0967.市役所の地下
ロークの代用珈琲はまだある。
男性がスーツのポケットから車のキーを取り出した。
ロークはトイレに行き、個室が並んだ奥の壁面の窓を細く開けた。丁度、二人が裏の駐車場に入って来たのが見える。
タブレット端末のカメラで車のナンバーを撮って席に戻った。
手書きメモの内容をテキストに書き起こし、ナンバーの写真を添付して送信する。ファーキルが送ってくれた「写真の送り方」が早速、役に立った。
代用珈琲を飲み干し、市役所行きのバス停へ急いだ。
インターネットで「イグニカーンス市役所の地下食堂は、味はともかく安くて量が多い」と言う口コミ情報をみつけ、情報収集の場所をここに決めた。
昼休みの少し前に席を確保し、ホッと息を吐く。
まだ十一時四十五分。
ひとまず香草茶を注文し、タブレット端末でニュースを読んで時間を潰す。ポータルサイトのヘッドラインに午前のトップニュースが五本並ぶ。「レプス大統領補佐官殺害」の見出しをつついた。
昨夜遅く、自宅で遺体が発見された。
遺体の特異な状態から、大司教殺害事件との関連が疑われる。
最後にレプス氏宅を訪問した若い女性が、何らかの事情を知っていると見て、警察が行方を捜している。
要約すると、どの報道機関の記事も大体そんな内容で、まだ何もわからないようだ。
……若い女性って、ポーチカさんのコトだよな?
新着記事が、司法解剖の結果と、警備の不備を云々する声を報じる。
死亡推定時刻は昨日の二十三時三十分頃。死因は出血性ショック。遺体外部の損傷は激しいが、内臓に達する傷はない。室内には血痕が全くないが、他から運んだ形跡もない。胃の中から本人の血液が大量にみつかった。
別室に家人が居たが、不審な物音などは聞こえず、防犯カメラに映った女性の訪問にも気付かなかったと言う。
……飛び散った血を【操水】で回収して飲ませた……のか?
ロークは一気に食欲がなくなったが、ランチタイムに香草茶一杯で居座るのは流石に気が引ける。
十二時五分前にランチセットを注文した。
正午のチャイムが鳴ると、あっという間に席が埋まった。
首から提げたIDカードは色とりどりだ。市役所の職員だけでなく、周辺の会社員も交じり、地下食堂の人気の程が伺える。
若い男性が多いが、年配の男性少しと、ほんの数人だけ女性客も居た。
「相席、いいですか?」
「どうぞどうぞ」
若い男性二人組に声を掛けられ、ロークは快く応じた。その為に一人で四人席に陣取ったのだ。
二人はロークと同じランチセットを注文して雑談を始めた。ロークはタブレット端末でニュースを流し読みしながら、聞き耳を立てる。
どうやら、二人は市役所の同期らしい。
「最近、死亡届が多くてなんかもう……なぁ」
「あぁ、俺んとこも相続で名義書き換えが多くてさ、土地どうすんのか話まとめてから来いよって言う」
「そっちは窓口で喧嘩する奴でも居んの?」
「それもあるけど、書類揃ってないから今日は手続きできませんっつったら、逆切れされたりとか、さ」
「あー……」
二人は互いに愚痴をこぼし合う。
最初の内はロークを気にして小声だったが、だんだん声が大きくなってきた。
「借金とセットだって知ってたら、こんな土地、相続しなかったのに何で教えてくれなかったんだ! って怒鳴り込む奴とか居るしなぁ」
「あー……マジ勘弁してくれって思うよな。こっちはこっちで隠し子バレて窓口で揉めたりとかさ、他所でやれっての」
「俺らの知ったこっちゃねーよなぁ」
……あぁ、会社潰れて自殺か無理心中した社長さんとか、路頭に迷った元社員、多いって言ってたもんなぁ。
先程のカフェの会話を思い出し、ロークは胃が重くなった。
市役所の職員二人がそそくさ食事を終えて席を立ち、相席者が入れ替わる。
三人組は会社員らしく、ランチセットを待つ間、端末をつつきながら湖南地方全体の景気について持論を展開した。
「今年もボーナスなしかもなぁ」
「ボーナスどころか、会社があるかわかんないぞ?」
この戦争でラクリマリス王国が湖上封鎖を敷いた為、アーテル共和国に限らず、湖南地方全体の経済に悪影響が出た。
フラクシヌス教国同士は元々友好関係にあり、魔法である程度は輸送がなんとかなるが、キルクルス教国のアーテルとラニスタはそうはゆかない。
「何せ、輸送費、上がり過ぎなんだよ。もう価格転嫁も限界超えてるって」
「そうは言ってもなぁ……」
開戦前までは、原材料や燃料、部品、食糧などは、近隣の国々まで魔道機船で安く大量に運ばれた物を買付けて陸送した。
湖上封鎖後は、遠方からの空輸か、近隣まで【無尽袋】や【無尽の瓶】に詰めて【跳躍】で運ばれた物を国境付近の街でコンテナやタンクに詰め変えて陸送する。
繰り返し使える【無尽の瓶】はともかく、使い捨ての【無尽袋】は高騰し、輸送費に上積みされた。液体でも、燃料は爆発事故防止の為、【無尽の瓶】に貼る【防火符】や【耐火符】が必要だ。使い捨ての呪符が費用を押し上げた。
航空機も魔法の道具も、一回の輸送量は魔道機船の大型タンカーやコンテナ船に遠く及ばない。
運び屋フィアールカたちの話によると、湖南地方のフラクシヌス教国が結託し、やんわり便乗値上げした。「ネモラリス共和国に戦争を吹っ掛け、フラクシヌス教の聖地を擁するラクリマリス王国に迷惑を掛けた咎」で、アーテル共和国に経済的な圧力を継続中だ。
……アーテルは、いきなり戦争吹っ掛けたし、自業自得だよな。
ロークは、実際に命が失われる規模の経済攻撃の恐ろしさに肝が冷えたが、同情する気になれなかった。
やんわり便乗値上げでこうなるなら、国連決議による経済制裁なら、どれだけの命が失われるのか。
ロークは、ランチセットを極力ゆっくり食べ、昼休みが終わるまで粘って、食堂でじっくり情報収集を続けた。
役人と会社員の愚痴をテキスト入力し、まとめてメールで送ってから移動する。
イグニカーンス市東部へ行くバスの中で星の標の公式サイトにアクセスした。
ネモラリス憂撃隊のテロによる犠牲者を悼む言葉の下には、新規団員募集や、寄付のお願い、「黒い影の目撃情報」を募る投稿フォームがあった。
☆レプス大統領補佐官殺害……「0957.緊急ニュース」参照
☆大司教殺害事件……「870.要人暗殺事件」「924.後ろ暗い同士」参照
☆湖南地方全体の経済に悪影響/アーテル共和国に経済的な圧力……「285.諜報員の負傷」「424.旧知との再会」「440.経済的な攻撃」「588.掌で踊る手駒」参照
☆燃料は爆発事故防止の為、【無尽の瓶】に貼る【防火符】や【耐火符】が必要……「121.食堂の備蓄品」「130.駐車場の状況」参照




