0937.帰れない理由
雀が鳴き始めてすぐの薄暗い空の下、移動販売店プラエテルミッサのトラックを訪れた者があった。
早起きの爺さんが声を上げ、少年兵モーフとレノ店長が起き出す。
「あ、起こしちゃった?」
モーフは一気に目が覚めた。
DJレーフが帰ってきた。ソルニャーク隊長も一緒だ。
居なくなってから十日も経って、何故か諜報員ラゾールニクまで居る。
「トラックの人って、これで全部かな?」
「はい。ラゾールニクさん、二人を連れて帰って下さって、ありがとうございます」
寝惚け眼のレノ店長がみんなを代表して、アミトスチグマ王国からネモラリス島のヤーブラカ市まで【跳躍】した諜報員に礼を言った。その声で、みんなも寝床から起き上がる。
モーフは二人を迎える声を背に荷台を飛び降り、急いで運転席のメドヴェージを叩き起こした。おっさんが運転席を出るのを待ち切れず、隊長の傍に駆け戻る。
ソルニャーク隊長は、レーフが居なくなった次の日にリストヴァー自治区へ出発したが、予定より一週間以上も帰りが遅くなった。
……もう、帰って来ないんじゃねぇかと思った。
「遅くなってすまない」
モーフは涙が出そうになって隊長の袖を握った。その腕が少年兵モーフを抱き寄せ、背中をさする。ピナに涙を見られないよう、安心する匂いがする胸に顔を埋めた。
「えっと、遅くなってすみません」
「みんな心配してたんですよ。子供じゃあるまいし、せめて行き先くらい、誰かに伝えてから出て下さい」
DJレーフの申し訳なさそうな声に、奥からラジオのおっちゃんの呆れと安堵の混じった声が飛ぶ。
葬儀屋アゴーニはあれから毎日、アミトスチグマに様子を見に通い、今日も朝飯の後で行くハズだった。
湖の民の警備員ジャーニトルが、蜘蛛の魔獣をやっつけた次の日には早速、交通規制が解除されて物流が元に戻り、薬師のねーちゃんの兄貴は地元漁師の手伝いをやめた。
鱗蜘蛛退治の件を放送したら予想以上に大好評で、ヤーブラカ市民がたくさんの食糧を分けてくれたからと言うのもある。ワゴン車は食糧がいっぱいになって、運転席しか乗れず、トラックの荷台も狭くなった。
「どこで何があったか、俺が説明するよ。その前にこれ、アナウンサーさんに」
「カセットテープ、トラックに積み替えた機材で再生できるタイプ」
ラゾールニクの声にDJレーフが続く。
知らない単語に思わず顔を向けたが、メドヴェージのおっさんのニヤけ笑いと目が合い、慌てて隊長の胸板に顔を押しつけた。ソルニャーク隊長が苦笑したのはわかったが、少年兵モーフは離れられず、メドヴェージの居ない方へ顔を向ける。
みんなが寝床から出て、長椅子や樽に腰掛けた。
仮設住宅の連中はまだ寝ているらしく、雀の声しか聞こえない。
薬師のねーちゃんが香草茶を淹れた。
ラゾールニクがみんなに背を向け、荷台の壁と半分閉じた扉に手を触れる。聞いたことがあるような、ないような呪文を唱えてみんなに向き直る。
雀たちがピタリと鳴き止んだ。
「この荷台全体に【静音】を掛けた」
「セイオン?」
モーフが聞くと、ピナが教えてくれた。
「音楽室とかに掛かってる魔法。中の音を外に出さないの」
「そんなカンジ。だから、今から言うことはここだけの話にして、絶対、外でしないで欲しい」
「このテープは……?」
ラジオのおっちゃんジョールチが、小振りの紙袋をラゾールニクに向ける。あの中に「カセットテープ」とやらが入っているらしいが、モーフの位置からは袋の中を覗けない。
「中身はラベルに書いてある通り、声を変えた自治区民の証言が三本と、これから話すことの証拠。未編集の生音声が五本と、ラジオの録音が二本、合計十本だ」
ジョールチは強張った顔で頷き、奥の係員室に入った。
みんな朝飯どころではなく、樽に腰掛けたラゾールニクに注目する。
ラジオのおっちゃんが手ぶらで係員室を出た。レノ店長が香草茶のマグカップを手渡す。
ラゾールニクが、ここ十日ばかりの出来事の簡単な説明を始めた。
「俺は場所を知らないし、魔力もそんなに強くないから、セプテントリオー呪医に【跳躍】してもらったんだ。隊長さんと一緒に、リストヴァー自治区のラクエウス議員の自宅兼お姉さんのお店へ」
ソルニャーク隊長が頷く。
行き先は、近所のねーちゃんアミエーラが働いていた仕立屋だ。
……そっか。団地地区だから、例の火事で焼けなかったんだ。
モーフ自身は仕立屋に行ったことなどないが、近所のねーちゃんは「いつもお世話になってますから」と、時々、端切れで拵えた小物をモーフの母と姉にくれた。
上等の布でできた小さな袋やリボンは、右から左に食べ物と交換され、一家の腹を満たした。
その仕立屋がなければ、飢え死にしたかもしれない。
少年兵モーフは、あの真っ白なリボンを結んだ姉の儚げな笑顔を思い出し、胸が詰まった。
「仕立屋の店長さんと隊長さんの対談は、問題なく収録できた。何の話をしたかは、テープに入ってるから後で聞いてくれ」
「対談も、放送できなくなったのですか?」
ラジオのおっちゃんジョールチが、諜報員ラゾールニクとソルニャーク隊長を見た。隊長が自治区へ行ったのは、元々その為だったのではないか。
モーフが隣の隊長を見ると、答えてくれた。
「いや、それは構わん」
「ラクエウス議員と、自治区民の女の子たちの証言も、放送してくれていいよ。出さないで欲しいのは、その三本以外の証拠だ」
「どうして?」
ピナの妹が、不満げに口を曲げる。
「戦略上の理由。詳しいことはこれから言うけど、放送してもよくなったら、どうにかして知らせるから、それまでは絶対、証拠を持ってるコトも秘密にしてくれよな」
ラゾールニクの答えに、ピナの妹は、わかったようなわからないような顔で渋々頷いた。
「対談の収録後、アミトスチグマに戻って、音声の加工とテープへの複製を頼んだ。アミトスチグマじゃ、もうこのテープ使ってないから、機材の調達が大変だったみたいだけどね」
「お手数お掛け致しまして、恐れ入ります」
「支援者の人に伝えとくよ。その人にとってもネモラリス……いや、湖南地方全体が平和になれば、商売しやすくなっていいからね。あんまり気にしなくていいと思うよ」
ラゾールニクは、恐縮するジョールチに笑ってみせた。
「で、その日はもう遅いから、アミトスチグマで一泊して、次の日、また自治区へ跳んだ」
「何しに行ったの?」
ピナの妹が少し棘のある声で聞いた。収録が終わったなら、次の日に隊長を帰してくれれば、こんなに心配しなくて済んだのだ。
モーフも気になって次の言葉を待った。
「二日目は自治区を視察したんだ。実際に復興がどのくらい進んで、自治区民の生活がどうなってんのか、映像と写真で記録して、必要があればネットで公開できるように」
「車で移動し、我々は彼を案内した。同行したのは、私と仕立屋の店長、セプテントリオー呪医と、車を出して運転もしてくれた新聞屋の店長だ」
「農村地区を見て回ったついでに、区長さんちに寄ったんだ」
「おいおい、何しに行ったんだよ?」
メドヴェージが半分呆れた声を出す。
「流石に呪医と隊長さんは車で留守番してもらって、俺は新聞屋のバイトのフリをしたよ。農村地区のあちこちに銃を持った人が居たからね」
「そんなモン、いつもの野菜泥棒対策じゃねぇか」
メドヴェージが鼻を鳴らすと、ラゾールニクは首を横に振った。
「星の標が、ネミュス解放軍を迎え撃つ為に戦いの準備をしてたんだ」
荷台のみんなが同時に息を呑む。
「その前に、ローク君が星の標リャビーナ支部で情報を集めてくれたんだけど、区長の口からその裏が取れた」
「あの坊主、そんな危ねぇコトまでしてんのか」
メドヴェージが顔を曇らせる。
モーフはその顔に何となくイラついたが、黙ってラゾールニクの返事を待った。
「家族はあのコをキルクルス教の聖職者にさせたがってて、パドスニェージニク議員のコネを使ってリャビーナからディケアを経由して、アーテルの神学校に入学させたんだよ」
驚きのあまり、誰も何も言えない。
少年兵モーフは、途方もない話に頭がついていかなくなった。
……あの兄ちゃんが司祭になるだって?
「今の話も、絶対、内緒にしてくれよな」
ラゾールニクはみんなを見回して念を押した。
☆端切れで拵えた小物をモーフの母と姉にくれた……「027.みのりの計画」参照
☆リボンは、右から左に食べ物と交換され、一家の腹を満たした/真っ白なリボンを結んだ姉の儚げな笑顔……「098.婚礼のリボン」「099.山中の魔除け」「109.壊れた放送局」「563.それぞれの道」参照
☆【静音】……ジョールチも使える。「819.地方ニュース」、悪用もできる。「870.要人暗殺事件」参照
※ 一時的に音を消す術。ピナもよくわかっていなくて説明が間違っている。
※ 建物に掛ける恒常的な術は【防音】……「596.安否を確める」参照
☆団地地区だから、例の火事で焼けなかった……例の火事「054.自治区の災厄」、焼けなかった「059.仕立屋の店長」参照
☆隊長が自治区へ行ったのは、元々その為だった……「866.報道する意思」参照
☆対談の収録後、アミトスチグマに戻って、音声の加工とテープへの複製を頼んだ……「891.久し振りの人」参照
☆二日目は自治区の視察……「892.自治区の視察」参照
☆ローク君が星の標リャビーナ支部で情報を集めてくれた……「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆区長の口からその裏が取れた……「893.動きだす作戦」参照




