0948.術を学び直す
レノと葬儀屋アゴーニは、図書館の無料駐車場に停めたトラックに戻った。
丁度、オバーボク市立図書館の閉館を告げる鐘が鳴り、薬師アウェッラーナとクルィーロが出て来るのが見える。
「いいの借りられた?」
「いやー……それがさぁ、ここの市民以外には貸し出せない決まりだって断られて、一日中書き写してたんだ」
レノが聞くと、クルィーロはペン胼胝が赤くなった手を見せて苦笑した。
「ま、でも、書いた方が読むだけより頭に入って、スゲー勉強になったし、逆によかったよ」
幼馴染の苦笑が嬉しそうな笑顔に変わり、レノもつられて笑った。
……あ、そう言えば、「水晶で使う鳩の術」、全然読んでなかったな。
最後に目を通したのは、クレーヴェルの社宅に居た頃のような気がする。長い間、勉強をサボったせいで、読み終えた部分もすっかり忘れてしまった。
ピナはちょくちょく読んでいたような気がする。
……俺がもっとしっかりしなきゃいけないのにな。
「私も、この間のアレで、もう少し、身を守る術を使えた方がいいって痛感したので、【漁る伽藍鳥】学派の術を書き写してきました」
「あれっ? お兄さんに……」
「コツを教わる前に、まずは呪文をしっかり覚えないと」
アウェッラーナに苦笑され、レノは頭を掻いた。
「ん? 嬢ちゃん、【漁る伽藍鳥】学派にゃ防禦の術もあんのかい?」
「えぇ。魔物や魔獣だけじゃなくて、大型の魚も脅威ですから。防禦だけじゃなくて攻撃も少しあるんですよ」
「へぇー」
レノとアゴーニが同時に言うと、アウェッラーナは少し困った顔で付け加えた。
「攻撃も防禦も大量の水が要るんです。当然、その分だけ魔力も強くなくちゃ無理なんですけど、知らないよりはマシかなって……」
「できなくはないんですよね?」
「私……多分、自力では無理ですね。【魔力の水晶】をたくさん使うか、誰かに魔力を借りないと」
「あー……」
話が途切れ、何となく気マズい空気の中、荷台へ上がる。
……ジャーニトルさんって、強い魔力が要るって言う【急降下する鷲】学派の術、自力でいっぱい使えるんだよな?
レノは、魔法戦士の強さと恐ろしさを改めて思い、身震いした。
夕飯後、いつも通りにお茶を飲みながら、今日の収穫を出し合う。
レノが呪符泥棒の件を報告すると、ソルニャーク隊長と老漁師アビエースが頷いた。
「我々も、警察署の掲示板で知った。まだ、警察も全く手掛かりを掴んでいないらしい」
「この辺は呪符屋が多いから、仮設への寄付が多くて、見習いが作った【灯】や【炉】が盗られてるそうですよ」
「えっ? それじゃ、ごはん食べらんなくなるじゃない」
「ひどーい」
アマナとティスが憤る。
他所の仮設住宅は、共同の炊事場で調理するところが多かった。
食事時は混むので、数世帯で材料を持ち寄ってまとめて調理し、同じものを食べる方が効率がいい。だが、アレルギーで食べられないものがある住民は大変だ。
電気を引いてある仮設住宅は少なく、共同の庭でコンクリートブロックを組んだ間に合わせの竈で調理するところが大半だ。
夜は蝋燭を節約する為に早く眠る。
呪符の【灯】と【炉】があるだけで、生活の負担が全く違う。
「自分で使う用か、転売用か……」
メドヴェージが唸ると、アゴーニが言った。
「転売じゃねぇだろうな」
「何でだ?」
「今日は店長さんと商店街回ったんだ。ここらは魔法の道具屋やら素材屋がいっぱいあってな、呪符の類は他所より二割か三割安いとこが殆どだった」
「じゃあ、一番安い【灯】や【炉】は、売ったところで雀の涙ですね」
アビエースが相槌を打つと、メドヴェージも頷いた。
「成程な。食うに困って盗むなら、服や食器を盗るか」
「この辺りの仮設住宅には、呪符師の組合が週に一度、見習いが作ったものを寄付しているそうだ」
ソルニャーク隊長が言い、自分用に盗んだ説も否定した。
力ある民が、子供でも使える初歩の術の呪符を盗むとは考え難い。
地元の住民が、わざわざ捕まる危険を冒してまで、空襲で全てを喪った仮設の住民から盗むだろうか。
「そう言えば、どこかの街で呪符の燃えカスがみつかったって、言ってましたよね?」
「あぁ、そう言やあったな」
ピナが思い出し、アゴーニが頷く。
……あっちは捕まったかな?
あれからもう、随分経って、季節はそろそろ初夏だ。
「もし、犯人が同じ奴だったら、いちいち【跳躍】して、自分じゃ使わないのにショボい呪符盗んで回ってるってコトだよな」
DJレーフが、自分でも首を捻りながら、半笑いで言った。
国営放送アナウンサーのジョールチが、何かを思い出した顔で付け加える。
「そう言えば何年か前、女性の呪符師が作った呪符ばかりが盗まれる事件がありました」
「なんで?」
少年兵モーフが打てば響く勢いで聞いた。
「犯人は男性で、えー……何と申しましょうか……本来の用途とは、違う使い方で……えー……まぁ、要するに、変質者の犯行でした」
ピナとアウェッラーナが顔を顰め、パドールリクはアマナを抱き寄せた。
ティスは特に反応がない。想像がつかなかったらしい。
レノは、質問される前に濁した。
「世の中には、俺らが想像もつかないヘンな奴が居るんだなぁ。ピナとティスも気を付けるんだぞ」
妹たちが複雑な顔で頷くと、クルィーロが話を戻してくれた。
「俺らが持ってる呪符も、盗られないように気を付けなきゃな」
「えぇ。攻撃用の呪符が悪用されたら大変です」
薬師アウェッラーナが、硬い表情で香草茶を啜る。
彼女は、鱗蜘蛛対策として地下街チェルノクニージニクで色々買って来た。
魔法戦士の【飛翔する鷹】や【急降下する鷲】の呪符は、強い魔力を必要とする為、とても高価で、庶民にはなかなか手が出ない。戦争のせいで魔法薬が高騰したから買えたのだ。
ヤーブラカ市警に渡した呪符は、警備員ジャーニトルが使った【紫電の網】一枚以外、そのまま返された。
使った分の穴埋めに、と警官有志がポケットマネーで【魔除け】と【簡易結界】の呪符と【魔力の水晶】を少しくれたが、【紫電の網】一枚に遠く及ばない。
……あ、こっちは転売目的の奴にも狙われるかもしれないんだ。
今日は、運転手のメドヴェージと少年兵モーフが、荷台で蔓草細工を作りながら留守番してくれた。だが、銃が手許にない今、星の道義勇軍の彼らが、魔法使いの強盗を相手にどこまで戦えるのか。
この場所は【跳躍】禁止の結界内で、コソ泥の心配はないが、来るとすれば強盗だと気付き、レノは思わず身震いした。
……隊長さんに格闘技、教えてもらおうかな?
レノはあの日の運河やランテルナ島の拠点で、手も足も出なかったことを思い出し、奥歯を噛みしめた。アゴーニがネミュス解放軍の組織について話す声が、右から左へ抜ける。
どうすれば、妹たちを守れるのか。
レノは、木箱に置かれた力なき民向けの本「水晶で使う鳩の術」を手に取った。
☆「水晶で使う鳩の術」……「641.地図を買いに」参照
☆最後に目を通したのは、クレーヴェルの社宅に居た頃……「688.社宅の暮らし」参照
☆この間のアレ……「0930.戦い用の薬を」~「0936.報酬の穴埋め」参照
☆数世帯で材料を持ち寄ってまとめて調理し、同じものを食べる……「783.避難所を巡る」参照
☆どこかの街で呪符の燃えカスがみつかった……西グラナート市で冬の出来事「820.連続窃盗事件」参照
☆地下街チェルノクニージニクで色々買って来た薬師アウェッラーナ……「857.国を跨ぐ作戦」参照
☆警備員ジャーニトルが使った【紫電の網】……「0934.突破された壁」参照




