0965.ネットで連絡
ロークは、細々とした注意事項と共にタブレット端末を渡された。
「通信費は私の方で払っとくから、気にしないで」
「ありがとうございます」
スキーヌムはお使いに出されて留守だ。
店主のゲンティウスが、仕上がった呪符をカウンター背後の棚に片付けながら言う。
「充電は、店のコンセント使っても構わんぞ」
「いいんですか?」
「もう一人の坊主に知られたくないってんなら、使わん方がいいだろうが、どうする?」
正面から聞かれ、ロークは迷った。
フィアールカが自分の端末をつついて言う。
「あの子、悪いコじゃなさそうだけど、信仰に未練があるみたいだし、お人好しなとこがあって、うっかり機密を漏らしちゃいそうなのよね」
だから、彼の留守中に渡したのだ、と運び屋の緑の瞳が語る。
……俺も、迷うってコトは引っ掛かるとこがあるからなんだろうな。
「教えるのは後からでもできるし、バレた時はなんとかして誤魔化します」
「それが賢明ね。今、ファーキル君とラゾールニクさん、クラピーフニク議員にその端末のアドレス送ったから、何かあったらすぐ連絡して」
「わかりました」
彼らのメールアドレスとファーキルのSNSアカウント、彼が作ったサイト「旅の記録」と、アーテル共和国最大のポータルサイト、それにユアキャストは既に登録されている。
「さっきも言ったけど、メールは登録済の人以外とはしないこと。投稿フォームとかに書き込むの禁止。広告は踏まないこと。いいわね?」
「はい」
ロークは先程、どんな危険があるのかみっしり教えられた。
フィッシング詐欺や「ウイルスが検出された」などと偽って個人情報の詐取やウイルスの送信、端末の遠隔操作による乗っ取りや、バックドアによる情報の漏洩など、ルフス神学校でアウグル司祭が端末をくれた時には教えてくれなかったことを語られ、インターネット――情報空間に潜む危険を叩き込まれた。
迂闊にどこかに書き込んで通信記録を残すと、そこから足が着くと言われ、肝が冷えた。
……言われなかったら、情報を探りにカクタケアのファンフォーラムに書き込むとこだった。
情報空間に不慣れなロークは、受動的な情報収集と極限られた相手との通信に専念しようと冷え切った肝に銘じた。
「それにしても、星の標がそんな子供じみた怪談話に食いつくなんて、気になるわね」
「大司教殺害事件と何か関係あるのかな?」
「さぁねぇ? ポーチカってコのことも探っとくから、あなたはヂオリートって男の子の動向にも気を付けてね。ついででいいから」
「了解」
例の怪談話の「なんだかよくわからない黒い影」とやらが、何なのか気になる。
普通に考えれば、一家殺害の怨念を喰らった雑妖を捕食した魔物か魔獣だろう。
一瞬、ヂオリートの従姉ポーチカが、ゲリラの死霊が宿る【魔道士の涙】に引き寄せられた魔物に取り込まれた姿かと思ったが、時期が合わないので全く別口の線だ。
取敢えず、フィアールカがくれた手帳型のケースにタブレット端末を片付ける。
「充電器はここにも予備を用意してるけど、なくさないようにね」
「はい。気を付けます」
「あのコに知られたくないなら、情報収集で出掛ける日以外は、ずっと電源切っとくのよ」
ロークは頷いて、教えられた通りに電源を操作した。
アウグル司祭にもらった端末とは別の機種だが、基本的な操作は同じらしい。
翌朝、ロークは一人でイグニカーンス市へ渡った。
ランテルナ島内でも電波は拾えるが、運び屋の教えを守って大陸側のバスターミナルで降りるまで電源を入れない。
通勤通学の時間帯で、あちこちへ向かうバスを待つ人が、大人しく行列を作る。
ロークは市の中心部行きの列に並び、端末の電源を入れた。
バス待ちの九割くらいが首を同じ角度に曲げて、自分の端末を見詰める。残りは売店で買った新聞を読むおじさん、友達とお喋りする女子高生、眠そうに欠伸をする会社員だ。
「おはよー。ちょっと聞いて聞いて」
「おはよ。何? 何? ブーク君のこと? あれからどうなった?」
……女の子って恋バナ好きだよなぁ。
ロークはすぐ後ろに並んだ女子高生の会話で、教室の空気を思い出した。
「違うの。お兄ちゃんなんだけどね」
「やっと彼女できたの? 基地じゃ出会いがないって言ってたのに、どこで知り合ったの?」
「出会いは出会いだけど、女の人じゃないんだよね」
少女の声が暗く沈む。
相方が引き気味に聞いた。
「えっ? お兄さん、そっち系走っちゃったの? まぁ軍隊じゃよくあるって聞くけど、マジで?」
ロークは何となく、周囲の耳もこの二人組に向いたような気がした。
……そっち系って、あっち系? 朝っぱらから、なんて話してんだよ。
ロークは内心、苦笑してポータルサイトのニュースコーナーを開いた。
「違うの。この間の夜中、防犯カメラに怪しい影が映って、お兄ちゃんが部隊の人と一緒に屋上行ったら」
「そっち系の人たち見ちゃったの?」
「そこから離れて」
女子高生は、ほんのり苛立ちを混ぜた声で、話をそっち方向に持って行こうとする相方を牽制した。
「屋上行ったら、真っ黒な影だけが居たんだって」
「影? 夜中なのに?」
「雑妖避けでLEDライト、ギンギンに点けてるんだけど、でも、屋上のどこにも影の元になるヤツが居なくて」
「えっ? 何それ怖ッ! 魔物?」
「わかんない。しかも、空中に排水溝っぽいちっちゃい穴が空いたみたいになって、その影、ちゅるちゅる吸い込まれちゃったんだって」
「は? 何それ? ギャグで言ってんの?」
相方の声が笑いを含む。
「笑いゴトじゃないよ。お兄ちゃん、超怖かったって言ってるんだから」
「ごめんゴメン。でも、想像したらなんかシュールで」
話が昨日のテレビに飛んだところでバスが来た。
……基地の屋上に黒い影?
気になったが、見ず知らずの女子高生の会話に割り込むのは諦めた。
今日のロークの顔は【化粧の首飾り】でやや目付きの悪い就活生風だ。不審者として警察に突き出されるかもしれない。
午前中は中心街で情報収集し、午後からイグニカーンス基地の様子を見に行くことにした。
☆ファーキルのSNSアカウント……「188.真実を伝える」参照
☆サイト「旅の記録」……「448.サイトの構築」参照
☆ルフス神学校のアウグル司祭が端末を渡した時……「742.ルフス神学校」、スキーヌムが色々教えた「763.出掛ける前に」参照
☆カクタケアのファンフォーラム……「764.ルフスの街並」「794.異端の冒険者」「795.謎の覆面作家」「796.共通の話題で」参照
☆星の標がそんな子供じみた怪談話に食いつく……「0953.怪しい黒い影」参照
☆大司教殺害事件……「870.要人暗殺事件」参照
☆ヂオリートの従姉ポーチカ……「924.後ろ暗い同士」「925.薄汚れた教団」参照
☆【化粧の首飾り】……「847.引受けた依頼」参照




