0941.双方向の風を
緑髪の魔女はタブレット端末を持っていた。金髪の魔法使いラゾールニクと同じものだ。教会まで案内するクフシーンカの傍らで、熱心に街の様子を撮影する。
「林業組合の小屋、私と市民病院の呪医が知ってるから、他の仲間にも教えて、時々様子を見に来るわね」
クフシーンカは、緑髪の魔女の申し出に同意したものか迷った。一存では決められないが、魔女は決定事項として続ける。
「小屋が直ったら、週に一回くらい誰か寄越すから、用があれば手紙を置いて。必要な物は後で小屋に届けるわ」
「心ない人が持ち去るかもしれないのですが……」
クフシーンカが情けなく思いながら言うと、緑髪の魔女は言った。
「その辺の対策はこっちで考えとくわ。……あぁ、そうそう。小屋の床材はそのままにしてよね。あれに護りの術が掛かってるから」
「何から何まで……恐れ入ります」
「気にしないで。私はラキュス湖が平和になって欲しいだけだから」
クフシーンカは、精いっぱいの感謝を籠めてもう一度礼を言った。
教会の敷地にテントが張られ、作業服に血痕をつけた工員たちが順番待ちの列を成す。
手当てを受け、包帯を巻かれた者ばかりだが、魔法の治療を受ければすぐ治る。
星の標が捕えられ、東教区の司祭が改めて許しを与えた今、治療を望む人々の顔には、あの日のような怯えや恐れは見えなかった。
「ウヌク・エルハイア将軍にお目通りして、お伝えしたいことがあるんだけど」
緑髪の魔女が、救援物資の仕分け作業をする解放軍の兵士に声を掛けた。
魔女と同じ髪色の兵士たちは、同族の女性に不審者を見る目を向け、仲間内で顔を見合わせただけで答えない。
「私は、セプテントリオー呪医や、リストヴァー自治区出身のラクエウス議員たちと一緒に、平和を目指す活動をしている者よ。将軍に取り次いでもらえる?」
兵たちが作業の手を止めて視線を交わす。
手伝いの自治区民が、緑髪の魔女と共に来たクフシーンカとソルニャーク隊長に困惑した顔を向けた。
「何なら、呪医に確認してもらって構わないわ。運び屋フィアールカが来たって言ってちょうだい」
兵の一人がテントへ走り、他の者たちは作業を再開した。部外者に余計な情報を漏らさぬよう口止めされたのか、黙々と手を動かす。
「もしかすると、将軍はもう、司祭様とご一緒に区長の家へ行ったかもしれません」
「あら、話し合い、まだ終わってなかったの?」
クフシーンカが言うと、フィアールカと名乗った湖の民の魔女は、緑の目を丸くした。
「すぐまとまる話ではございませんし、星の標への再教育もありますから」
「再教育って?」
フラクシヌス教徒のフィアールカは、星の標をよく知らないらしい。ソルニャーク隊長が簡潔に説明する。
「星の標は、異端の教えを信じているのです」
「そうです。司祭様は、将軍立会いの許で聖典を読み直して、正しい教えに導く再教育をなさってらっしゃいます」
「将軍が同席……? 脅されて、捻じ曲げられた信仰を押しつけられている、と逆恨みされるのではありませんか?」
ソルニャーク隊長が顔を曇らせた。実際の様子は、知らされなかったらしい。
「数人ずつ、聖職者用の聖典を見せて教えますから、大丈夫ですよ」
クフシーンカ自身は、一度だけ再教育の様子を見せてもらったが、星の標の団員たちは、司祭が星道記の箇所を示し、将軍の【鎧】に同じ刺繍があるのを見せられると、この世の終わりのような顔で驚いた。
彼らが事実を受け容れるには、まだ時間が掛かりそうだ。
兵がテントを出て、顔を出した呪医にこちらを示す。
運び屋フィアールカが手を振ると、呪医セプテントリオーは顔を綻ばせて手を振り返した。
「将軍は朝から区長の所で話し合いです。ペルシーク支部長のコンボイールなら居ますが、将軍以外には伝えたくないお話ですか?」
「将軍にちゃんと伝言してくれる人なら……呪医は忙しいわよね?」
「えぇ、生憎……」
市民病院の呪医は苦笑を浮かべ、長い列を見遣った。その向こうで、自治区民と解放軍の兵士が協力して、救援物資の仕分けをするのが見える。
「連絡からたった半日で、こんなにたくさん届けて下さって、ありがとうございました」
「事情を話して、難民キャンプ用にまとめてあったのをちょっと回してもらっただけだから、呪医は気にしないで」
呪医と運び屋の打ち解けた様子に解放軍の兵士たちが緊張を解く。
「ラクエウス議員たちにもよろしくお伝えください」
「それは任せて。ラクエウス議員のお姉さんとソルニャークさんも、コンボイールさんに会わせてもらって構わないかしら?」
「ご本人さえよろしければ」
呪医と運び屋が、国会議員の縁者として自治区の世話役を務める老女と、星の道義勇軍の隊長に緑の目を向ける。二人はしっかり頷いた。
「この方々をコンボイールの所へ案内して、私の代わりに運び屋フィアールカの話を聞いて下さい、と伝えて下さい」
頼まれた兵は姿勢を正して敬礼し、三人を丁重に案内する。
数日前、礼拝堂を埋め尽くした避難民は、社宅を破壊された工員とその家族、店舗兼住居を失った店主一家に入れ替わった。
仮設住宅は特に被害がない。住民は、過密状態に加え、ネミュス解放軍の駐屯地のひとつになった教会から早々に帰宅した。
住む所を失った者の大半は、小中学校の空き教室に仮住まいさせてもらい、教会に身を寄せるのは、あぶれた数世帯だけだ。
団地地区も同様で、一部は農村地区の親戚宅へ身を寄せる。
この数日で知り合いの安否がわかり、クフシーンカは、前を向いて平常心で歩もう、と自分に言い聞かせて過ごした。
湖の民に「よく知っている教会の応接室」へ案内され、妙な気分だ。
開け放たれた扉の向こうで、老いた尼僧と緑髪の元騎士コンボイールが、聖典を挟んで向かい合う。兵が形式的にノックし、用件を告げた。
「ご苦労。退がってよし」
ネミュス解放軍ペルシーク支部長は、鷹揚に頷いて部下を退がらせ、三人を招じ入れた。
ローテーブルには、聖職者用の分厚い聖典と一般信者向けの聖典が開いてある。
クフシーンカはふたつの聖典が並ぶのを初めて目にした。信者向けの厚さは五分の一あるかないかだ。
「なぁに? 支部長さん、改宗するの?」
「将軍が、『彼らの信仰を知らなければ、双方にとってどうするのが最良か判断できん』と仰せでな」
コンボイールが同族の運び屋に苦笑を向ける。
尼僧が何とも言えない顔で端に寄って促し、クフシーンカは隣に腰を降ろした。扉に近い端にソルニャーク隊長が座る。
運び屋フィアールカは、何も言われない内から、向かいのソファの端に浅く腰掛け、鞄からタブレット端末を取り出した。
「フラクシヌス教には聖典がないから、今度、子供向けの神話の絵本、持って来ましょうか?」
端末の画面にあの歌と同じ「すべて ひとしい ひとつの花」と題された絵本の表紙が現れた。
運び屋のほっそりした指が画面をつつくと、表紙がめくれ、中のページが次々と表示される。
「それとも、改宗する人が出たら困るから、要らないかしら?」
「いえ、それは……わかりませんが……」
尼僧は言葉を濁し、聖典に視線を落として言った。
「これは、私の個人的な考えですが、生まれた場所によって信仰を強制されるのは、よろしくないと思っております」
「ネモラリス島とか、他所で生まれ育ったキルクルス教徒が、自治区に移住したいって言ったら、受け容れられそう?」
フィアールカが聞くと、尼僧は顔を上げずに答えた。
「今でも過密状態で、苦しい暮らしを送る方が多いので……」
「そう。じゃ、この件は別の手を考えるわ」
湖の民の魔女は身を捻って年配の武人に向き直り、物怖じすることなく言った。
「支部長さん、将軍に伝えて欲しい用件って言うのは、クブルム街道の再整備と、リストヴァー自治区との定期連絡よ。できるかどうかはともかく、将軍に伝言、お願いね」
「それは、セプテントリオー様のお考えなのか?」
コンボイールが表情を動かさずに聞く。
間近で見る魔法の【鎧】は、美しい刺繍が目を引いた。幾つかの模様は、クフシーンカがかつて拵えた祭衣裳と同じだ。
「彼がヒントをくれて、自治区民も交えて考えた案よ」
湖の民の運び屋が、クブルム街道の現状と、彼女らも定期連絡すること、一部の自治区民がゾーラタ区民との交流を望み、ゾーラタ区民も同じ考えであることを簡潔に説明する。
支部長は頷きながら耳を傾け、確認した。
「そして、それらは政府軍に知られてはならんのだな?」
「あなたたちがホントに星の標と手を組むんなら、しばらくはそうした方がいいでしょうね」
フィアールカが、形の良い唇に薄い笑みを浮かべる。ソルニャーク隊長は無言で頷き、同意を示した。
尼僧とクフシーンカは、固唾を飲んでコンボイールの答えを待つ。
「わかった。必ずや、ウヌク・エルハイア将軍にお伝えしよう」
将軍がどんな判断を下し、司祭や区長、星の標がどう動くか、全く予測がつかない。だが、クフシーンカは、新たな時代へ向かう最初の一歩が踏み出され、双方向の風が吹き始めるのを感じた。
☆治療を望む人々の顔には、あの日のような怯えや恐れ……「551.癒しを望む者」~「556.治療を終えて」参照
☆あの歌と同じ「すべて ひとしい ひとつの花」と題された絵本……「647.初めての本屋」「659.広場での昼食」「671.読み聞かせる」「672.南の国の古語」参照




