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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十四章 小康

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0943.これから大変

 翌日、これまでとは様子の異なる患者が、救護所の列に加わった。

 一人ずつ、緑髪の兵に付き添われた男性たちだ。


 ネミュス解放軍の兵が、付き添ってきた患者の隣で背筋を伸ばし、呪医セプテントリオーに敬礼する。

 「呪医(じゅい)殿、本日の患者は、異端の教えを捨て、星の(しるべ)を脱退した者が多く居ります。念の為、ご注意下さい」

 緑髪の兵士の隣で、金髪の男性が居心地悪そうに身を縮める。呪医と目が合った途端、怯えた顔を下に向けた。粗末な服の裾を握る手が震える。


 「怖いのですか? 治療に痛みはありませんから、安心して下さい」

 呪医が幼子に対するようにやさしい声音で言うと、元星の(しるべ)団員は(うつむ)いたまま(かす)かに首を横に振った。兵の声が苛立ちにささくれる。

 「呪医殿はお忙しい身だ。この()に及んでグズグズするんじゃない」

 「彼は、自らの意志でここへ来たのですか? それとも……」


 ……それとも、本当に星の(しるべ)の教えを捨てたか、試す為に?


 呪医は口に出さなかったが、顔を上げた患者の目が全てを語る。

 「自力でここまで歩いて来られたと言うことは、現在、命に別条あるような重傷ではありません」

 セプテントリオーは患者にやさしく声を掛け、ネミュス解放軍の兵士に表情を消した顔を向けた。

 「頭では、今まで信じてきた教えが『誤りだった』と理解できても、気持ちの上では、なかなか割り切れるものではありません」

 兵士は何か言いたそうな目で呪医を見詰め返すが、ウヌク・エルハイア将軍の遠戚であり、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる者に反論する不敬は犯さなかった。


 伝承によれば、湖の女神は呪医だ。

 旱魃の龍との戦いに於いては、癒しの術で仲間の命を守ったと言う。


 セプテントリオーは、旧王国時代に軍医だった頃も崇敬の的で、打ち解けて話をしてくれる者は、クロエーニィエなど極少数だった。

 思いがけず、孤独な記憶が呼び起こされ、言葉に詰まる。


 患者の怯えた目が、湖の民の呪医からネミュス解放軍の兵士に移った。

 「決心がつく前に無理強いするのは却ってよろしくありません」

 「しかし、それでは……」

 護衛として呪医の傍らに控える兵が口を挟んだ。この元騎士の顔は、軍医時代に見た憶えがあるが、呼称までは思い出せない。


 セプテントリオーは、元騎士の解放軍兵士に患者と同じ説明を繰り返して、付け加えた。

 「私は、アミトスチグマの難民キャンプに戻らねばなりません。自治区にはあまり長居できませんが、滞在中に決心がつけば、必ず対応しましょう」

 「呪医殿が帰還なさる前に腹を(くく)った方が身の為だぞ。文字通りの意味でな」

 付き添い兼監視役の兵が患者をせっつく。


 「これは、彼らの心の問題です。周りが()かしてもいいことはありません。彼の心に折り合いがつくまで、そっとしてあげて下さい」

 兵士と護衛が困惑した視線を交わし、元星の(しるべ)の患者が驚きに見開いた目で湖の民の呪医をまじまじと見詰める。

 セプテントリオーは患者に微笑で応えた。

 「他の方々にも、決心がつかない内は、無理をする必要はないとお伝え下さい」

 「は、はい! あの、いっ……今、決心しました!」

 患者が頬を上気させて勢い込み、消え入りそうな声で「治して下さい」と付け加えた。兵士と護衛が顔を見合わせて苦笑する。


 呪医セプテントリオーは、診察台に横たわるよう患者を促した。

 木箱を並べた上に、毛布と清潔なシーツを掛けただけの台だ。

 患者は痛む箇所を庇いながら、そろりそろりと身を横たえた。不安げな目が呪医を見上げる。セプテントリオーは傍らにしゃがんで頷き、力ある言葉で【見診(けんしん)】を唱えた。


 「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者

  白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ(やまい)

  命の(ほつ)れ (つまび)らか (ほころ)(ふさ)ぐ その為に」


 彼の左前方で爆発があったらしく、傷はそちらに多い。破片は全て取り除かれ、左腿の大きな傷は科学の医師が治療したらしく、縫合済みだ。左の鼓膜に損傷があり、かなり聞こえ(にく)いようだが、失聴には到っていない。脇腹にも複数の傷があるが、どれも浅い。腿の傷を癒す余波で塞がるだろう。


 衛生担当の兵たちが、目顔で指示を仰ぐ。

 「ズボンを脱がせて下さい。【麻酔】を掛けて抜糸して、術で傷を塞ぎ、鼓膜も復元します」

 身を起そうとする患者を衛生兵の一人が押さえ、もう一人がベルトを緩めてするりとズボンを抜き取る。

 呪医は、縫合された傷にそっと手を置き、その部分を対象に【白き片翼】学派の【麻酔】を唱えた。


 「今閉ざす 偽の鍵以(かぎも)て 時刻(とききざ)む 門戸を(ふさ)

  痺れゆけ 命の水脈(みお)よ ゆるゆる眠れ」


 患者は大人しく、されるがままだ。呪医は術が発動した手応えの直後、手渡された鋏で縫合糸を切り、そっと抜き取った。


 「命繕(いのちつくろ)狭間(はざま)の糸よ

  魔力(ちから)を針に この身繕(みつくろ)い 流れる血潮 現世(うつよ)(とど)

  黄泉路(よみじ)の扉 固く閉じ 明日(あす)に繋げよ この命」


 糸を節約する為か粗く縫われた傷が、術の【縫合】で見る見る内に塞がり、拭い去ったかのように消えた。

 念の為、上着を(めく)る。衛生兵が患者を抱え起こし、手際良く包帯を(ほど)く。キレイな肌が現れ、セプテントリオーは【麻酔】を解除して上着を下ろした。


 「左耳はいかがですか?」

 「は、はい! ちゃんと聴こえます!」

 患者は足首に引っ掛かったズボンを上げる手を止め、少し言い澱んだ後、呪医の目を見て言った。

 「……ありがとうございます。あの……センセイにさっきあぁ言ってもらえて、胸の(つか)えが取れたみたいにハラ決められました。ありがとうございます」

 「そう言うコトは、パンツ丸見えじゃなくて、ちゃんとした恰好で言えよ」

 「女神様の血に連なるお方に無礼な」

 そう言う兵たちの顔は笑っている。

 患者は診察台を降り、急いで身形(みなり)を整えてペコリと頭を下げた。

 「し、失礼しました! でも、ホントに、ホントにありがとうございます!」

 「どういたしまして。それでは、他の皆さんにも先程のお話をお伝え下さい」


 防音も何もないテントで、順番が近い者たちには筒抜けだ。


 元星の(しるべ)の団員は身体のあちこちを撫で、どこも痛まないのを確認すると、何度も礼を言いながら救護所を出て行った。


 ……本当に大変なのは、これからだ。


 星の(しるべ)は、協定に基づいて呪医の治療を受けた患者やその家族を「穢れた者」として殺害してきた。

 (てのひら)を返して自身が治療を受けたと知られれば、遺族や友人知人からどんな仕打ちを受けるか。

 直接には何もされなかったとしても、星の(しるべ)ではない自治区民の目は鋭く冷たいことだろう。


 両者のわだかまりが解ける日は、いつになるのか。

 湖の民であり、女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる者としては、遠くから見守ることしかできなかった。

☆湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる者……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」参照

☆伝承によれば、湖の女神は呪医だ……「671.読み聞かせる」参照

☆打ち解けて話をしてくれる者は、クロエーニィエなど極少数……「291.歌を広める者」「423.食堂の獅子屋」参照

☆協定に基づいて呪医の治療……「369.歴史の教え方」「529.引継ぎがない」「551.癒しを望む者」「552.古新聞を乞う」参照

☆治療を受けた患者やその家族を「穢れた者」として殺害……「591.生の声を発信」「629.自治区の号外」「859.自治区民の話」「905.対話を試みる」参照

☆星の(しるべ)ではない自治区民の目は鋭く冷たい……「900.謳えこの歌を」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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