0950.みんなの責任
ここも、地元のボランティアは湖の民が多い。
「エプロンがボランティアさんの目印よ」
案内してくれた老婆に言われ、クルィーロは改めて仮設住宅の集会所に視線を巡らせた。
老婆が手近に居たボランティアに声を掛け、先程、クルィーロが言った提案をそのまま伝える。湖の民の若者は相槌を打ちながら聞き、住民の女性たちが作業の手を止めて集まってきた。
ボランティアは、湖の民の若い男女七人と、陸の民の中年女性一人と若い男女三人だ。陸の民は誰も徽章を持っておらず、呪文入りの服を着ていない。
……力なき民か。
繕い物や布小物などの作業をする大人たちは、全員が陸の民だ。力ある民なら、【魔力の水晶】を充填するなど、もっと実入りのいいアルバイトができる。
魔法の勉強を教わる子供たちの中には緑髪の子も数人居るが、どうやらボランティアの弟妹が一緒に教えてもらっているらしい。
クルィーロは内心の警戒を微笑で隠した。
「こんにちは。俺たち、移動放送の手伝いをしています。この街にしばらく滞在して、市内で何カ所か場所を変えて放送する予定です」
「これはどうも、ご苦労様です」
年配の男性が怪訝な顔をしながらも、軽く会釈する。
「移動放送車はFMで出力が弱くて、電波が届く範囲が狭いので、市内でも場所を移して放送します。これ、オバーボク市内での第一回放送予定と歌の一覧です」
クルィーロが紙束を差し出すと、近くに居た緑髪の若者が受取った。
「後で自治会長さんにお渡ししますね」
「ありがとうございます。掲示板とか、みんなが見やすいとこに貼り出していただけたら、助かります」
メドヴェージが、「すべて ひとしい ひとつの花」と歌詞の募集について説明すると、予想通りの質問が出た。クルィーロは、もう何度もした説明をここでも繰り返す。
「続きの応募先はネモラリス建設業組合です。確かに、歌くらいじゃ戦争は終わらないと思いますけど、俺たち国民の一人一人が考えるのが大事なんです」
「今はもう、昔みてぇに王様や偉い人に全部任しときゃいいって時代じゃねぇからな」
「どう言うことです?」
先程の男性が、メドヴェージに聞いた。他の者たちも彼同様、何を言い出すのかと訝る。
メドヴェージは集まった視線に臆さず答えた。
「俺ぁ学がねぇから難しいこたぁわかんねぇが、民主主義の世の中ってなぁ、国民みんなに責任があるってコトらしい。ジャーニトルさんが、主権在民の権利と義務がどうのっつってたな」
国営放送アナウンサーの呼称が出た途端、大人たちの顔に何やらわかったような色が広がった。
子供らには何のことやらわからないようだが、隣とお喋りなどせず、大人しく様子を窺う。
「だから、国民一人一人に、どうすりゃ戦争をおしまいにできんのか、考えてもらいてぇんだ」
「いきなり戦争吹っ掛けて来たのはアーテルの方だぞ?」
「ネモラリス人の俺らが幾ら考えたって、向こうがやめてくんなきゃどうにもならんだろう」
「何せ、戦争ってのは相手があるこったからねぇ」
「国民主権ったって結局、国を動かしてるのは偉い人たちじゃないのさ」
「偉い人らには、あたしら庶民なんて、ちっとも見えちゃいないんだよ」
集会所のあちこちから声が挙がる。
かつては、湖の民のラキュス・ネーニア家と陸の民のラクリマリス王家が、神政を敷いて強権を揮い、共同統治を行った。
そのラキュス・ラクリマリス王国が共和制に移行して百八十年以上経つが、少なくとも、ネモラリス共和国民の大多数には、民主主義の主権者としての自覚や責任感が根付くどころか、芽生えてもいない。
旧王国時代を知る長命人種だけでなく、力なき民の若い有権者まで、「偉い人がなんとかしてくれる」と、自分と国政を結び付けられないでいた。
……俺も、そうだもんなぁ。
クルィーロは、二十歳になって初めて選挙の通知を受け取った時、何を基準にどう選べばいいかわからず、困惑した。
高校の社会の授業で、民主主義の仕組みは習ったが、主権者としてどうすればいいのか、と言う実務については習っていない。
選挙の前に通知が届き、この通知書を持っていかなければ、投票所に行っても投票できないことも、投票日に仕事などで行けない場合は、役所で期日前投票できることも知らなかった。
他のみんなもそうなのか、選挙の翌日、朝刊に載る投票率はいつも五十パーセント前後で、六十パーセントを超えた時には大ニュースとして取り上げられる。
アーテルの選挙事情はわからないが、ラクリマリス王国は民主主義の制度を否定した人々が、神政復古して成立した。一応、議会の制度は残ったが、選挙で当選しても、王の承認が得られなかった者は国会議員になれない。
半世紀の内乱は、フラクシヌス教徒とキルクルス教徒の宗教対立、湖の民と陸の民、力ある民と力なき民、長命人種と常命人種と言った人種間の対立だけでなく、ラクリマリス王家を擁立する神政復古派と民主主義を堅持しようとする共和派によるイデオロギーの対立でもあった。
湖の民のラキュス・ネーニア家の当主や重立った分家が、再度権力の座に就くことを拒んだため、共和派は湖の民と力なき陸の民を中心に構成された。
当主たちは、今や政は世俗の民に委ねるべき時代で、神の血を引く者は神聖な儀式と民の信仰を導くことに集中すべきだと唱えた。
そのことが、フラクシヌス教団内で主神フラクシヌス派と湖の女神パニセア・ユニ・フローラ派の対立を招いた。
幾つもの要因が複雑に絡んだ紛争は、五十年も続いた揚句、国家の分裂をもたらした。
……五十年も血を流し続けて民主主義を守ったのに、これだもんなぁ。
一昨年、選挙権を得たばかりで、国政のことなど何もわからない。
そんな自分が、主権者として国会へ送る代表者を勘でテキトーに選んでいいものなのか。烏滸がましい気がしてならなかった。
湖の民と共和派の陸の民が主体のネモラリス共和国。
力ある陸の民と主神派の湖の民が主体のラクリマリス王国。
キルクルス教徒の力なき民が主体のアーテル共和国。
三カ国は、人種や民族、信仰とイデオロギーでキレイに分かれたのではない。
ネモラリス共和国には、キルクルス教徒のリストヴァー自治区が設置されたが、自治区外にもキルクルス教徒が隠れ住む。また、イデオロギーは共和派だが、信仰は主神派の力ある陸の民や、イデオロギーは神政復古派だが、信仰は女神派で、ラキュス・ネーニア家の本家が留まったからこちらについた湖の民も多い。
あのクーデターも、神政復古したい女神派が起こしたものだ。
ネミュス解放軍が堂々と支部の看板を掲げ、腕章を着けて大手を振って歩けるのは、彼らの支持者が多く、取締まろうとすれば、却って現政権との対立が深まって危険だからだ。
現役の軍人でさえ、政府軍を抜けて解放軍につく者が少なくなかった。




