」「732.地上での予定」参照
☆【耐寒符】みたいに【耐暑符】も盗まれるんじゃ/転売や使用が目的ではなく、呪符泥棒……「819.地方ニュース」「820.連続窃盗事件」参照




