0946.新しい生活へ
巨大な鱗蜘蛛が退治され、殉職した警官たちの追悼式も終わり、ヤーブラカ市には日常が戻った。
道行く人々の顔からは、魔獣への恐怖も、勝利の興奮も、勇敢に戦って散った警官への哀悼も既にない。
少年兵モーフは、何事もなかったかのように仕事や学校、買物や通院など、それぞれの用で通りを行き交う人の群をぼんやり眺めた。
……みんな、行くアテがあるんだな。
ソルニャーク隊長とDJレーフが無事に戻り、移動販売店プラエテルミッサは次の放送場所へ移れるようになった。
ヤーブラカ市内では、後三カ所で三回ずつ、鱗蜘蛛退治の様子と改めて取材した生活情報を流すらしい。物流が回復したお陰で、食品関連を中心に物価も少しずつ落ち着きつつあった。
少年兵モーフは、昨日の放送を思い返す。もう何度目になるかわからない。
間近で見た鱗蜘蛛の様子や、警備員ジャーニトルと地元狩人の強さ、警官隊の錬度の高さ、全てが生々しく迫力があった。
何せ、薬師のねーちゃんアウェッラーナと魔法使いの工員クルィーロが、魔獣退治の現場を直接見たどころか、救護班として戦いに加わったのだ。
ラジオのおっちゃんジョールチは、二人から詳しく聞き取って原稿を書いた。
放送中、少年兵モーフは原稿を読み上げる声に鳥肌が立った。
再放送のリクエストがたくさん寄せられたせいで、この警察署横の公園だけで、三回も同じ話を流した。
「何回聞いても感動したよ。やっぱ、ジャーニトルさんは強かったんだなぁ」
ガローフと名乗ったおっさんが、目を輝かせてDJレーフの肩を馴れ馴れしく叩く。レーフは苦笑するだけで、元ゲリラの手を払いのけたりしなかった。
ガローフは、移動販売店のみんながランテルナ島に隠された拠点を出た後で、武闘派ゲリラに加わったが、色々あって湖の民の警備員ジャーニトルたちと一緒に抜けたらしい。
彼のようにネモラリス島の仮設住宅に入居した者と、ジャーニトルたちのようにアミトスチグマの難民キャンプに行った者に分かれた。
……どこ行ったって、ラクできるワケねぇんだよな。
モーフは、ピナやソルニャーク隊長、ラジオのおっちゃんジョールチたちと一緒に居られるなら、どこでもよかった。
これまで通った所は全部、リストヴァー自治区よりマシだった。
メドヴェージのおっさんも、居たらいちいち構い倒されて鬱陶しいことこの上ないが、居なければ居ないで物足りない。
ピナは、家族や仲のいい工員一家と離れ離れになったら悲しむだろうし、他のみんなも一緒の方が、同じ苦労をするにしても、楽しいに決まってる。
「俺、オバーボクに行くんだ」
「えっ? 折角、仮設当たったのに?」
DJレーフが驚く。
ガローフは肩に掛けた袋をポンと叩いて笑った。
「荷物こんだけで身軽なモンだし、ここの自治会長さんが、オバーボクの呪符職人の組合に紹介状書いてくれたんだ。ま、こんなご時勢だから、雇ってもらえねぇかもしんねぇけど、何もしないよりゃマシかと思ってな」
「早いとこ、働き口がみつかるといいですね」
「あぁ、あんたらのお陰で歩いてでも行けるようになったから、礼を言いに来ただけなんだ。ありがとう。助かったよ」
「まぁ、頑張れよ。生きてりゃその内いいコトあるからよ」
葬儀屋アゴーニが言うと、ガローフは右手を胸に当てて頭を下げた。
……商売で死人ばっか相手してる奴が言ったら、説得力スゲーな。
少年兵モーフは妙なところに感心して、首から提げた【導く白蝶】学派の徽章をこねくり回す湖の民のおっさんを改めて見た。
アゴーニはあの日、市民病院で呪医と一緒になってソルニャーク隊長の部隊を閉じ込めた時から、何も変わらない。
変わったのは、少年兵モーフたち星の道義勇軍の方だ。
ソルニャーク隊長とメドヴェージ、少年兵モーフの三人だけを残して、みんな死んでしまった。
それも、ネモラリス政府軍の攻撃ではなく、味方の筈だったアーテル・ラニスタ連合軍の空襲と、そのせいで発生した雑妖や、強くなった魔物のせいだ。
……世の中、何がどうなるか、わかったモンじゃねぇよな。
この一年余りでイヤと言う程、思い知らされた。
いい方にも悪い方にも、幾らでも変わる。
リストヴァー自治区に居た頃は、汚泥の中を這い回るような同じ日々の繰り返しで、自分の年齢もわからなくなってしまった。
「じゃ、そろそろ行くよ。いつか、俺の作った呪符が、あんたらの役に立てるように頑張るよ」
「あぁ、達者でな」
「お元気でー」
アゴーニとレーフが手を振り、少年兵モーフも、少し離れた所から小さく手を振る。
ガローフが公園を出て、姿が見えなくなってやっと、荷台の奥に引っ込んでいた女の子たちが顔を出した。
翌日、移動販売店プラエテルミッサのみんなが乗った国営放送のイベントトラックと、DJレーフが運転するFMクレーヴェルの移動放送車が、公園を出発した。
仮設住宅の住民やヤーブラカ南署の警察官、近隣住民たちが盛大に見送ってくれたが、行き先はまだ、ヤーブラカ市内だ。
少年兵モーフは、係員室の小窓からフロントガラス越しに外を眺める。
「みなさん、長らくお世話になりまして、ありがとうございました」
「放送、ありがとう」
「次はいつ来てくれるの?」
助手席から顔を出したジョールチにお礼や質問が飛ぶ。国営放送のアナウンサーは、ラジオのニュースと同じ声で言った。
「平和になった時に、またいつか。それまで『すべて ひとしい ひとつの花』の歌詞の続きを考えてお待ち下さい」
モーフは、人々の顔が困惑に染まったのが見えて、悲しくなった。
移動販売店プラエテルミッサが、ヤーブラカ市内での放送を終えてオバーボク市に入ったのは、ガローフが出発してから三週間ばかり過ぎてからだった。
☆巨大な鱗蜘蛛が退治……「0932.魔獣駆除作戦」~「0935.命懸けの治療」参照
☆殉職した警官たち……「0935.命懸けの治療」「0936.報酬の穴埋め」参照
☆ソルニャーク隊長とDJレーフが無事に戻り……「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆ガローフと名乗ったおっさん……「853.戻ったゲリラ」参照
☆ここの自治会長さん……【編む葦切】学派の呪符職人「852.仮設の自治会」参照
☆あの日、市民病院で呪医と一緒になってソルニャーク隊長の部隊を閉じ込めた時……「0017.かつての患者」~「0019.壁越しの対話」参照
☆アーテル・ラニスタ連合軍の空襲……「056.最終バスの客」~「058.敵と味方の塊」参照
☆そのせいで発生した雑妖や、強くなった魔物のせい……「070.宵闇に一悶着」「071.夜に属すモノ」参照
※『すべて ひとしい ひとつの花』の歌詞の続きを考えて
▼今ある歌詞はこれだけ。




