0939.諜報員の報告
あの日、ネミュス解放軍は【跳躍】でゼルノー市に移動。リストヴァー自治区の正門を攻撃し、政府軍の部隊を速やかに殲滅した上で、工場地帯に侵入した。
「指揮官のクリュークウァ支部長カピヨーは、かなり戦慣れした人物だったよ」
魔法使いの諜報員ラゾールニクが、一部始終を見てきたかのように語る。
……いや、スパイの兄ちゃんのことだ。ホントにどっかからこっそり見てたかもしんねぇ。
「工場地帯は、冬の大火で無事だったとこが多かったみたいで、割と古い建物も残ってたな。で、星の標は解放軍が来るのを知ってたから、幾つかの工場に分かれて武器持って待ち構えてて、戦闘になった」
少年兵モーフは、故郷が湖の民の武装勢力に踏み躙られた話に耳を塞ぎたくなったが、拳を握って歯を食いしばった。
ラゾールニクはどうやって調べたのか、工員がみんな星の標の団員で固めてある工場の名を次々並べ、そこが戦場になったと言う。マレーニ染業は、モーフも何度か下働きに行ったことがあった。
「あっと言う間に戦線が拡大して、周辺の工場や社宅の人たちが逃げ出した。星の標は他所の工員にも戦うように呼び掛けて、協力した人たちは、解放軍の攻撃を受けて死傷、逃げた人たちも、流れ弾に当たったり、星の標に後ろから撃たれて死傷。工場地帯の北半分くらいは大変なことになった」
「我々はその頃、農村地帯を視察中で、仕立屋の店長とラゾールニクが区長と話していた」
モーフは、偉い人の身内が一緒だと、そんな簡単に偉い人に会わせてもらえるのか、とソルニャーク隊長の話に感心した。
「区長から、解放軍が自治区を攻撃すると聞き、会談を打ち切って団地地区と東地区の住民に避難を呼掛けたが、既に工場地帯で戦闘が始まっていた」
ソルニャーク隊長のマグカップを持つ手に力が籠もる。
メドヴェージが首を傾げた。
「逃げるったって、どこ行きゃいいんです? 畑の方は星の標が殺る気満々で待ち構えて……」
「クブルム街道だ。夏の間に土砂を除けて安全に通れるようにしてあった」
「ゾーラタ区の人たちも、山菜採りに行ったりするのに街道の掃除してて、早めに逃げられた人たちはゾーラタ区まで、後から行った人たちも、林業組合の小屋へ避難できたよ」
クブルム街道には、魔物や魔獣がうじゃうじゃ居る。
薪拾いに行った人たちの何割かは帰って来なかった。
魔法の使えない自治区民が、そんな危険な山道をどうやって掃除したのか。
それ以前に「安全な道」とやらがあることに少年兵モーフは驚いた。母もそれを知っていたから、毎年、薪や食べ物を採りに山へ行っても、無事に帰って来られたのかもしれない。
モーフは話の腰を折らないよう、質問を飲み込んで続きを待った。
「呪医に避難の誘導と救助要請を頼んで、俺は教会に残って山へ行けない人たちの護りを固めた」
「魔法使いのクセに教会入ったのかよ」
モーフが思わず漏らすと、メドヴェージが苦笑した。
「非常事態なんだ。堅いコト言うなよ」
「護りを固めるって何だよ?」
おっさんの相手はせず、諜報員に疑問と不満をぶつける。
「教会には、【巣懸ける懸巣】学派の防護の術が色々掛かってるから、それを発動させたんだ」
「ウソだッ! 教会にそんなモンあるワケねぇッ!」
叫んだモーフにみんなの驚いた目が集まる。ソルニャーク隊長に肩を抱き寄せられた。
「聖典を隅々まで読んだことはあるか?」
ロクに文字が読めない悔しさに喉が詰まり、歯を食いしばって首を横に振った。
「星道記の建築の項目に載っている」
「えッ?」
モーフが顔を上げると、ラゾールニクが慰めるような口調で言った。
「君だけじゃなくて、世界中の信者の大半が知らないよ。教会の防護だけど、【魔除け】はそこに力ある民が居るだけで発動する。【耐火】や【頑強】、【耐震】とかは最初に一回、呪文を唱えて発動させなきゃいけない」
「兄ちゃんがその呪文を唱えたってのか。よく知ってたな?」
葬儀屋アゴーニが目を丸くする。
そう言えば、誰もラゾールニクが何学派の魔法使いなのか知らない。
クルィーロと同じ、魔法使いなら常識としてみんなが習う【霊性の鳩】学派しか使えなくて、徽章を持っていないのかと思っていたが、違うような気がしてきた。
「聖典に載ってんのを読み上げただけだよ」
「えぇッ?」
荷台の声がひとつになった。
「おいおい、そんなの司祭様がよく……」
「聖典、司祭様に貸してもらったんだ。聖職者の人たちは隅々まで読んで知ってるから、俺が力ある民だっての、上手いコト誤魔化してくれたよ」
ラゾールニクはメドヴェージを遮って一息に言い、みんなを見回した。
DJレーフが場の空気を変える。
「俺の方は、将軍が直接会ってちゃんと話を聞いてくれた」
「よく無事に戻れましたね?」
薬師のねーちゃんの兄貴が何とも言えない顔で言うと、DJレーフは申し訳なさそうに目を伏せて報告を続けた。
「ウヌク・エルハイア将軍は部下に調べさせて、ホントに動いたって確めてから戦いを止めに行く準備をして、次の日に出発したんだ」
「レーフは何故、戻らなかったのです?」
ラジオのおっちゃんが、苛々した手つきで眼鏡を拭きながら聞く。
「証人としてついて来て、後で話し合いの結果を放送して欲しいって頼まれたんだよ」
「私はその頃、呪医と共に山道で避難民を誘導していた。呪医が端末で連絡を取り、翌朝早くにフィアールカさんが救援物資を持って来てくれた」
レノ店長が妙な所に喰らいついた。
「えっ? 自治区ってインターネット使えるんですか?」
「お兄ちゃん、山に登れば、ラクリマリスの電波を拾えるって、さっき言ってたじゃない」
ピナが苦笑すると、ラゾールニクが頷いて続けた。
「それで、フィアールカさんに呪医と交代してもらったんだ」
「運び屋の姐ちゃんに救援物資運ぶ以外のことも頼んだのか?」
メドヴェージが口の中で、こいつぁ高く付きそうだ、と呟く。
「そう。避難誘導と山道の護衛を頼んだんだ。呪医には教会に戻って怪我人治してもらって、俺は被害状況とかの調査に行った」
「将軍が連れてった部隊と俺は、ラゾールニクさんと入れ違いになったんだ」
少年兵モーフは唾を飲み込もうとしたが、口の中がカラカラに乾いて上手く行かなかった。香草茶はもうないが、淹れてもらうのは気が引ける。
「将軍が部下に停戦の命令を出して、星の標はなるべく生け捕り。武器を全部取り上げて、将軍が区長んちに乗り込んで話し合いをしたんだ」
「それって、話し合いじゃなくって脅しなんじゃないかな?」
レノ店長が、DJレーフの説明に困ったような苦笑を浮かべ、みんなの気持ちを代弁した。
「うん、まぁ、戦力差が凄かったからね。将軍と区長の他に司祭様と店長さん、俺、それに呪医が話し合いに参加した。こうでもしないと、殺さないで制圧して話し合いの席を設けんのって、難しかったんじゃないかな?」
……司祭様と店長さんも将軍に脅されたのか?
モーフは気になったが、確めるのが怖くて質問の声が出なかった。
「で、その話し合いの様子は、さっき渡したテープにコピーしてあるから、後で聞いてくれる?」
ラゾールニクに言われ、みんなは何となく、係員室に目を向けた。
「話し合いの結果、決まったことは、自治区内のラジオで放送したよ。地元のアナウンサーと俺が原稿読んで、何かヘンな気分だったけど」
リストヴァー自治区全体に届けたなら、国営放送リストヴァー支局だろう。
「要約だけ説明しとくよ」
ラゾールニクが大判封筒をジョールチに渡しながら言った。
星の標リストヴァー支部長は、インターネットを介して他の支部にネモラリス国内でのテロ中止を呼び掛けること。
アーテル共和国内に居る魔哮砲の捜索に協力し、インターネット上の目撃情報も毎日、ネミュス解放軍に報告すること。
星の標リストヴァー支部の団員は全員、武装解除し、聖職者用の聖典を全ページ読むこと。
ネミュス解放軍は、この戦闘によって生じた瓦礫の撤去と、負傷者の治療を行うこと。
自治区外に逃れた者の帰還を助けること。
ボランティアが運んだ救援物資を公平に分配すること。
リストヴァー自治区は、政府軍の駐留を受け容れること。
「条件詰めるのに時間掛かったけど、ざっとこんなカンジ」
ラゾールニクが並べた項目はどれも無茶苦茶で、みんなは口を半開きにして自治区帰りの三人を見た。
「解放軍が引き揚げるのと一緒に帰って来たんだ。遅くなってごめん」
「魔哮砲は、キルクルス教徒にとっても、解放軍にとっても、存在を許せない“絶対の敵”だからね。その辺の共闘を中心に他の条件を一個ずつ詰めたんだよ」
「じゃあ、内緒にするのって、解放軍と星の標が“魔哮砲をやっつける仲間”になったのが、政府軍の人にバレないように?」
アマナが小学生らしからぬ質問をした。
ラゾールニクが頷いて付け足す。
「そう。解放軍の襲撃を受けたって連絡して、政府軍に駐留の要請を出して、表向きは敵対関係が続いてるフリをしてもらうことになった」
「政府軍も恐らく、自治区から教団を通して国連に連絡が行き、武力介入されるシナリオは想定しているでしょうから、全力で人手を掻き集めて駐留するでしょうね」
ラジオのおっちゃんがすらすら言う。
「政府軍が居れば、星の標も大人しくせざるを得ないでしょうね」
クルィーロの父ちゃんが言うと、他の大人たちも頷いた。
……みんな、なんでそんな難しいことわかるんだ?
「魔哮砲を倒した後、両者がどう動くか、それ以前に星の標の他の支部がどう動くかなど、不安や不確定要素は多数あるにせよ、当面の間、自治区の安全は約束された」
ソルニャーク隊長が締め括り、荷台に微妙な空気で満ちる。
だが、今は彼らを同じラキュス湖畔に住まう人間として、信じるしかなかった。
☆逃げた人たちも、流れ弾に当たったり、星の標に後ろから撃たれて死傷……「915.救援物資配布」参照
☆区長から、解放軍が自治区を攻撃すると聞き……「893.動きだす作戦」参照
☆会談を打ち切って団地地区と東地区の住民に避難を呼掛けた……「894.急を知らせる」~「898.山路の逃避行」参照
☆ゾーラタ区の人たちも、山菜採りに行ったりするのに街道の掃除……「537.ゾーラタ区民」「786.束の間の幸せ」参照
☆早めに逃げられた人たちはゾーラタ区まで……「913.分配と心配と」参照
☆後から行った人たちも、林業組合の小屋へ避難できた……「906.魔獣の犠牲者」参照
☆呪医に避難の誘導と救助要請を頼んで……「897.ふたつの道へ」「」参照
☆俺は教会に残って山へ行けない人たちの護りを固めた……「896.聖者のご加護」「900.謳えこの歌を」参照
☆薬師のねーちゃんの兄貴が何とも言えない顔で言う……他の身内はネミュス解放軍の手伝いをしに行った。「827.分かたれた道」参照
☆ラゾールニクと入れ違いに将軍たちが来た……「915.救援物資配布」「916.解放軍の将軍」参照




