0098.婚礼のリボン
遅い昼食兼少し早い夕食は、和やかに進んだ。
焼魚の後、缶詰をひとつだけ開け、薬師アウェッラーナが術で水分を温めた。
紙コップに注いで分けると、一人一口ずつにしかならなかったが、誰からも文句は出ない。
「ずっと魚ばっかりじゃ、栄養が偏って病気になるからなぁ」
レノが、スープを飲み終えた紙コップに水を入れ、ちびちび飲みながら言う。
少年兵モーフは、パン屋の青年に頷いたものの、内心、驚いた。
……栄養が足りねぇと、ハラが減るだけじゃなくって、病気になんのか。
こちら側の住人は、小さな女の子のアマナとピナの妹まで、当たり前のこととしてレノの呟きを聞き流す。
モーフもちゃんと小学校に通えたなら、教わったかもしれない。
悔しさと悲しみと諦めが溶け合って、胸の奥で渦巻いた。
モーフはスープの残りをかきこみ、レノに倣って瓶の水を紙コップに注いだ。こびり付いたスープが水に混ざって薄く味が付く。
このスープも、モーフが初めて口にする「旨いもの」だ。
何種類もの「ちゃんとした野菜」が入り、その味が重なり合って、何とも言いようのない美味しさを作り出す。
……旨くて、栄養があって、持ち運びもできる。
便利な缶詰は、あと二十九個だ。
「こんな旨いモン食ったのは、婚礼以来だ」
食事を終えたメドヴェージが満面に笑みを浮かべる。
少年兵モーフは生まれてこの方、婚礼に参加したことがない。どんなものなのかも知らなかった。
ただ、近所の女の子たちが、憧れを口にするのを聞いただけだ。
確かに、こんなご馳走が食べられるなら、それはとても幸福なものなのだろう。
近所に、モーフの姉と歳の近い女性が居た。
団地の仕立屋に勤め、団地と本人が無事なら、今もそうだろう。
勤務先でもらった余り布で小物を拵えては、近所の少女たちに配った。
姉がもらったのは、真っ白で上等なリボンだ。その「近所のねーちゃん」は、婚礼衣裳の余りで作ったと言う。
モーフはリボンを見て、シーニー緑地の蝶を思い出した。
春になると、緑地には色とりどりの蝶が飛び交う。森や山脈から来て、雑草の花の蜜を吸う。人間には毒になる草でも、蝶やイモ虫は平気だ。
モーフは仕事のない日、食べられる草を探しに緑地へ行く。
花から花へ、ひらひら舞う蝶を見る度に、蜜だけで優雅に生きてゆけるのが羨ましくなった。
姉だけでなく、母と祖母まで年甲斐もなく、腹の足しにもならないリボンに目を輝かせた。
その時、我が家には交換できそうな物は何もなく、家の女たちは申し訳なさそうに縮こまった。
「いつもお世話になってますから」
近所のねーちゃんは、イヤミのない笑顔で言い、何も要求せずに帰った。
十日後、やっと堅パンが手に入った。
姉は自分の分を母に渡し、母はそれを仕立屋勤めのねーちゃんに届けに行った。
こちらから寄越せと言った物でもあるまいに、とんだ押し売りだと思ったが、姉があんな顔で笑うのは初めてだったので、モーフには何も言えなかった。
母は自分の堅パンを姉と半分こした。
それから三人は毎日、一日の仕事が終わるとリボンを出して、うっとり眺めた。祖母が体調を崩し、勤めに出られなくなるまで、そんな日々が続いた。
ある日、姉は朝からずっと、そのリボンを髪に着けて過ごした。姉の白い肌と淡い色の髪にはよく似合ったが、それまで一度も着けなかった宝物だ。
どう言う風の吹き回しかとモーフが訝ると、姉は笑って聞いた。
「どう? 似合う?」
「うん。どうしたんだ?」
「お嫁にいけるかわからないけど、一回くらいは着けてみたいじゃない」
訳のわからないことを言う姉に困惑し、モーフは寝込んだ祖母を見た。祖母はこちらに背中を向けて動かない。
次の日、母は夕方遅くに大きな麻袋を抱えて帰って来た。袋の口が空いて、折り畳んだ段ボールの束がはみ出す。
「段ボールがあれば、あったかい寝床が作れるからね」
母は大きな声で言って、荷物を置いた。
トタンの戸を閉め、人差し指を立ててシーッと言い、姉とモーフを手真似で呼び集めた。
「堅パン、一か月分くらいになったよ。節約すれば、だからね。いっぱいあるからって、一度に食べちゃダメだからね」
そう言いながら、母が麻袋から荷物を出す。
麻袋の中身は、潰した段ボール箱と、堅パンの大パック三つだった。
一人に一日一枚なら、確かに一か月は持たせられる量だ。
堅パンが大量にあると知れ渡れば、盗まれるかもしれない。麻袋に入れ、潰した段ボール箱で挟んで隠して来たのだろう。
「母ちゃん、これ、どうしたんだ?」
モーフが小声で聞くと、母は眉間に皺を寄せて首を横に振った。
「お前は知らなくていいことだよ。それより、誰にも言っちゃダメだよ」
母は一度言い出したら聞かない。
気が変わるまでは、どんなに食い下がってもダメなものはダメなのだ。
全部食べ終わる頃にまた聞こうと思い、モーフは大人しく引き下がった。
図らずも、大量の堅パンの出所はすぐに分かった。
☆近所に、モーフの姉と年の近い女性が居た……「0037.母の心配の種」参照




