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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五章 印歴二一九一年二月五日
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0098.婚礼のリボン

 遅い昼食兼少し早い夕食は、和やかに進んだ。

 焼魚の後、缶詰をひとつだけ開け、薬師(くすし)アウェッラーナが術で水分を温めた。

 紙コップに()いで分けると、一人一口ずつにしかならなかったが、誰からも文句は出ない。


 「ずっと魚ばっかりじゃ、栄養が偏って病気になるからなぁ」

 レノが、スープを飲み終えた紙コップに水を入れ、ちびちび飲みながら言う。

 少年兵モーフは、パン屋の青年に頷いたものの、内心、驚いた。


 ……栄養が足りねぇと、ハラが減るだけじゃなくって、病気になんのか。


 こちら側の住人は、小さな女の子のアマナとピナの妹まで、当たり前のこととしてレノの呟きを聞き流す。

 モーフもちゃんと小学校に通えたなら、教わったかもしれない。

 悔しさと悲しみと諦めが溶け合って、胸の奥で渦巻いた。


 モーフはスープの残りをかきこみ、レノに(なら)って瓶の水を紙コップに注いだ。こびり付いたスープが水に混ざって薄く味が付く。


 このスープも、モーフが初めて口にする「旨いもの」だ。

 何種類もの「ちゃんとした野菜」が入り、その味が重なり合って、何とも言いようのない美味しさを作り出す。


 ……旨くて、栄養があって、持ち運びもできる。


 便利な缶詰は、あと二十九個だ。

 「こんな旨いモン食ったのは、婚礼以来だ」

 食事を終えたメドヴェージが満面に笑みを浮かべる。


 少年兵モーフは生まれてこの方、婚礼に参加したことがない。どんなものなのかも知らなかった。

 ただ、近所の女の子たちが、憧れを口にするのを聞いただけだ。

 確かに、こんなご馳走が食べられるなら、それはとても幸福なものなのだろう。



 近所に、モーフの姉と歳の近い女性が居た。

 団地の仕立屋に勤め、団地と本人が無事なら、今もそうだろう。

 勤務先でもらった余り布で小物を(こしら)えては、近所の少女たちに配った。

 姉がもらったのは、真っ白で上等なリボンだ。その「近所のねーちゃん」は、婚礼衣裳の余りで作ったと言う。


 モーフはリボンを見て、シーニー緑地の蝶を思い出した。

 春になると、緑地には色とりどりの蝶が飛び交う。森や山脈から来て、雑草の花の蜜を吸う。人間には毒になる草でも、蝶やイモ虫は平気だ。


 モーフは仕事のない日、食べられる草を探しに緑地へ行く。

 花から花へ、ひらひら舞う蝶を見る度に、蜜だけで優雅に生きてゆけるのが(うらや)ましくなった。


 姉だけでなく、母と祖母まで年甲斐(としがい)もなく、腹の足しにもならないリボンに目を輝かせた。

 その時、我が家には交換できそうな物は何もなく、家の女たちは申し訳なさそうに縮こまった。


 「いつもお世話になってますから」

 近所のねーちゃんは、イヤミのない笑顔で言い、何も要求せずに帰った。


 十日後、やっと堅パンが手に入った。

 姉は自分の分を母に渡し、母はそれを仕立屋勤めのねーちゃんに届けに行った。


 こちらから寄越(よこ)せと言った物でもあるまいに、とんだ押し売りだと思ったが、姉があんな顔で笑うのは初めてだったので、モーフには何も言えなかった。


 母は自分の堅パンを姉と半分こした。

 それから三人は毎日、一日の仕事が終わるとリボンを出して、うっとり(なが)めた。祖母が体調を崩し、勤めに出られなくなるまで、そんな日々が続いた。



 ある日、姉は朝からずっと、そのリボンを髪に着けて過ごした。姉の白い肌と淡い色の髪にはよく似合ったが、それまで一度も着けなかった宝物だ。

 どう言う風の吹き回しかとモーフが(いぶか)ると、姉は笑って聞いた。

 「どう? 似合う?」

 「うん。どうしたんだ?」

 「お嫁にいけるかわからないけど、一回くらいは着けてみたいじゃない」

 訳のわからないことを言う姉に困惑し、モーフは寝込んだ祖母を見た。祖母はこちらに背中を向けて動かない。



 次の日、母は夕方遅くに大きな麻袋を抱えて帰って来た。袋の口が空いて、折り畳んだ段ボールの束がはみ出す。

 「段ボールがあれば、あったかい寝床が作れるからね」

 母は大きな声で言って、荷物を置いた。


 トタンの戸を閉め、人差し指を立ててシーッと言い、姉とモーフを手真似で呼び集めた。

 「堅パン、一か月分くらいになったよ。節約すれば、だからね。いっぱいあるからって、一度に食べちゃダメだからね」

 そう言いながら、母が麻袋から荷物を出す。


 麻袋の中身は、潰した段ボール箱と、堅パンの大パック三つだった。

 一人に一日一枚なら、確かに一か月は持たせられる量だ。

 堅パンが大量にあると知れ渡れば、盗まれるかもしれない。麻袋に入れ、潰した段ボール箱で挟んで隠して来たのだろう。


 「母ちゃん、これ、どうしたんだ?」

 モーフが小声で聞くと、母は眉間に(しわ)を寄せて首を横に振った。

 「お前は知らなくていいことだよ。それより、誰にも言っちゃダメだよ」


 母は一度言い出したら聞かない。

 気が変わるまでは、どんなに食い下がってもダメなものはダメなのだ。


 全部食べ終わる頃にまた聞こうと思い、モーフは大人しく引き下がった。

 (はか)らずも、大量の堅パンの出所はすぐに分かった。

☆近所に、モーフの姉と年の近い女性が居た……「0037.母の心配の種」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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