0961.信じられない
薬師アウェッラーナは、ネミュス解放軍と星の標が手を結んだことが信じられなかった。
……リストヴァー自治区の人たちはともかく、他のとこに居る人たちはずっと信仰を偽ってた嘘吐きじゃない。
ロークは家族のそんな生き方に嫌気が差し、キルクルス教の信仰を捨てて、家出したと言っていた。
ネミュス解放軍は一枚岩ではないらしい。自治区で和平を結んだと言っても、また、カピヨーのように独断で動く者が現れないとは言い切れなかった。
……それに、大勢の人を唆して戦いに駆り立ててるじゃない。
兄嫁と甥、叔父、従兄一家は解放軍に合流する為、反対した兄アビエースから漁船を奪って首都クレーヴェルに向かった。
解放軍に食糧を提供するだけならまだしも、兄の話では、戦闘に加わるようなことを言っていたらしい。
アウェッラーナはオバーボクの図書館で【漁る伽藍鳥】学派の術を改めて確認した。
半世紀の内乱中、父から教わったのは布の袋一杯分の魚を獲る【漁る袋】の術だけだ。大学へ行って正式な薬師になったので、家族や親戚が、沖でどんな風に漁をするのか、よく知らなかった。
ラキュス湖は、女神パニセア・ユニ・フローラのご加護で、弱い魔物はこの世に現れた瞬間、浄化されて幽界に送り返される。
すぐに祓われない程度に強い魔物は、魚などこの世の生き物を捕食しても、陸上より成長が遅く、食事が不足すれば一気に衰弱が進み、数日で祓われた。
ラキュス湖内では、魔物が受肉して魔獣化することなど滅多にない。
だからこそ、ラキュス湖周辺地域では、航空機の発明後も水運が盛んなのだ。山野で鳥や獣を獲るより安全で、漁業も昔から栄え、島々や沿岸の人々の腹を満たしてきた。
父と兄はいつも夕飯の席でその日の漁について話したが、大抵は獲れた魚の量や種類、明日の天気や予定のことで、どうやって魚を獲るのか詳しく語ったことがなかった。
アウェッラーナも、網を使うのは知っているが、具体的にあれをどう使ってどんな術で漁をするのか知らない。
兄アビエースが時々、沖で魔物と出食わしたと口を滑らせたが、父は「こうして無事に帰ったんだからいいじゃないか」と、それ以上言わせなかった。
叔父が昔、【漁る伽藍鳥】にも戦いの術があり、内乱中はそれでキルクルス教徒や主神派の人々とやりあったと言っていた。
それでアウェッラーナも戦いの術の存在を知ったが、日々の暮らしに追われ、確かめようと思ったことはない。
先日やっとオバーボク市の図書館で読んだ【漁る伽藍鳥】学派の魔道書は、オバーボク市民でも禁帯出で、司書の監督下でなければ閲覧できなかった。
警備員オリョールやジャーニトルの【急降下する鷲】学派程ではないが、主に漁業で使う【漁る伽藍鳥】学派にも恐ろしい効果のある攻撃用の術が幾つもあった。
どの術も大量の水が必要だが、【無尽の瓶】があれば陸上でも使える。
だが、いずれの術も呪文が長く、政府軍の魔装兵と戦うには分が悪い。
多くの魔装兵は、短い呪文で魔獣などを屠る【急降下する鷲】学派の術を習得する上、防御力の高い【鎧】を纏う。
叔父たちが首都での市街戦に加わっても、不意討ちできなければ勝ち目はないだろう。
……運がよければ生け捕り、ダメだったら、その場で殺されて、遺体も焼かれるんでしょうね。
いつも通り、クリュークウァ市内でも買物を兼ねて情報収集する。薬師アウェッラーナは身内が気懸かりで落ち着かなかった。
レノ店長と二人で商店街を回る間も、ネミュス解放軍の腕章を巻いた自警団と何度もすれ違う。
「呪符泥棒、ここにも出るんですね」
「どうして捕まらないのかしらね?」
町内会の掲示板に呪符泥棒についての防犯ポスターをみつけ、二人は同時に溜め息を吐いた。
「よぉ、何か変わったコトない?」
「お陰さんで最近は万引きも減って、大助かりさ」
近くの店先で、ネミュス解放軍の下っ端自警団が店主に馴れ馴れしく話し掛け、店主は笑顔で応じた。
「そいつぁよかった」
「でも、油断しないでくれよな。こないだもゴミ箱が爆発するテロがあったばっかだし」
「ホント物騒よねぇ」
「早く犯人捕まえてくれよな」
店主夫婦らしき年配の男女は、心底困ったと言いたげな顔で、下っ端の自警団に頼んだ。
ネミュス解放軍の自警団が、これ見よがしに闊歩する。
住民や店主たちは、彼らを怖がるどころか歓迎し、頼りにしているようだ。あちこちで気さくに挨拶を交わす。
クリュークウァ市の住民は、アウェッラーナと同じ緑髪が多く、レノ店長の大地の色の髪はよく目立った。
……そっか。解放軍は地元の人だから、フツーに前と同じ近所付き合いが続いてるのね。
商店街の通行人や店員をざっと見た感じ、八割くらいが湖の民だ。
残る二割の内、地元の陸の民と戦禍を逃れて来た他所者がどのくらいの比率か、見ただけではわからない。流石にもう、焦げた服を着た人は居なかった。
今日は、ソルニャーク隊長と葬儀屋アゴーニが、放送用の情報収集を兼ねて仮設住宅に行った。
……ここでも、仮設住宅やボランティアにキルクルス教の教えが広まってるのかな?
どこへ行っても自覚症状のない感染症のように広まっていた。
直接、死に到るものではないから、誰も気にせず、どんどん伝播する。特効薬も有効な治療法もみつからず、下手にどうにかしようとすれば、却ってこじらせるか、拒否反応で大変なことになってしまう。
放置するのはよくないと知りつつ、伝播状況を調べて同志にその情報を伝えることしかできないのがもどかしかった。
……ここにも星の標の支部があるのよね。
ロークが集めてくれた情報を思い出し、そっと辺りを窺う。流石の彼も正確な所在地までは掴めなかった。どの建物も怪しく見えてしまう。
人数が少ないからか、自爆テロはないが、時限爆弾によるテロは起きているらしく、掲示板には「不審物に注意」の貼り紙もある。
今日は暗い情報しか集まらず、レノ店長と薬師アウェッラーナは重い足を引きずってトラックに戻った。
☆ロークは家族のそんな生き方に嫌気が差し……「0035.隠れ一神教徒」「0036.義勇軍の計画」「637.俺の最終目標」参照
☆ネミュス解放軍は一枚岩ではない……「693.各勢力の情報」「921.一致する利害」参照
☆大勢の人を唆して戦いに駆り立ててる……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」「724.利用するもの」参照
☆兄嫁と甥、叔父、従兄一家は解放軍に合流/兄の話……「827.分かたれた道」参照
☆オバーボクの図書館で【漁る伽藍鳥】学派の術を改めて確認……「0948.術を学び直す」参照
☆布の袋一杯分の魚を獲る【漁る袋】の術……「045.美味しい焼魚」参照
▼腕章などにあるネミュス解放軍の旗印




