0960.支部長の自宅
オバーボク市内での放送は、何事もなく終えられた。
アナウンサーのジョールチが、モーシ綜合警備オバーボク支社へ取材に行き、寄付は少し足りなかったが、ヤーブラカ市警に魔法薬の寄付があった為、何とかなったことを聞き出した。
……それって、アウェッラーナさんのコトだよな。
一緒に行ったクルィーロは複雑な気持ちになったが、ヤーブラカ市警に「寄付があった」と伝えられただけで、警備会社は悪くないと自分を納得させた。
寄付者には順次、お礼状を発送中とのことだ。
この街でも、鱗蜘蛛退治の件を放送すると好評を博した。
オバーボク市内のあちこちで、呪符泥棒の噂やキルクルス教の祈りの断片を耳にして、クルィーロは神経を尖らせていたが、拍子抜けするくらい何も起こらなかった。
無事に全ての放送予定をこなし、移動販売店プラエテルミッサのトラックとFMクレーヴェルのワゴンが、次のクリュークウァ市へ向かう。
……まぁ、何もないのがフツーっちゃフツーなんだよな。
クルィーロは荷台で肩の力を抜き、手帳を読み返した。
中身は、オバーボク市の図書館で書き写した呪文だ。ゼルノー市の図書館の分も合わせると、かなりの数になる。
……塾サボってなきゃ、これ全部、とっくに使いこなせてたんだろうになぁ。
クルィーロは深い溜め息を吐いた。
運転手のメドヴェージとアナウンサーのジョールチが量販店と交渉し、客用の駐車場に一週間、無償で停めさせてもらえることになった。
「支部長さんとこに挨拶しに行くから、一緒に来てくれないかな?」
荷台を降りてすぐ、DJレーフに声を掛けられた。
……何で俺が?
顔に出てしまったのか、レーフは苦笑した。
「ペルシークの支部長にも会ったし、ついでと思ってくれないかな? 俺一人で行くの、何かとアレだし」
「行ってくりゃいいいんじゃねぇか? ついでに隊長さんも一緒にどうだ?」
葬儀屋アゴーニが無責任に笑うと、少年兵モーフが露骨にイヤな顔をした。父と手を繋いだアマナも、兄とDJを不安げに見上げる。
「私はあの時、自治区在住のフリをしたからな。ここで顔を合わせるのはマズかろう」
ソルニャーク隊長がやんわり断ると、モーフはホッとした顔で駐車場を見た。湖上封鎖で燃料が値上がりし、五月初旬の休日だと言うのに、広い駐車場はガラ空きだ。
「じゃあ、俺、行きます。ちょっと聞いてみたいことあるんで」
アマナが泣きべそをかいたが、父がなんとか宥めてくれた。
DJレーフは、クリュークウァ支部の所在地を詳しく教えられたらしく、道々、地図看板で確認しては、迷いのない足取りでどんどん進んだ。
「レーフさんが、ペルシーク支部長にチクったから、ここの支部長って将軍に怒られたんですよね?」
「心配? なんか、よくぞ止めてくれたみたいなカンジで、やたら感謝されたけどね」
ウヌク・エルハイア将軍の手前、いい子にしただけで、自分の縄張りでなら掌を返すかもしれない。
「向こうがその気なら、トラックに不意討ちするかもしれない。こっちから先に声を掛けて牽制するの、全く意味がないとは思わないよ」
クルィーロは曖昧に頷いた。
二人が着いたのは、遠目にもはっきりそれとわかる城のような邸宅だ。実際、旧王国時代には砦だったのかもしれない。
「流石、元領主だけあって、スゲーとこ住んでるなぁ」
クルィーロはDJレーフの呟きに驚いたが、平静を装って正面玄関に回る。レーフが門番に声を掛け、十五分ばかり門前で待たされて、使用人に招じ入れられた。
……アポなしでも会ってくれるんだ?
クルィーロは、このまま地下牢にでも捕えられるのではないかと不安が涌き上がったが、今更引き返せない。黙って案内の使用人について行った。
二人が通されたのは応接間ではなく、執務室のような飾り気のない部屋だ。
打合せスペースにソファとローテーブルがあり、別の使用人が三人分の珈琲を淹れていた。
使用人の退室を待って、執務机から湖の民の男性が立ち上がり、客の二人を笑顔で迎える。
「レーフ殿、クリュークウァ市へようこそ。事前にお知らせいただければ、歓迎の宴を催したのだが」
「えぁ、いえ、お構いなく。ちょっとご挨拶に寄っただけですから」
カピヨーに促され、レーフが遠慮がちに上等なソファに腰を降ろす。
「初めまして。レーフさんと一緒に旅をしている仲間です」
「移動放送の方ですな。お噂はかねがね、他の支部の者から伺っております」
……それ、どこ情報だよ?
クルィーロは、レノたちから「オバーボク支部の下っ端は何も知らないらしい」と聞いた。その時は、ネミュス解放軍の情報網や連絡体制に首を傾げたが、支部長にはちゃんと伝わっているらしい。
少し安心したが、同時に恐ろしくもなった。
……俺たちのことも見てるし、色々嗅ぎ回ってんのもバレてんだろうなぁ。
「レーフ殿の働きがなければ、危うく取り返しのつかない事態を招くところであった。改めて、感謝する」
「いえいえ、殆どコンボイールさんたちの働きですから、俺は全然……」
「そうご謙遜めされるな。貴殿の働きがなければ、コンボイールも動きようがなかったのだ」
湖の民のおっさんが、いい子の演技を続けているのか、本心から感謝しているのか。クルィーロは判じ兼ねた。
「この大恩、必ず返さねばならん。何かあれば遠慮せず、何なりと申しつけて欲しい。何を措いても馳せ参じよう」
「カピヨー支部長のお力を拝借するようなことにならないのが、一番いいんですけどね」
DJレーフが困ったような顔で笑う。
二人がリストヴァー自治区の件で盛り上がる中、話題に入れないクルィーロは珈琲をちびちび啜りながら、ネミュス解放軍クリュークウァ支部長を観察した。
長命人種の中年男性は、呪医セプテントリオーと同年代に見えた。いかにも武人らしい質実剛健な物言いと態度だ。
今日は魔法の【鎧】ではなく平服だが、クルィーロのマントよりずっと呪文の刺繍が多い。
……これ全部、発動させてんのか。
旧王国時代には騎士だったのだから、魔力は当然、クルィーロとは比べ物にならないくらい強い。
珈琲はペルシーク支部の喫茶店と同じ味がした。
話題が鱗蜘蛛退治に飛んで、クルィーロも話に加えられた。
「いえ、俺は【操水】とかでちょっと手伝っただけで、薬とか作れないんで、ホント何も……」
「だが、武官ならぬ【霊性の鳩】の身でありながら、現場で臆さず救助を行った件、その胆力、称賛に値するぞ」
カピヨーの物言いがいちいち上から目線なのは、かつて領主だったからだろう。世が世なら、クルィーロは会うことも許されなかった存在だ。
テキトーに謙遜してお茶を濁して質問する。
「オバーボクで呪符泥棒が増えたって、巡回中の解放軍の人から聞いたんですけど、ここは大丈夫ですよね?」
「残念ながら、当地でも仮設住宅を中心に頻発しておる。……そうだ、放送車に警護を付けよう」
「ウチは大丈夫なんで、そこまでして下さらなくても平気です。なんとかなります。お気持ちだけで、ハイ、大丈夫」
クルィーロはしどろもどろに断り、残念そうにするカピヨーに重ねて聞く。
「その人から、解放軍は元騎士とかのグループと、それ以外の自警団的な人……ひとつの街に二個あるって聞いたんですけど、ホントですか? 片っ方に将軍の命令、伝わらなかったりとか……」
「いや、ネミュス解放軍はひとつだ。戦い得る者とそうでない者で部署は分けておるが、その話、誰から聞いた?」
「下っ端の自警団の人です。新人だったのかな? なんか自信なさそうに言ってましたし」
心配する体でわざと誤りを混ぜて聞いたら、案の定、訂正した。
クルィーロでも思いつく単純な誘導に乗る辺り、少し不安はあるが、根は悪い人物ではなさそうな気がする。
その後、少し世間話をして、二人はトラックに戻った。
☆それって、アウェッラーナさんのコト……「0930.戦い用の薬を」参照
☆一緒に行ったクルィーロ……「0930.戦い用の薬を」~「0936.報酬の穴埋め」参照
☆呪符泥棒の噂……「0947.呪符泥棒再び」参照
☆キルクルス教の祈りの断片……「0949.変わらぬ動き」参照
☆オバーボク市の図書館で書き写した呪文……「0948.術を学び直す」参照
☆ゼルノー市の図書館の分……「147.霊性の鳩の本」「167.拓けた道の先」~「169.得られる知識」参照
☆ペルシークの支部長にも会った……「833.支部長と交渉」参照
☆レーフさんが、ペルシーク支部長にチクった/レーフ殿の働き……「916.解放軍の将軍」「917.教会を守る術」「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0938.彼らの目論見」参照
☆オバーボク支部の下っ端は何も知らない……「0947.呪符泥棒再び」参照
☆取り返しのつかない事態……国連軍の武力介入「893.動きだす作戦」、「902.捨てた家名で」「903.戦闘員を説得」、ディケアの例「874.湖水減少の害」「0938.彼らの目論見」参照




