0949.変わらぬ動き
オバーボク市内では、魔道書も他所より少し安い。
情報収集の途中で寄った古本屋で「鳩の練習」を香草茶一袋と交換できた。
クルィーロは、懐かしい表紙に魔法の塾をサボってレノと遊んだ楽しさと、開戦から今日までの苦しさが同時に呼び起され、何とも言えない気持ちになった。
今日は、父とアマナが図書館で勉強、椿屋の兄姉妹とソルニャーク隊長がトラックで留守番、他のみんなは情報収集にあたる。
一緒に来たメドヴェージは、昨日編み上げた買物籠と帽子を手に絵本の棚を物色中だ。
……モーフ君のか。
少年兵モーフは、読み書きの練習をしたいようだが、アマナたち小学五年生の教科書は、まだ難しいらしい。
レーチカ市で買ったと言う「すべて ひとしい ひとつの花」の絵本は、教科書よりずっと易しいが、キルクルス教徒のモーフが繰り返し読むのは精神的にキツいだろう。
メドヴェージは、いかにも小さな男の子が好きそうな乗り物の絵本を買い、湖の民の店主からお釣りの菓子を受け取った。
「ん? 飴玉じゃねぇんだな?」
「あんたの子は、緑青飴ダメだろう。賞味期限ギリギリだから、早めにな」
「ありがとよ」
一口大の四角い包みはチョコレートだった。
国営放送ゼルノー支局で、職員の私物を失敬して以来だ。
……輸入が滞って、チョコも高級品になっちゃったもんなぁ。
メドヴェージが情報収集を始める。
「俺らは移動放送の手伝いで、クレーヴェルからぐるーっと西回りでここまで来たんだがよ、西グラナートからこっち、やけに呪符泥棒が流行っててびっくりしたんだ。ここらは前からこんななのか?」
「えぇッ? 他所も出んのかい? こんなの、戦争前はなかったのになぁ」
店主がぼやく。
「何かご存知でしたら、教えていただけませんか? 俺たちが街の情報を集めてジョールチさんが原稿書いて、後でFMで放送するんですけど」
クルィーロがいつも通り、放送予定表と歌詞のセットを渡すと、店主は緑の瞳を輝かせた。
「ジョールチって、国営放送の看板アナのあの、ジョールチさんかい?」
「えぇ、そうです。クーデターで本局乗っ取られたから、移動放送車で国民に情報を届けるって」
「そうか。生きてたのか。そうか……そうか。あれから全然、ラジオで聞かなくなったから、てっきり、クーデターでどうにかなっちまったんだとばっかり……」
店員の目尻に涙が滲む。
……ニュース読むアナウンサーで、ファンが居るなんて、ジョールチさんって、スゴイ人だったんだなぁ。
そう言えば、少年兵モーフも彼には随分、懐いている。
店主は、ジョールチに協力したいのは山々だが、犯人の手掛かりは何も知らないと肩を落とした。
「あ、いえ、別にジョールチさんが犯人捕まえるとかじゃなくて、オバーボク市民のみなさんに注意を呼び掛けたいだけなんで……」
「お役に立てなくてすまんね」
「こいつを店に貼り出してくれるだけで、大助かりだ」
メドヴェージが気にすんなと笑い、店主もつられて笑った。
二人は、オバーボク市役所で広報紙を一部手に入れ、仮設住宅の大体の場所を調べた。入居募集や、健康診断車巡回のお知らせで名称を見て、地図でおよその見当をつける。
オバーボク市もヤーブラカ市と同じで、校庭が埋まる程ではなく、公園や使途が決まらなかった塩漬けの市有地などに建てられていた。
取敢えず、市役所から一番近い公園の仮設住宅に足を運ぶ。
見知らぬ者への警戒の視線が肌を刺した。メドヴェージが物怖じせず、人懐こい笑顔で買い物帰りの老婆に話し掛ける。
老婆は露骨にイヤな顔をしたが、クルィーロがジョールチの名を出した途端、ころりと態度を変えた。
「ジョールチさん、ここにも来てくれるかしら?」
「さぁ? でも、ラジオがあれば、放送の声は聞こえますよ」
「持ってないのよ」
肩を落とす老婆をなんとか励まそうと、クルィーロは話を続ける。
「集会所はどうですか? 誰か、持ってる人に頼んで、みんなで聞かせてもらうとか」
老婆が弛んだ瞼を限界まで押し上げて、クルィーロを見上げる。
「そうね。みんなに声掛けてみるわ。お兄さん、闇を拓く知の灯みたいに冴えてるわね」
褒め言葉にギョッとして返事に詰まる。
すかさず、メドヴェージが助け船を出した。
「知の灯たぁ、これまた洒落た褒め言葉だな」
「そう? 近頃よく聞くから、若い人の間で流行ってるんでしょうね」
「なかなか気持ちが若ぇんだな」
老婆は少し気をよくしたのか、顔中の皺を深くして笑った。
「ボランティアの人たちは、みんな若いからね。幸せへの道が暗くても、ちゃんと知識を持って星を見失わないようにすれば、迷わず進めるもんだって、最近の若いコはしっかりしてるわねぇ」
……これも、キルクルス教の聖句……だよな?
クルィーロが目顔で問うと、メドヴェージは星の道義勇軍の顔で頷き、すぐ笑顔に戻った。
「おっ、その幸せの道がどうのっての、西の方の街でも聞いたなぁ。ローカルラジオか何かでやってんのか?」
「さぁ? なんせ、私ゃラジオ持ってないからねぇ。若いコの間で流行ってるんでしょうねぇ」
老婆は部屋に荷物を置くと、しっかり戸締りして集会所に案内してくれた。
「近頃は呪符泥棒だの何だのって、物騒でねぇ」
「さっき、お店の人も言ってました」
「そう? ウチはホラ、私一人で夜は早く寝ちゃうし、【灯】は子供が居る人に譲ったし、ごはんも集会所でみんなと食べるから、盗る物なくて無事なんだけど、斜め前のお部屋の人が盗られて困ってたわ。お兄さんたちも気を付けてね」
「はい。ありがとうございます」
クルィーロは自力で【灯】や【炉】を使えるが、神妙な顔で礼を言う。
集会所には、手芸をする人や子供に勉強を教える人がいて、半分くらいの席が埋まっていた。
☆少年兵モーフは、読み書きの練習をしたい……「138.嵐のお勉強会」参照
☆アマナたち小学五年生の教科書……「0029.妹の救出作戦」「138.嵐のお勉強会」参照
☆レーチカ市で買ったと言う「すべて ひとしい ひとつの花」の絵本……「647.初めての本屋」参照
☆国営放送ゼルノー支局で、職員の私物を失敬……「113.一階の拾得物」参照




