0966.中心街で調査
午前九時過ぎ。
イグニカーンス市の中心地にあるオフィス街のカフェは、商談や打合せ、外回りの途中なのか、ノートパソコンを広げる会社員でそこそこ混んでいた。
ここだけ見れば平和そのものだが、カウンター奥のメニュー表の横には、湖上封鎖の影響で原料価格が高騰し、値上げしたことを詫びる貼り紙がある。
メニューに貼られた新価格の紙を透かして、元の値段がうっすら見えた。
珈琲は七倍以上値上がりして桁が変わり、多くの客がアーテルでも採れる麦やタンポポの代用珈琲を飲む。
ロークも代用珈琲を注文し、隅の席に落ち着いた。
先程、バスターミナルで耳にした「基地の屋上の怪異」の話を運び屋フィアールカに送る。
ロークもルフス神学校に居た頃、タブレット端末には触ったが、まだまだ不慣れだ。ファーキルやフィアールカのように速く入力できないのがもどかしかった。
バスの中で読んだファーキルからのメールにも、どうにか返信する。
――色々教えてくれてありがとう。助かるよ。それと、冒険者カクタケアのファンフォーラムって知ってる?
ファーキルからは、時間を置かずに返信が来た。
――知ってるよ。書き込みはしなかったけど、時々見てた。
――本は? 読んだ?
――サイトで無料のだけ読んだけど、どうしたの?
――神学生もファンが多くて、ちょくちょくフォーラムにも書き込んでたんだ。俺が知ってるのは、オクトーってハンドルネームの人。
――そうなんだ。今度、ちょっと注意して見てみるよ。
――今は例のテロで入院中だから、書き込んでないと思うけど。
――わかった。過去ログ漁ってみる。そっち、どう?
先程、フィアールカに女子高生の話を送ったことを告げると、「そのメール、転送されてきたよ」と一斉送信の方法をわかりやすく教えてくれた。
――影だけの魔物って聞いたコトないけどな? どこの基地かは言ってなかったんだ?
――うん。流石にそこまで言うと身バレするからじゃない?
どこで誰が聞き耳を立てているか、わからないのだ。
流石の彼女らも、出してはいけない情報は弁えていた。
――星の標が調べてたとか言うのと関係あるのかな?
――それはこっちでちょっと調べとくね。ローク君は現地調査よろしく。
今日の予定を送信し、周囲の会話に耳を澄ます。
真面目な商談に、戦争のせいでプロのスポーツチームが解散したことや、年明けから初夏の今までの景気、会社経営者が倒産後どうなったかと言う噂話などが織り込まれ、それなりに収穫があった。
ロークは、斜め前の席で交わされる倒産企業についての会話に耳を傾ける。
年配の男性と若い女性が、それぞれノートパソコンを広げて話す。どこかの大企業勤務なのか、二人とも質のいいスーツを品よく着こなしていた。
アーテルの首都ルフス西部には家族経営の小さな町工場が多い。
元々自転車操業の割合が高く、ラクリマリス王国が湖上封鎖を敷いた途端、月々の資金繰りが厳しかった会社がバタバタ倒れた。
「ご覧の通り、昨年の倒産件数は、湖上封鎖直後の三カ月が突出して多いです」
「その後も、少し落ち着いただけで、ここ十年の平均より多いですね。七月にまたこんな……」
ロークの斜め前の席、奥に座る男性が、ノートパソコンに手前の女性と同じグラフを表示させているのか、惨状に言葉を失った。
男性の向かいの女性は、温度のない声で続けた。
「大企業の株主総会が集中するからです。下請けにとって不利益な決議が相次いだことが反映されたのです」
「下請けが潰れちゃ、大企業だってやってけなくなるでしょうに」
「大手メーカーが、調達先をディケア共和国に変更する動きがあります。この流れはもっと以前、ディケア内戦の終結から始まり、ディケア国際空港の復興後に増加、湖上封鎖によって一気に加速しました」
「ディケアは人件費が安くて、輸送費が掛かってもまだ、国内で作るより安上がりだからですね。しかし、戦費が嵩む中で倒産が増えれば、税収が落ち込み、社会保障費が増大するのに……」
「世俗の企業にとっては、自社の利益、株主への配当確保が最優先事項です」
男性は画面に気の毒そうな目を向けるが、若い女性の声はラキュス湖を渡る北風のように厳しい。ロークに背を向けて座り、表情まではわからなかった。
……世俗の企業?
ロークは、その声に何となく聞き憶えがあるような気がして引っ掛かった。
女性が、ノートパソコンの表示をグラフから、どこかの地図に切り替える。
「戦況の先行きが不透明で、新規事業や工場の拡大に慎重な国内企業が多く、倒産した工場や個人商店は、七割以上に買い手がつかない為、債権の回収がなかなか進まないのが現状です」
「相続は借金とセットだからね。遺族や親族が手を引いて二進も三進も……そのまま年末になったから、連鎖倒産も……確か、行方不明で宙に浮いた土地もあったね?」
女性は男性の暗い声に頷いて続ける。
「はい。ただ、国外の企業は、この動きを異なる視点で捉えています」
「例えば?」
「バルバツム連邦のデベロッパーと複数の企業が、工業団地の計画を練っています」
「ここで? ネモラリスの政府軍はともかく、いつ、テロリストの襲撃を受けるかわからないのにですか?」
「現在はまだ、計画の叩き台を作った段階で、実際に動き出すのは和平成立の目途が立ってからになります」
地図は、女性の肩越しに半分だけ見えた。
どうやら、赤い区画は倒産した工場、黄色は買い手が決まった区画、白は事業継続中や倉庫、駐車場などらしい。
赤と黄は五対一くらいの割合で地図上に点在する。ある程度まとまって赤がある中に白や黄がポツリポツリと残る所もあった。
……あそこに工業団地を? まだ全然、戦争終わる気配もない内から?
男性がロークと同じ疑問を発すると、女性は想定済みらしく、すらすら答えた。
「ディケア同様、戦後の経済復興とバルバツムより人件費が安いことを見込んでの先行計画です。どんな形で決着がついても、確実に必要になり、新たな紛争を予防する為にも、欠かせない事業なのです」
「成程。彼らはディケアでの成功に味をしめたんですね」
男性は微妙な笑みを浮かべて頷き、代用珈琲を啜る。
ロークは、二人がこんな人の多い所で不穏な話をするのを意外に思いながら、紙の手帳にメモを取った。
女性が地図を切替える。ネーニア島だ。
「ネーニア島には、三十年前の和平成立の際、ラクリマリス王国領に居られなくなった力なき陸の民が多数、移住しました」
「聖者様の信徒で、ヴィエートフィ大橋を渡り損ねた人々も、ね」
男性が悲しそうに付け加える。
女性はそれに応えず、淡々と続けた。
「ネモラリス共和国は、旧ラキュス・ラクリマリス共和国から分かたれた三カ国の内、最も復興が遅れています」
「何故です?」
「ネモラリス共和国領内からは、神政派の力ある陸の民や湖の民がラクリマリス王国領へ移住しました。悪しき業を用いる者が減少したにも関わらず、最新の科学技術を取り入れるなどの対策を講じなかったからです」
それは、ロークも知っている。
そのせいで、リストヴァー自治区が悲惨なことになったのだ。
「そうなんですか? そんな政策の失敗の上に今回のこれでは、和平が成立した後、復興予算を調達できずに財政破綻して、周辺国に経済難民が流出するんじゃありませんか?」
男性が小声で懸念を発した。
今でさえ、ラクリマリスやアミトスチグマに戦争難民が流入している。ファーキルたちの調査によると、この一年で両国合わせて二十万人近くに上る。
平和になって祖国に帰還するどころか、更に増えたのでは、周辺国で新たな混乱を招くだろう。
「その対策も含めての工業団地計画なのです」
……この人たち、何屋さんなのかな?
二人ともそれなりに値が張りそうなスーツをきちんと着こなしているが、それだけでは業種も何もわからない。詐欺師だってスーツくらい着こなせる。
ホール係が声を掛け、二人の前から空いたカップを下げた。
「場所を移しましょう」
長居し過ぎたらしい。
男性がノートパソコンを閉じて席を立つ。女性も無骨なショルダーバッグにノートパソコンを仕舞って彼に続いた。
☆湖上封鎖の影響で原料価格が高騰……「285.諜報員の負傷」「340.魔哮砲の確認」「344.ひとつの願い」「402.情報インフラ」「440.経済的な攻撃」「588.掌で踊る手駒」「750.魔装兵の休日」参照
☆ロークもルフス神学校に居た頃、タブレット端末には触った……「742.ルフス神学校」「763.出掛ける前に」「794.異端の冒険者」参照
☆オクトーってハンドルネームの人……「764.ルフスの街並」参照
☆星の標が調べてた……「0953.怪しい黒い影」参照
☆ディケア内戦の終結/ディケア国際空港の復興……「728.空港での決心」参照
☆三十年前の和平成立の際……「0001.半世紀の内乱」参照
☆リストヴァー自治区が悲惨なことになった……「0019.壁越しの対話」「0026.三十年の不満」参照
▼湖上封鎖の範囲




