0956.フリグス基地
翌朝、魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、地下街チェルノクニージニクの宿を引き払った。
少尉の【跳躍】で、アーテルの首都ルフスに移動する。
昨日の話はあまりに衝撃的で、ルベルはよく眠れなかった。
今回の潜伏先は、ルフス西部の下町にある製菓工場だ。
戦争で原料価格が高騰した煽りで倒産した。社長が工場内で縊った為、買い手がつかず、昨年から放置されていると言う。
……こんな物件、よく次々みつけてくるよなー。
ルベルは工場内に魔哮砲を放ち、社長の無念から湧いた雑妖を食べさせた。
倒産からどのくらい経つのか不明だが、まだ微かに甘い匂いが残っている。
鎧戸の閉まった事務室で打合せをする。
「待たせたな。やっとフリグス基地の破壊命令が出た」
ラズートチク少尉が、タブレット端末に基地の見取図と外観写真、間取図と内部の写真を表示させる。当たり前のように見せられたが、ルベルには上官がどんな手段でアーテルの軍事機密を入手するのか、想像もつかなかった。
「魔力は足りそうか?」
「予想以上に日数が空いたので、基礎代謝でかなり消耗しています。確実を期すなら、もう二、三回、これと同じくらいの給餌が必要です」
ルベルは【使い魔の契約】で繋がった魔哮砲の腹具合をみて答えた。
この工場の雑妖を喰らい尽くしても、腹八分目と言ったところだ。
魔哮砲の攻撃は、余剰魔力を放出させて行う。満腹以上に食べさせなければならず、今回の分では魔哮砲の維持だけでカツカツだ。
「斜め向かいのネジ工場と、裏の缶詰工場も倒産して無人だ。今夜中にそちらも食わせよう」
「はい」
魔哮砲のやわらかな身体が、放置された機材の間をぬるりするりと移動する。
閉め切られた工場内は暗く、ルベルが点した【灯】がぼんやり照らす範囲の外がどうなっているのか、肉眼では見えない。【使い魔の契約】で繋がっているから、魔哮砲の位置を感じられるのだ。
「あ、あの、昨日の件でひとつ質問させていただいてよろしいですか?」
「何だ? 改まって」
ルベルはひとつ深呼吸して聞いた。
「自治区に兵を向けたカピヨーと言う幹部、所在が分かっているなら……」
「それは無理だ」
ラズートチク少尉はみなまで言わせず、若い魔装兵に理由を語った。
「カピヨーは、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代には、騎士団でそれなりの地位にあった男だ。民主化前はクリュークウァ地方の領主として善政を敷き、民の信望を得ていた」
「じゃあ、こちらが彼をどうにかしたら、長命人種の住民が暴動を?」
「それだけでは済まんぞ。民主化後も、地元の政財界に影響力を維持している。クリュークウァ市議会から彼に頼み込んで、カイラー基地への攻撃や、市内での戦闘を思い留まってもらっているのが現状だ」
ルベルは少し考えて頷いた。
「では、カピヨーが居なくなれば、ネミュス解放軍の一部が暴徒化、或いは後継争いで、クリュークウァ市内や周辺地域で戦闘が発生するんですか?」
「クリュークウァには星の標の支部もある。解放軍はまず、そちらを叩きに行くだろうな」
……指揮官なしで? 副官が残ったら、そっちについて行くか?
「住民から派遣要請を受けた政府軍が加わり、三つ巴の戦いになれば、多数の住民が犠牲になるだろう」
少尉は遠く、ネモラリス島を見るような目で締め括った。
深夜、曇天の闇に紛れ、ラズートチク少尉と魔哮砲が廃工場を出る。
菓子工場周辺には、廃工場が幾つもあった。いずれも、敷地内に社長宅がある家族経営の小さな町工場だ。
戦争に伴う湖上封鎖の影響で、材料費や燃料費、輸送費などが高騰し、アーテル共和国では、体力のない中小企業や個人商店がバタバタ倒れた。
経営者一家や、従業員とその家族らの安否は、敵国人のルベルにはわからない。
ネモラリス共和国も、アーテル軍の空襲で都市や村を焼き払われ、多数の死傷者と難民が発生し、経済的にも大打撃を受けた。
……この戦争、どうなれば「勝った」ことになるんだろう?
もう何度目になるかわからない問いが、頭を占める。
アーテル共和国の目的は、キルクルス教の教義に基づき“悪しき業”によって生み出された魔哮砲を破壊することと、ネモラリス共和国内で弾圧を受けるキルクルス教徒の救済だ。
今回のネミュス解放軍によるリストヴァー自治区襲撃は、是が非でもアーテルに知られないよう、情報操作をしなければならない。
だが、あの放送によると、解放軍自身が、自治区の窮状を教団に訴えるよう区長に仕向けていた。
……あんなの、テロ行為の中止を呼び掛けるだけじゃ済まないだろうに。
そもそも、どうやって遠く鵬大洋を隔てたアルトン・ガザ大陸に本部を置く教団に連絡をするのか。教団を通すより、国内の支部に手紙でも送った方が早い筈だ。
「給餌が完了した。これより【従魔の檻】に詰め、目標地点へ向かう」
「了解」
襟に着けた【花の耳】にラズートチク少尉の通信が入り、ルベルは取り留めもない思考を中断した。改めて【索敵】を掛け直し、【従魔の檻】を持って曇った夜空を【飛翔】する少尉の姿を追う。
標的のフリグス基地は、アーテル共和国の首都ルフスから見て北西に位置する。ラングースト半島を挟み、更に北西へ進めば、昨夏、武闘派ゲリラが壊滅させたアクイロー基地だ。
少尉の情報によると、どの基地も、予算不足で再建の目途が立たないらしい。
破壊を免れた無人機、有人の戦闘機や爆撃機、輸送機などは、フリグス基地とランテルナ中部基地、そして、既に破壊したテールム基地に分散して保管中だ。
他の二カ所はともかく、管制塔や無人機の操縦室を喪失したテールム基地に置いてどうするつもりなのか。
ルベルの【索敵】の視界をラズートチク少尉が身ひとつで飛ぶ。
暗い色のトレンチコートをはためかせて飛ぶ姿が、地上の街灯にうっすら照らされた。存在を知った上で、最初から追跡するルベルには見分けられるが、アーテル軍のレーダーには認識できない。
「目標地点、異状なし」
「了解」
ルベルが【索敵】で先回りして見た状況を伝える。ラズートチク少尉は、基地を視認できる場所まで飛んで【姿隠し】を唱え、続いて【跳躍】した。
見取図で示された目標地点……兵舎の屋上に再び【索敵】の視線を向ける。
雑妖除けで点されたLEDライトの鋭い光の中で、すっかり見慣れた監視カメラをみつけたが、機械の目では少尉の姿を捉えられない。
魔法の小瓶【従魔の檻】から解放され、闇の塊が屋上の床にとろりと広がった。
魔装兵ルベルはいつも通り、魔哮砲に取り付けた【花の耳】に力ある言葉で命令を送る。【使い魔の契約】で結ばれた魔哮砲は、主であるルベルの意図を読み取り、不定形の身体を「裏返した傘の形」に変えた。
「撃て」
ルフスの廃工場で発した短い命令が、遠く離れたフリグス基地の管制塔を一撃の許に粉砕した。




