0945.食下がる少年
魔装兵ルベルがベッドに浅く腰掛け、手中の小瓶【従魔の檻】を見詰める。自分の体温とは別のぬくもりが掌に伝わり、胸が痛んだ。
ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクの宿屋は、どんなに安い所でも清潔で、しっかり護りの術が施され、魔哮砲の餌になる雑妖は一匹も居ない。
人にみつからぬよう、また、魔力の消耗を抑える為、窮屈な魔法の小瓶から、黒くやわらかな魔法生物を出してやる訳にはゆかなかった。
前回とは別の宿で、食事なしの素泊まりだ。
ラズートチク少尉は、数日前からネーニア島へ跳んで戻らない。
ネミュス解放軍に動きがあったらしいが、ルベルは詳細を教えられず、敵地での待機を命じられた。
トレンチコートの襟に付けた【花の耳】には何ひとつ連絡が入らない。
少尉の所在どころか、安否もわからないまま、徒に日数だけが過ぎた。あまり遅くなっては、折角、魔哮砲に貯えさせた魔力が代謝で消費されてしまうが、一介の魔装兵でしかないルベルが独断で動くなど、とんでもない。大人しく、ラズートチク少尉の連絡を待つしかなかった。
小瓶をそっと撫で、ウェストポーチに入れて立ち上がる。
ベッドに置いたタブレット端末を手に取ると、デジタル表示が、昼を少し過ぎたばかりだと告げた。
魔哮砲に餌を与えられないのに、自分だけ腹を満たす罪悪感が、チクリと胸を刺す。魔法生物の空腹に付き合ったところで何の意味もないと自らに言い聞かせ、安宿を出た。
扉の開く音に思わず顔を向ける。
同時に顔を出したのは、ふたつ離れた部屋の少年だ。目が合い、微笑して会釈を交わす。
「お兄さんも、今からお昼ですか?」
「ん? うん」
話し掛けられ、何となく頷いてしまった。少年の黒髪が、ムラークを思い出させたからかもしれない。
深緑色の瞳がルベルを見上げた。
「おいしい定食屋さん、知ってるんですけど、ご一緒にいかがですか?」
「見ず知らずの人にそんな簡単に気を許したら、危ないよ」
「お兄さん、いい人そうだから、大丈夫だと思ったんですけど……現に、初対面の俺を心配してくれましたよね?」
「人は見かけによらないし、詐欺師は最初、親切に振る舞って相手を信用させるものだよ」
高校生くらいの少年は、ルベルの厳つい顔をものともせず、人懐こい笑みを浮かべた。
「ホラ、やっぱりいい人だ。詐欺師だったら、自分の手の内を明かしたりしませんよ」
「強盗や人攫いかもしれないよ」
少年の服装は、春物のコートの下に純白のシャツと深緑のズボンで、前を開けたコートから見える範囲には、呪文や呪印が見当たらなかった。
徽章もない。【霊性の鳩】学派なのか、ルベル同様、隠しているのか。それとも力なき民なのか。これだけでは判断できなかった。
……宿賃の足しに客引きのアルバイトでもしてるのか?
煉瓦敷きの通路を並んで歩きながら考える。
少年の服は、何の術も掛かっていないようだが、ベルトも含めてどれも一目でわかるくらい上等だ。
何故、行商人向けの安宿に泊まるのか、一人なのか連れが居るのか、いつまで居るのか。あまり懐かれて纏わりつかれたのでは、任務に支障が出るかもしれない。
「俺、懐が淋しいから、高いとこは無理なんだ」
角を曲がって立ち食いのサンドイッチ屋へ足を向けると、少年はルベルの前に回り込んだ。
「人捜しをしてるんです。手伝って下さったら、お昼奢りますよ」
「仕事で来てるから、手伝ってあげる暇はないんだ。そう言うのは、警察に頼まないと、それこそ詐欺師の思う壺だ」
ルベルは少年を避けてサンドイッチ屋のカウンターに並んだ。少年が小走りで追い付き、ルベルの隣に割り込む。押しのけられた男性客が舌打ちしたが、大柄なルベルと目が合うと、視線を逸らしてサンドイッチに齧り付いた。
「アーテルの警察じゃ、ダメなんです」
「どうして?」
言ってから、しまったと思ったが、手遅れだ。
黒髪の少年は、ルベルが興味を示したことで、引受けてくれるものと思ったらしく、深緑の瞳を輝かせて喋り出した。
「ポーチカ姉さんが居なくなったのは、魔法の宝石のせいだから、警察に相談なんてでき……警察だけじゃなくて、本土の誰にも言えないんです」
ルベルは、店主に小さく手を振ってカウンターを離れ、大股で歩いた。
敢えて人通りの多い通路に入って撒こうとしたが、頭ひとつ分高い所にある燃えるような赤毛は、どこへ行っても目立つ。少年は、息を弾ませながら追い付いて、少しずつ事情を語った。
「ポーチカ姉さんには長い間、悩みがあったんです」
少年は数か月前、カフェで偶然、隣に座った親切なお婆さんに話し掛けられ、世間話をする内にポーチカの悩みを相談した。
お婆さんは親身になって話を聞いてくれた上、次に会う時に悩みを解決できる魔法の品をくれると約束してくれた。
約束の日、両親に不審に思われないギリギリの金額を財布に詰めて、待ち合わせ場所へ行った。お婆さんには断られたが、どうしてもお礼を渡したかったのだ。
魔法の品は、赤い宝石だった。
予想外に高価な品を渡され、少年は何度も断られたが、それではどうしても気が済まないから、と有り金すべてを受取ってもらった。
「人肌みたいに生温かいのに、触ったら背筋がゾクゾクする薄気味悪い宝石でした」
ルベルは諦め、目についた店に腰を落ち着けた。
少年が当たり前のような顔で隣に座る。
「その宝石のお陰で、ポーチカ姉さんの悩みは解決したみたいなんですけど、その後、行方不明になってしまったんです」
魔装兵ルベルは、注文を取りに来た給仕に一番安い「本日の定食」と告げ、付け加えた。
「連れじゃないんで、会計、別です」
「い、いえ、そんな! 話を聞いてもらえただけでも有難いんで、お礼させて下さい!」
ルベルは少年に注文を促すと、どうしたものかと目顔で問う給仕にやや強く言った。
「別でお願いします」
給仕は、少年が食い下がる前にそそくさ退がった。
黒髪の少年はその背を不満げに見送り、ルベルに向き直ると、何事もなかったかのように話を続けた。
「宝石を譲ってくれたお婆さんは本当に親切な人で、まさかあれでそんなコトになるなんて思わなかったからって、責任を感じて捜すの手伝ってくれてるんです。おカネを返すって言われましたけど、ポーチカ姉さんが持って行ったみたいで見当たらないので、それはお断りしました」
「例えば、俺が君の姉をみつけて殺して、高価な宝石を奪って売り飛ばして『捜してもみつかりませんでした』って言う可能性があるんだが、あちこちで色んな奴にこの話をしてるのか?」
少年は、深緑の瞳で赤毛のルベルを見上げるだけで答えない。
ルベルは、大人として、想定の甘い世間知らずの少年に現実を突きつけた。
「君自身も危険だ」
「俺? どうして俺が?」
黒髪の少年は頬に引き攣った笑みを貼り付けて聞く。
「力なき民の子供なのに、この島に来て、大金を持ち歩いてるようなコトを言って回ってるなら、強盗に狙われるかもしれない」
先に少年のオムレツが来た。
少年は料理に手を付けず、深緑の瞳を異様にギラつかせてルベルを見詰める。
「もし、君の姉が宝石をおカネに換えて彼氏と駆け落ちしたなら、余計なお世話だ。捜して欲しくなんてないだろう」
少年が耳まで赤くなり、拳を握って俯いた。
ルベルは給仕から焼魚定食のトレーを受け取り、さっさと食べ進める。黒髪の少年はオムレツの皿を押しのけ、ポケットから出した手帳大のファイルをカウンターに広げた。
ルベルは、視界の端で女性の写真を捉えた。
少年と同じ艶やかな黒髪と深緑の瞳。二十代半ばと言ったところか。十人中八人は美人と評するだろうが、残りは、影のある儚げな微笑を「暗い」と敬遠するだろう。
「知らんな」
ルベルは定食に集中した。
香草をまぶしてこんがり焼きあげられた魚が香ばしい。付け合わせの旬の野菜は瑞々しく、パンもふっくらして美味い。これで一番安いのだから、他はどれだけ美味いのやら。
「ポーチカ姉さんは、偉い人の愛人だったから、彼氏なんて居ません。偉い人が死んでやっと自由になれたと思ったのに行方不明になって……」
「それこそ、知り合いが誰も居ない場所で人生やり直したいんじゃないか?」
ルベルは、彼女の影の理由がわかり、さもありなんと思った。さっさと食べ終え、立ち上がる。オムレツは手つかずで冷めていた。
「俺は仕事が忙しいから手伝ってやれないけど、姉さんの無事が早くわかるといいな」
動かない少年を置いて、一人分の会計を済ませて店を出た。
☆前回……「788.あの日の歌声」参照
☆黒髪が、ムラークを思い出させた……「536.無防備な背中」参照
☆ルベルの厳つい顔……「487.森の作戦会議」「508.夏至祭の里謡」参照
☆魔法の品は、赤い宝石……「925.薄汚れた教団」参照




