0964.お茶会の話題
量販店の従業員は、初めこそ緊張していたが、同席者が同じ庶民の移動販売店の面々なのもあって、すぐに打ち解けた。
カピヨー支部長が用意した珈琲と高級な焼き菓子に舌鼓を打ち、同席者にも「おいしいよ」と勧める。
移動販売店プラエテルミッサのみんなは、香草茶の風味を味わいながら、量販店の者たちと雑談を交わした。
薬師アウェッラーナたちの席では、主にカピヨーが振った話に庶民が一言二言答えてすぐ会話が途切れた。
「貴殿は確か、旧王国時代、軍に協力してくれた葬儀屋であったな」
「よく憶えてて下さいましたね、騎士様」
「もう、とっくの昔に騎士ではないのだがな。……危険を顧みず、我らに協力してくれる者は貴重な存在だった。貴殿らに深く感謝しておるから、今も憶えておるのだ」
「有難いお言葉、勿体のうございます」
……アゴーニさん、こう言う話し方もできたのね。
普段の口の悪さとは別人のように丁寧な物言いだ。
旧王国時代の身分制度のせいなのかと思うと複雑で、アウェッラーナはティーカップを手に取った。香草茶の香気を味わい、気持ちを落ち着ける。
無色で無味無臭の毒は色々ある。唇は付けずにカップを置いた。
この卓は、レノ店長以外、全員が湖の民か力ある陸の民で魔法使いだ。
DJレーフはカピヨーにとっての主賓、アゴーニは古い知人、クルィーロは先日レーフと共に会い、店長二人は代表者だからだと思うが、初対面のアウェッラーナとアビエース、それにジョールチがこの卓に呼ばれた理由がわからない。
……レノ店長は、店長だから仕方なく呼んだけど、他は魔法使いで固めたってこと?
うっすら差別のようなものを連想し、アウェッラーナは慌てて打ち消した。考えが悪い方に転がり過ぎると、余計なことを口走りそうだ。
隣を窺うと、兄は両手でカップを支えて口許に寄せ、なんとか落ち着きを取り戻そうと懸命だ。とても話し掛けられそうにない。
量販店の店長は珈琲に手を着けず、しきりにハンカチで汗を拭う。
五月初旬の空は晴れ渡り、魔法の絨緞の【耐寒】や【耐暑】がなくても暑からず寒からず、時折吹く微風が心地よかった。
これがアスファルトのだだっ広い駐車場ではなく、白詰草の野原だったなら、ステキなお茶会だったろう。
カピヨーが木皿からクッキーを取り、無造作に口に入れた。
レノ店長が目を瞠る。緊張で生きた心地がしないのか、カップを持つ手が震え、香草茶の水面が動揺する。
「美味だな。これは、貴殿らが拵えたのか?」
「は、はい! あ、あの、とんだお口汚しで……」
「きちんとした厨房のない中、これだけの物を作り上げるとは大した腕前だ。開戦前はどこかの屋敷で召抱えられておったのか?」
「い、いいえ全然! ウチはフツーのパン屋で……店、焼けて、父さんも……」
「そうか。守ってやれず、すまない」
気マズい沈黙を他の卓で交わされる他愛のないお喋りが埋める。
使用人たちは、サイフォンを置いた台の前で整列し、微動だにしない。
量販店の者たちは「勿体ない」と珈琲をちびちび啜って、高級な菓子をひとつ食べた後は、移動販売店のクッキーをつまむ。
移動販売店のみんなは、香草茶の香気を味わい、自作のクッキーをちまちま齧るので、珈琲のお代わりで待機する使用人たちはすることがなかった。
「母は、生きてるらしいんです。……ネミュス解放軍の人って、トポリには居ないんですか? 知り合いがトポリで見たって教えてくれたんですけど、船がなくって、その……」
レノ店長が顔を上げて早口に言い、語尾が震えて消える。
カピヨーは、再び俯いたパン屋の青年に申し訳なさそうに声を掛けた。
「すまんな。ネーニア島には湖の民が少なく、支部ができる程の同志はおらんのだ。ご母堂と再び相見える日を女神様にお祈りしよう」
カピヨー支部長が、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに再会を祈願する詞を諳んずる。
レノ店長は目許を拭って一礼した。
「あの、それじゃあ、首都の様子はご存知ありませんか? 身内が……漁師なんですけど、船でウヌク・エルハイア将軍のお手伝いをするんだって、小さな漁船でクレーヴェルに向かったきり音信不通になって、それから少しして、政府軍が港を封鎖したって聞いて……今、クレーヴェル港は……」
アウェッラーナは勇気を振り絞り、震える声でどうにか聞いた。
兄がカップを置き、片手をそっとアウェッラーナの手に添える。
「最後にクレーヴェルを訪れたのは昨年の暮れで、今は将軍のお許しを待つ身なのだ。力になってやれず、済まない。ただ、クレーヴェル港で漁船が沈められたとは耳にしておらん」
「そう……なんですか……」
後は言葉にならなかった。
今更謝るくらいなら、どうしてラジオで国民を唆したりしたのか。ネミュス解放軍のプロパガンダさえなければ、今頃は一族のみんなと再会できていたのに、と詰ってやりたいのを堪えると、言葉の代わりに涙が溢れて止まらなくなった。
兄が椅子を寄せ、アウェッラーナの肩を抱いた。その手も震える。
「謹慎中なのに、お茶会なんていいんですか?」
「軍事行動を控え、将軍のご下命あるまで待機せよ、とは申し渡されたが、茶会までは禁じられておらん」
DJレーフの皮肉な声に苦笑交じりの声が応じた。
一般的なお茶会の時間が過ぎた。
「そう簡単に許してもらえるとも、信じてもらえるとも思うておらなんだが、これ程とはな」
……なによ。わかってんじゃないの。
移動販売店のみんなのカップからは飲み物が減らず、誰もカピヨーが用意した高級な焼き菓子に手を着けなかった。
量販店の従業員たちがひとつずつ食べ、その内の数人が遠慮がちに珈琲のおかわりをしただけだ。
なんとも言えないお茶会がお開きになり、カピヨーたちが引き揚げると、庶民たちは一斉に太い息を吐いた。
残った焼き菓子は「お土産にどうぞ」と包まれたが、少年兵モーフでさえ、イヤそうな顔をするだけで手を触れようともしない。
「いらないなら、もらってもいいかい?」
「毒入りかもしれないのに?」
エランティスが包みに汚い物を見る目を向ける。
店員は小学生の冷たい声に少し怯んだが、すぐ気を取り直し、悲しげな微笑を浮かべた。
「他所から来たお嬢ちゃんは知らないだろうけど、カピヨー様は自分より弱い者に毒を盛るような卑怯なことはなさらないよ」
「自分より弱い力なき民を武力で踏み躙るのは、よいのですか?」
アナウンサーのジョールチが言うと、店員たちが息を呑み、駐車場が静まり返った。
そう言えば、カピヨーたちが来てから一度もジョールチの声を聞かなかった。このアナウンサーは、話すことだけでなく、無言で場を切り抜ける術にも長けているようだ。
結局、焼き菓子は全て量販店の者たちが持ち帰り、庶民も解散する。
ただ座っていただけなのに、どっと疲れが押し寄せた。
カピヨー支部長が、歌詞や放送予定表を印刷して部下に配布させたので、移動販売店の負担は大幅に減った。
こちらから頼んだのではなく、個人商店に掲出を頼んだ物を勝手に印刷して、ネミュス解放軍の兵が人海戦術で市内全域に各戸配布したのだ。
手伝ってもらって苦情を言う訳にもゆかず、放送を見物しに来た兵士にお礼の伝言を頼まざるを得なかった。
カピヨーのお陰で情報収集に回せる人手と時間が増え、結果的に他の街より早くクリュークウァ市全域に放送を届けられた。
出発の日、メドヴェージがトラックをカピヨー邸の前に回した。
「じゃ、偉い人にありがとよっつっといてくれ」
「少々お待ち下さい。お館様に直接……」
「いやいや、いいって、いいって。俺らも急いでっからよ。あばよ」
メドヴェージがアクセルを踏み、DJレーフが運転するFMクレーヴェルのワゴンが後に続く。
クリュークウァ市の南門を抜けた瞬間、肩から重たい荷物が下りたような気がした。
☆旧王国時代、軍に協力してくれた葬儀屋……「648.地図の読み方」「649.口止めの魔法」参照
☆母は、生きてるらしい/知り合いがトポリで見たって教えてくれた……「826.あれからの道」参照




