0942.異端者の教育
呪医セプテントリオーは、初回以降の話し合いに加われなかった。
救護所のテントは、ネミュス解放軍とラクエウス議員の支持者たちの手で、リストヴァー自治区東教区の教会に設置された。
怪我人の行列は途切れることなく、唯一人の呪医は連日、負傷者の治療に追われる。ここしばらくは、ほんの数時間、仮眠を取る他はロクに休めなかった。
ネミュス解放軍の一部による自治区襲撃から何日が過ぎたのか。
日付の感覚を失った頃、運び屋フィアールカが、クブルム山脈を経由してゾーラタ区へ逃れた自治区民を連れて戻った。
お互い、用をこなす最低限の言葉しか交わさなかったが、知人の無事な姿を見ただけで心が軽くなり、疲労感がやわらいだ。
「助かったわ。コンボイールさん、ちゃんと伝えてくれるって。私は別件があってもう引き揚げるけど、ラゾールニクはまだ居るから、何かあったら言ってね」
フィアールカは帰り際、救護所に顔を出し、一方的に告げて行ってしまった。
……彼女らも忙しいのだな。
返事をするより先に運び屋が消えたテントの入口を見遣り、ぼんやり思った。
それから数日経って、夜はまとまった時間、休めるようになった。
やや余裕ができ、時間切れでその日の内に癒せなかった人々がどうするのか、気付いた。
どうやら、礼拝堂内や敷地に張られた別のテントで休み、自宅に帰らない者が多いらしい。
「また並び直すと、後回しにされるかもしれんので」
包帯に血を滲ませた男性に言われ、申し訳なく思ったが、弾丸や破片が刺さった患者は、どうしても処置に時間が掛かる。だが、体内にそんな物を残したまま傷だけを塞ぐ訳にはゆかない。焦って手許が狂えば大出血を招きかねず、申し訳なさを抱えて治療に勤しんだ。
セプテントリオーはふと、最初の話し合い以降、司祭の姿を見かけないことに気付いた。
「司祭様にご用ですか?」
応接室で朝食の用意をする尼僧に聞くと、不安げに聞き返された。
「あ、いえ、特には……しばらくお顔を見ないものですから……」
「司祭様はあの日から私に教会を任せて、区長さんのおうちで話し合いの続きと、西教区の司祭様とご一緒に星の標への再教育をなさっていらっしゃいます」
「儂も横で聞かせてもらっておるが、なかなか興味深いぞ」
ウヌク・エルハイア将軍が、セプテントリオーの記憶より老けた顔に笑みを浮かべた。堅パンのパックを開ける手を止め、すぐに笑みを消して続ける。
「内乱中に知っておれば、半世紀も長引かずに済……いや、もっと前に知っておれば、内乱自体、起こらなかったであろうな」
セプテントリオーは内乱前も内乱中も、無用の諍いを避けようと、なるべくキルクルス教徒とは関わらないように生活していた。
職業柄、関わらざるを得ない状況はよくあったが、意識不明の患者を癒して自殺されたことや、身内に治療を拒絶され、助けられる筈の命を助けられなかったことなど、キルクルス教徒との関係では苦い記憶が多い。
トラック運転手のメドヴェージのように積極的に魔術による治療を望み、呪医に心から感謝するキルクルス教徒も少なからず居たが、後で元患者が原理主義を標榜する過激な信徒に殺されたことや、一家が皆殺しにされたこともあり、それがどんな教えなのか、知りたいとさえ思えなかった。
「少なくとも、ここの星の標には、大した思想がない」
「どう言うことですか?」
セプテントリオーは、遠縁の親戚に首を傾げてみせた。
「元が農家に雇われた用心棒なのだそうだ。食い扶持の為に入団した者が殆どで、半数以上がロクに聖典を読んだこともない輩だった」
将軍が説明すると、尼僧は小さく頷いた。
「司祭殿が、聖典を見せながら読み上げただけで恐れ入っておった。まぁ、中には少数、そんなものは嘘だと言う者もあったが、周りの者から『聖典に嘘が書いてあるワケがない』などと窘められて黙りおった」
「星の標は、異端の教えを信じる人々で、自治区内でも少数派でした。毎週きちんと礼拝に通ってらっしゃる敬虔な信徒のみなさんは、彼らの武力を恐れて何も言えなかったのです」
尼僧が胸の前で「聖なる星の道」を表す楕円を描いて静かに言うと、ウヌク・エルハイア将軍は深く頷いた。
「銃火器と爆弾は全て破壊した。包丁など刃物の使用や、再び武器を密輸する懸念は残るが、その対策も話し合っておる」
「どんな対策ですか?」
「自治区への魔装兵を含む政府軍の駐留だ。ネミュス解放軍が再度ここを襲うことはない、と言う約束と引き換えに合意が成れば、我らと入れ替わりに政府軍の部隊が来る」
「そんな条件を区長や自治区の有力者たちが飲むでしょうか?」
政府軍は、国連やキルクルス教団などがリストヴァー自治区への人権侵害を云々しないよう、全力で魔物や魔獣、ネミュス解放軍から護ろうとするだろう。だが、セプテントリオーには、その「対策」こそが、自治区民の信仰を踏み躙るのだとしか思えなかった。
「聖典には、【巣懸ける懸巣】学派の術が幾つも載っておった。魔物や魔獣から身を守る為、工兵の派遣も要請してみてはどうか、と言ってやったら、区長は乗り気になったように見えた。他の者は、彼が説得するであろう」
セプテントリオーは、将軍の楽観的な物言いに却って不安を覚えた。そう簡単に行くとは思えないが、それ以上言わず、質素な食事を進める。
物思いに耽りながら、堅パンと温め直した缶詰のスープを食べ終え、三人はそれぞれの用に散った。
☆最初の話し合い/司祭様はあの日……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」参照
☆セプテントリオーは(中略)キルクルス教徒とは関わらないように生活……「369.歴史の教え方」「370.時代の空気が」、「432.人集めの仕組」「433.知れ渡る矛盾」参照
☆意識不明の患者を癒して自殺されたこと……「369.歴史の教え方」「561.命を擲つ覚悟」参照
☆身内に治療を拒絶され、助けられる筈の命を助けられなかったこと……「0017.かつての患者」「551.癒しを望む者」参照
☆メドヴェージのように積極的に魔術による治療を望み、呪医に心から感謝……「0017.かつての患者」参照
☆後で元患者が原理主義を標榜する過激な信徒に殺されたこと……「560.分断の皺寄せ」「859.自治区民の話」参照




