0959.敵国で広める
夕飯の席で、ファーキルが支援者のマリャーナに深々と頭を下げて何度も感謝を口にした。
……ごはんや住むとこだけじゃなくて、そんなコトまでしてくれてたなんて。
針子のアミエーラも、マリャーナの多岐に亘る支援に深く感謝した。
「ネモラリスの国内に聖典を届けたところで、彼らが全てに目を通す保証はありませんが、これで何らかの動きが起きるでしょう」
マリャーナは表情を変えず、いいことだとも悪いことだとも言わなかった。
受け取ったリストヴァー自治区の住民や星の標、隠れキルクルス教徒が、聖職者用の分厚い聖典をきちんと読めば、聖者キルクルスが魔術を全て否定したのではないと、わかってくれるかもしれない。
少なくとも、ネモラリスで暮らす隠れ信徒は、教会の建物や聖職者の衣などのデザインに【魔除け】などの呪文や呪印が取り入れてあると気付くだろう。
……店長さんも、ずっと昔に気付いたってお手紙に書いてらしたし。
アミエーラは、元雇い主のクフシーンカからもらった手紙を思った。
後輩の針子サロートカが、呪医セプテントリオーと旅して命懸けで届けてくれたものだ。
サロートカは今、隣のアステローペとおかずを交換して、他愛ないお喋りをしている。
「いい方に変わるとは限らないでしょうけどね」
アルキオーネが、ファーキルに強い視線を向ける。少年は頷き、口の中身を飲み下して答えた。
「最悪、政府軍や解放軍に聖典を持ってるのがバレたら、どんな目に遭わされるかわかんないよね」
「政府軍なら、自治区に強制移住させられるだけで済むかもしれないけど、解放軍にバレたら殺されるんじゃないの?」
アルキオーネは、大したことないような口調で言ってのけた。サロートカとアステローペが、髪型と髪飾りについてのお喋りを止め、アルキオーネを見る。
ラクエウス議員とラゾールニクが苦笑した。
「この間の攻撃で、ネミュス解放軍の目的がキルクルス教徒を皆殺しにすることではないことが確認できた」
「ちゃんとした教義が伝わるんなら、逆に聖典に載ってる【巣懸ける懸巣】や【編む葦切】の術を解説してくれるかもよ?」
「まぁ、どっちにみつかっても、自治区外のキルクルス教徒の捜索や監視が、今より厳しくなるのは確実ね」
運び屋フィアールカが軽い調子で言って緑青パンを頬張る。
向かいの呪医セプテントリオーも、彼女と同じ緑色のソースや衣がついた料理を食べていた。色の素は銅の錆で、湖の民なら美味しく食べられるが、アミエーラたち陸の民にとっては毒だ。緑髪の湖の民は外見だけでなく、食事の中身も違う。
……ネミュス解放軍の人たちも緑色のごはんなのよね。
アミエーラは、大伯母カリンドゥラと再会してから、王都ラクリマリスでの滞在を経てアミトスチグマ王国に渡ったので、クーデターを起こしたネミュス解放軍を直接見ていない。
ファーキルに見せてもらったインターネットのニュースや、クフシーンカ店長からの手紙、こうして話題に出た時の断片的な情報でしか知らなかった。
呪医セプテントリオーの話で、ウヌク・エルハイア将軍は話の通じる人物だとわかったが、同時に、将軍が解放軍を完全に掌握できているワケではないのもわかった。
店長の手紙には、大丈夫だと書いてあったが、気休めにもならない。
……どうにかして、早く戦争を終わらせないと。
ネモラリスのキルクルス教徒だけに聖典を届けてもダメだ。
敵国のアーテルにも、聖典の正しい教えを伝え、“悪しき業”は魔術のほんの一部でしかなく、聖典には一行も「魔法使いを殺せ」などとは書かれていないと知らせたい。
聖典が手許にあっても、読んでもらえなければ意味がないのだ。
アミエーラは自治区に居た頃、一般信者向けの薄い聖典を持っていたが、忙しさに感けて家では一度もページを開かなかった。
それでも、毎週教会に通っただけ、まだマシな方だ。
バラック街の住民の多くは、何となく耳にしたことのある聖句や、周囲の大人が躾の一環として子供に教えた聖典の断片くらいしか知らなかった。
……どうすれば、みんながちゃんと聖典を読ん……ラジオ?
アミエーラは王都ラクリマリスで、大伯母カリンドゥラとソプラノ歌手オラトリックスと共にアサエート村の里謡「女神の涙」を歌ったのを思い出した。
録音をネモラリスのAMカッカブ・ビルに渡したが、放送中にクーデターが起こり、放送局を乗っ取られてしまった。
あの時の放送は、旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代から残る電波塔を通じ、現在のラクリマリス王国領だけでなく、アミトスチグマ王国の沿岸部にも届いた。
……逆に、ラクリマリスの放送局でも、ネモラリスの一部地域には届くってコトよね?
キャベツに巻いて煮込んだ肉を見詰めて考える。
大食堂で同じ食卓を囲む仲間たちは、それぞれの情報交換やお喋りに夢中だ。
エレクトラが、アミエーラの食事が進まないのに気付き、声を掛けた。
「大丈夫。ちょっと考えごとしてたの。ネモラリスとアーテル、両方の国に聖典のちゃんとした中身を伝えるのに、ラジオが使えないかなって思って。ラジオだったら何か作業しながらでも聞けるし」
「ラジオねぇ? アーテルはタブレット端末持ってる人なら大勢居るけど、アナログのラジオは……年配の人か、カーラジオくらいしかないんじゃないかな?」
エレクトラの大地と同じ色の髪が微かに揺れる。
「ラジオ! その手があった!」
ラゾールニクが食卓を軽く叩いて二人に笑顔を向けた。
「ネットは前より検閲が厳しくなって、書き込みと削除のイタチごっこで、なかなか広まらないんだ。でも、ラジオだったら、電波を完全に遮断すんのは無理だ」
「えー? でも、それこそ、ラジオ持ってない人多いですし、わざわざ外国の放送に周波数合わせる人って滅多に居ないですよ?」
タイゲタが首を傾げ、ずれた眼鏡を指で押し上げた。
元アイドル歌手だけあって、放送のことはアミエーラよりも詳しいらしい。
「その辺は任せてくれよ。一部の層に伝われば、後は口コミで広がる。君たちにも協力してもらうけど、いいかな?」
「協力って何させる気?」
アルキオーネが、平和の花束のリーダーとして、ラゾールニクに鋭い視線を向ける。
「そりゃ勿論、歌手なんだから歌だよ。まず、アミエーラさんからニプトラ・ネウマエさんにラクリマリス王国の偉い人たちに口利いてもらうように頼んでくれないかな?」
「何を頼んでもらえばいいんですか?」
急に名指しされ、アミエーラは緊張した。
「キルクルス教の歌の放送と、詩人のルチー・ルヌィさんに作詞の協力を頼んでくれるように手紙を書いて欲しいんだ」
発案したアミエーラに断る理由はない。
実際に放送の許可を取り付けられるかどうかはともかく、できることは何でもするつもりだ。
アミエーラは力強く頷き、手紙に認める必要事項を確認した。
☆店長さんも、ずっと昔に気付いた……「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」参照
☆後輩の針子サロートカが、呪医セプテントリオーと旅……「583.二人の旅立ち」~「585.峠道の訪問者」「604.失われた神話」「605.祈りのことば」「631.刺さった小骨」~「633.生き残りたち」「676.旅人と観光客」~「683.王都の大神殿」参照
☆この間の攻撃で、ネミュス解放軍の目的……「917.教会を守る術」参照
☆将軍が解放軍を完全に掌握できているワケではない……「921.一致する利害」参照
☆“悪しき業”は魔術のほんの一部……「0955.ラジオの録音」参照
☆里謡「女神の涙」を歌った……「592.これからの事」~「594.希望を示す者」参照
☆放送中にクーデターが起こり、放送局を乗っ取られてしまった……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」参照
☆旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代から残る電波塔……「547.ラジオの番組」「666.街道の続きを」参照
☆アミトスチグマ王国の沿岸部にも届いた……「602.国外に届く声」参照
※ ニプトラ・ネウマエがラクリマリス王国の偉い人たちに口利きした例……「774.詩人が加わる」参照




