0940.事後処理開始
リストヴァー自治区で発生した瓦礫は、信じられない速さで撤去された。
ネミュス解放軍の兵が唱えたのは、大きなコンクリート塊でも羽毛のように軽くなる呪文らしい。別の兵が魔法の袋に詰め、貴重品や思い出の品、まだ使えそうな家財を残して片付けた。
大きな瓦礫が小さな巾着袋に吸い込まれる様は、目を開けたまま夢でも見ているようで現実感がない。だが、全壊した仕立屋の瓦礫がなくなり、ソファや一部の棚など、まだ使える物が自宅に運ばれたのは、現実の出来事だ。
店舗の跡地は、床材のせいで前庭には見えないが、クフシーンカは何故か晴れ晴れとした気持ちになった。
クフシーンカは、区長宅の寝室に居たアシーナを一時預かり、道路に散乱した瓦礫の撤去を待って商店街に連れてきた。
彼女が、「仕立屋を解雇されてから手伝いをしていた」と言う工員相手の定食屋に引き渡す為だ。
この数日でアシーナが語った事情の何割が事実かわからず、クフシーンカは話半分で聞き流していた。
丁度、クブルム街道へ逃れた人々が戻って来たところだ。
破壊された検問所前に、呪文を染付けた服の男性、作業服やツナギの上から毛布を肩に掛けた人々、湖の民の若い女性が姿を現した。
先導する力ある民の男性は入ろうとしなかったが、緑髪の女性は、解放軍の偉い人に用があるから、と自治区内に堂々と入って来る。雲雀の首飾りを提げた男性は驚いた顔をしたが、何も言わなかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
クフシーンカが声を掛けると、自治区に帰還した工員たちは、人懐こい笑顔を浮かべた。
「店長さん! ご無事でよかったです!」
新聞屋の夫婦が駆け寄る。アシーナに気付いて一瞬、顔を歪めたが、すぐクフシーンカの手を握って再会を喜んだ。
「山は大変だったでしょう?」
「星の道義勇軍の人と市民病院のセンセイ、それに、あの女の人が守ってくれたから、そうでもありませんでしたよ」
新聞屋が湖の民の女性を目で示す。よく見ると、緑髪の魔女の隣を歩くのは、星の道義勇軍のソルニャーク隊長だ。司祭から借りた拳銃は、使わずに済んだだろうか。疲れた様子だが、インタビューに協力してくれた彼も無事で安堵した。
駆けて来た菓子屋の一家と互いの無事をひとしきり喜んで聞く。
「山に泊まったの?」
「一晩だけですけどね」
「朝になってからゾーラタ区へ抜けて、農家の人に何日かお世話になって、あの女の人がもう大丈夫だって言うから、平地を通って来たんです」
菓子職人の簡潔な答えに妻が早口に付け足し、湖の民の女性を視線で示した。
「店長さん、教会に避難なさったみなさんは、大丈夫だったんですか?」
新聞屋の妻が、作業する解放軍の兵士を窺いながら小声で聞く。
クフシーンカは微笑んでみせた。
「大丈夫よ。みんなで市民病院の呪医たちに教えていただいた“平和を願う歌”を謳っていたら、解放軍の偉い人に『その歌は何だ』って聞かれて、そこからこちらの事情をちゃんと聞いてもらえたのよ」
自分たちだけ自家用車で逃れた罪悪感があったらしく、団地地区の商店主たちは何度も詫びながら涙ぐんだ。
救援物資の毛布を掛けた人々が、道案内をしたゾーラタ区民に感謝と別れを告げながら、破壊された門を潜る。
「まだ、避難先から戻って来ないのかな?」
アシーナが帰還者の列を眺めて聞えよがしに言う。彼女が言った定食屋は実在したが、閉まっており、人の気配もなかった。
「勤め先のお店が無事でよかったわね。それじゃあ、さようなら」
「はぁい。お世話になりましたー」
イイ顔で言われたが、本当に感謝しているかどうか、知れたものではない。クフシーンカと新聞屋、菓子屋の一家は、工場へ向かうアシーナを何とも言えない顔で見送った。
あんな風に解雇を言い渡された相手に恥も外聞もなく助けを求め、のうのうとしている強かさは、生来のものなのか。バラック街の暮らしがそうさせたのか。
教会を締め出されたから区長に頼り、区長の旗色が悪くなったと見るや、クフシーンカに泣きついて、用が済めばあっさり離れた。
クフシーンカは、アシーナが火事場泥棒を働かぬよう監視する為に自宅に泊めたのだが、彼女は「人の良い老婆を上手く利用してやった」程度にしか思っていないようだ。
戦闘が行われた工場も瓦礫の撤去が済み、小さな町工場が幾つか更地に変わった。工員たちが寒々とした空間に目を向け、肩を落とす。
ネミュス解放軍の攻撃で失業した工員や、クフシーンカのように店を失った経営者への補償は見送られた。
工場で応急処置を受けた重傷者は、あの話し合いの後、呪医に癒されてすっかり元気になった。仕事に戻った者もあれば、工場が被害を受け、仕方なく片付けに加わる者も居る。
市民病院の呪医は現在、東教区の教会で寝起きして、毎日、大勢の治療を続けるが、まだまだ終わりが見えないようだ。
「ラクエウス議員の親戚が経営してるお店に行きたいんだけど、知ってる?」
声の方を見ると、湖の民の女性がソルニャーク隊長に聞いていた。
「あの、私に何かご用でしょうか?」
「あなたが、クフシーンカさん?」
緑髪の若い女性は、頷いたソルニャーク隊長と共に車が一台もない車道を渡ってきた。
「そうです。ラクエウスの姉です」
「丁度よかったわ。アミエーラさんから伝言を預かって来たの」
「あのコとお話しなさったの? 元気かしら?」
「昨日、他の人からメールで伝言の伝言を頼まれて、直接会ったのは少し前だけど、もう一人のお針子さんも、ラクエウス議員も元気だったわ」
「ありがとうございます。アミエーラは、私に何と?」
クフシーンカは内心、同じ信仰を持つ自治区民のアシーナより、初めて会った湖の民の魔女をすんなり信用した自分を嗤った。
緑髪の魔女も、初対面の老女を信じて伝言する。
「故郷の為にできることがあれば、何でも言って下さい……ですって」
あの子は、大伯母カリンドゥラと共に力ある民として生きる道を選んだ。リストヴァー自治区に住むキルクルス教徒であった過去を捨て去ったのだとばかり思っていたが、とんだ思い違いだったらしい。
クフシーンカは胸がいっぱいになり、言葉が出なかった。ソルニャーク隊長だけでなく、湖の民の魔女も、キルクルス教徒の老女を気遣わしげに見詰める。
「今は……バタバタしておりますので、何が必要かわかりません。ただ、その気持ちだけで充分だとお伝え下さい」
「そう。伝えとくわね」
魔女は微笑んで、老女がやっと絞り出した声に頷いた。
ソルニャーク隊長が言う。
「山道に避難した者から、林業組合の小屋を修理し、避難所として使えるよう整備して欲しいと言う要望が出ました。私も同感です」
「左様でございますか。それでは早速、教会でみなさんにお伝えします」
「解放軍の偉い人って今、教会に居るのよね? ついでに案内してもらっていいかしら?」
「えぇ。年寄りなものですから、足が遅くてすみませんが、それでもよろしければ」
「ありがとうございます。ゆっくり見て回りたいから、丁度いいわ」
緑髪の魔女は、クフシーンカの申し出をやわらかな微笑で受けた。
クフシーンカは道々、ここ数日のことを話す。
解放軍による自治区襲撃から四日が過ぎ、街は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。
学校に立て籠もった星の標も、ネミュス解放軍ペルシーク支部長コンボイールと彼の配下が、抵抗を試みる暇さえ与えず捕縛した。
一般人に紛れ、武器や爆弾を隠し持っても、魔法の目にはお見通しらしい。味方ならば心強いことこの上ないが、敵対した星の標にとっては、さぞかし恐ろしい相手だったことだろう。
子供たちは保護者の許へ帰されたが、授業はまだ再開できないでいた。
ネミュス解放軍は、「子供たちの巻き添えを避ける為、学校から離れた」と言ったが、数人の児童が星の標に爆弾を括りつけられ、解放軍への自爆攻撃に幼い命を散らされた。
解放軍の兵士は全員、魔法の【鎧】を装備している。負傷者は出たものの、この攻撃では一兵たりとも失われなかった。
ネミュス解放軍は、瓦礫の撤去や救援物資の配布、星の標への監視などの為、まだしばらくは自治区に留まる。
街から子供たちの姿が消え、工場の稼働音が却って淋しく感じさせた。
……湖の民が引き揚げれば、代わりに政府軍が来るのよね。
子供たちが安心して遊べるのは、いつになるのか。その日を見届けられるのか。
教会へ向かう老女の足が重くなった。
☆区長宅の寝室に居たアシーナ……「918.主戦場の被害」参照
☆司祭から借りた拳銃……「897.ふたつの道へ」参照
☆拳銃は、使わずに済んだだろうか……使った「906.魔獣の犠牲者」参照
☆インタビューに協力してくれた彼……「887.自治区に跳ぶ」~「891.久し振りの人」参照
☆平和を願う歌……「900.謳えこの歌を」参照
☆解放軍の偉い人に『その歌は何だ』って聞かれ……「904.逆恨みの告口」「905.対話を試みる」参照
☆あんな風に解雇を言い渡された……「480.最終日の豪雨」~「485.半視力の視界」参照
☆教会を締め出された……「904.逆恨みの告口」参照
☆区長の旗色が悪くなった……「918.主戦場の被害」~「921.一致する利害」参照
☆あの子は、大伯母カリンドゥラと共に力ある民として生きる道を選んだ……「592.これからの事」参照
☆学校に立て籠もった星の標……「917.教会を守る術」参照
☆武器や爆弾を隠し持っても、魔法の目にはお見通し……【索敵】のこと。「918.主戦場の被害」参照




