0953.怪しい黒い影
ロークは、ルフス神学校のテロ現場で、魔物が涌かなかった理由に気付いた。
……スキーヌム君が言ってた「特別な司祭」が、お祈りのフリして【魔除け】や【退魔】を掛けたんだろうな。
そもそも、礼拝堂には【巣懸ける懸巣】学派の護りの呪文が刻んであった。
スキーヌムが神学校に居た間は確実に魔力が供給され、彼以外にも「無自覚な力ある民」が居れば、少なくとも【魔除け】は発動する。
礼拝堂の崩壊後、どの程度、術の効力が持続したか不明だが、遺体から魔物が涌かなかったのは不幸中の幸いだ。
長距離バスが、アーテル共和国の首都ルフスのターミナルで停車する。
ロークは降り際、ミラーに映った自分の顔が別人であることを確認して、タクシー乗り場へ向かった。
「ルフス神学校に一番近い花屋さんへ」
行き先を告げると、運転手は沈痛な面持ちで頷いて発車した。
カーラジオのニュースが大司教殺害事件の続報を流す。
捜査には進展がなく、コメンテーターの意見はテロリストの犯行一色だ。
……警察は、ポーチカさんとヂオリート君が行方不明なの、把握してるだろうけど。
二人の失踪をこの事件と絡めて発表すれば、大司教との関係について推測されてしまう。下衆の勘繰りが最も真相に近いなどと、万にひとつも漏らせない。
教団の圧力によって表向きはテロリストのせいにして、水面下で二人を追っているのか、本当に何の手掛かりも得られず、発表通り軍に対応を委ねようとしているのか。報道だけではわからなかった。
今日のロークは、背広姿で伊達眼鏡を掛け、ビジネスバッグを持って新人会社員を装う。クロエーニィエ店長の伝手で架空の名刺も用意した。
後でフィアールカに請求する為、名刺を見せて領収証を切らせる。
「一条の光が闇を拓きますように」
運転手の祈りに送り出され、タクシーを降りた。
思った通り、花屋の店頭には、弔問客用の小さな花束が揃えてある。一束買い、同じ花束を持つ人々の後について神学校へ向かった。
主婦らしき三人組が歩道の幅いっぱいに広がり、噂話をしながらゆっくり歩く。いつもなら、邪魔な先行者に苛立つところだが、今日のロークはつかず離れずの距離を保って三人の話に耳を澄ました。
「ホント、怖いわよねぇ」
「早く犯人捕まらないかしら?」
「相手は悪しき業を使うテロリストよ? 警察じゃムリよ」
これだけでは、どちらの事件かわからない。
「あー、そうよねぇ。やっぱり、軍の特殊部隊の人じゃなきゃ」
「カクタケアみたいな?」
ロークは少し驚いたが、表情を変えず、高級住宅街の掃き清められた石畳の歩道を歩く。
……子供がファンだったら、親も一緒にハマったりするのかな。
「そうそう。あぁ言う特別な力を持った軍人じゃないとムリよ」
「そうよねぇ。この間、親戚に聞いたんだけど、この辺、出るそうよ」
右端の一人が声を低めると、残る二人が気味悪そうに顔を向けた。
「何が?」
「この近くに幽霊屋敷って言われてる空家があるの、知ってる?」
「あぁ、ずっと昔、一家惨殺事件があったって言う豪邸?」
ルフス神学校の門が見えてきた。報道陣の姿はない。警備員と星の標の旗を持つグループが、弔問客を誘導する。
人が増えても、主婦たちはお構いなしに話を続けた。
「まだ取り壊してなかったの?」
「私らが子供の頃の事件よね?」
「そうよ。でね、そのお屋敷、まだあって、そこに黒い影が出たんですって」
「黒い影?」
「幽霊? 冗談でしょ?」
後の二人が明らかに引いたが、右の主婦は構わず続けた。
「人の形してなくて、ぐにゃぐにゃした気味の悪い影が、誰も居ない窓辺を行ったり来たり……」
「光の加減で庭木の影がそんな風に見えただけなんじゃないの?」
右の主婦は首を横に振った。
「親戚は、風もないのに影だけがぐにゃぐにゃ動いたから、ギョッとしたって」
「失礼します。そのお話、少し詳しくお聞かせ願えませんか?」
若い女性が主婦に歩み寄り、声を掛けた。黒いスーツをきっちり着こなした上から、星の標の腕章を巻いてある。
決して威圧的な物言いではなかったが、三人は、どことなく軍人を思わせる雰囲気に気圧されたらしく、固まってしまった。
年配の男性が横から口を挟む。
「失礼しました。奥様方を咎めたのではなく、本当にそのお話を詳しくお伺いしたいのですよ」
春の日向のように柔和な笑顔で、主婦の緊張が解ける。彼も、黒い背広に星の標の腕章を着けていた。
「あの、でも、親戚の見間違いかもしれませんし……」
「見間違いでしたら、危険なモノは居なかったということで、大変喜ばしいことです」
「我々が現地を確認し、必要があれば、陸軍の対魔獣特殊作戦群に出動を要請します」
雰囲気は、若い女性自身が特殊部隊の一員に見えたが、違うらしい。
主婦は、冬に湖面を吹き渡る北風のような厳しい声に萎縮しながらも、他の二人に見守られて説明した。
「新年に集まった時、親戚から聞いただけで、私は何も見てないんですよ」
「それで結構です」
冷たい声で逃げ道を塞がれ、主婦は渋々話し始めた。
「この近くに、昔から幽霊屋敷って呼ばれてる空家があるんですけど、ご存知ですか?」
「はい。二十年ばかり前にイヤな事件があったお屋敷ですよね?」
年配の男性が笑顔を引っ込めて言うと、主婦は頷いて続けた。
ロークは、校門の前で祈りを捧げるフリで、彼らの話に耳を傾ける。
「暮れにそのお隣のおうちに用があって、前を通りかかったら、誰も住んでないのに窓辺で何かが動くのが見えて、思わず立ち止まってしまったんだそうです」
「年末と言うのは、昨年のことですか? 正確に何月何日かおわかりですか?」
主婦は、若い女性の厳しく冷たい声に身を縮めた。
「す、すみません。その辺はちゃんと聞いてなくて、去年の暮れ、十二月の終わり頃……子供たちが冬休みに入ってからとしか……すみません」
「そのくらいわかれば、上出来ですよ。親戚の方は何が気になって立ち止まったんです?」
年配の男性の柔らかな声に主婦は肩の力を抜いて答えた。
「何だかよくわからない、ぐにゃぐにゃした影が動いてたそうなんです」
「形がですか?」
「そう言ってました。人や動物とは全然違う……形が決まってないみたいな? 最初は木の影かと思って、歩きだしたところで、風が吹いてないのに動いてるって気が付いて、怖くなって走ってお隣のおうちに駆け込んだそうです」
主婦は、話を聞いた時の恐ろしさを思い出したのか、自分の両肩をさすった。
「現場の隣家の住人は、何か言っていましたか?」
「いえ、私も親戚に聞いてみたんですけど、お隣さんは事件以来、怖くてそちら側の窓はずっと閉めてるそうなので……」
……何で星の標が、おばちゃんの噂話にこんな食いつくんだ?
しかも、よくある子供騙しの怪談話的な内容で、ヤマもオチもない。
いつまでも祈るフリを続けられず、主婦の話が神学校のテロに移ったところで再び聖印を切り、ロークは校門を潜った。
☆スキーヌム君が言ってた「特別な司祭」……「810.魔女を焼く炎」参照
☆礼拝堂には【巣懸ける懸巣】学派の護りの呪文が刻んであった……「763.出掛ける前に」参照
☆ミラーに映った自分の顔が別人であることを確認……「847.引受けた依頼」参照
☆大司教殺害事件……「870.要人暗殺事件」「925.薄汚れた教団」参照
☆軍の特殊部隊の人/カクタケア……「764.ルフスの街並」「794.異端の冒険者」参照
☆一家惨殺事件があったって言う豪邸……「836.ルフスの廃屋」参照




