0096.実家の地下室
影が短くなる頃、ロークは電柱に残った表示を見つけ、立ち止まった。
焼け焦げ、文字の判読は難しい。
「洗いましょうか?」
「うーん……いえ、ペンキが燃えてるみたいなんで……」
アウェッラーナの提案に、ロークは申し訳なく思いながら、首を横に振った。
よく知る街の筈なのに、破壊し尽くされた今は現在地もわからない。
「多分、もう少しです」
ロークが歩きだすと、土地勘のない者たちは後に従った。
殆ど何もない廃墟を更に二十分程歩くと、小さな公園に出た。
木々は炭化して焼け折れ、残ったのは砂場と滑り台だけだが、近所の児童公園の筈だ。
念の為、入口の石碑を確める。
流石に、石に刻まれた文字は読めた。間違いなく、小さい頃に友達とよく遊んだ公園だ。
「お昼は、ここで食べましょう。ウチは、すぐ、そこなんで」
ロークの声は、自分でも意外なくらい震えた。すぐ近くと言ったものの、視界に入る建物で原形を留めたものは、ひとつもない。
誰もが無言になった。
その気遣いが、有難くもあり、申し訳なくもあった。
レノがトタンを滑り台に立て掛けた。義勇兵たちもそれに倣う。
ロークは車の残骸を一台ずつ確認して歩いた。
ナンバーから、自宅を割り出す。工員クルィーロとソルニャーク隊長が付いて来てくれた。
ついに見付けた。
見知ったナンバープレートに鼓動が激しくなる。
ロークは震える足で焼け残ったコンクリートの階段を昇った。
玄関跡から、廊下跡を通り、台所だった場所へゆっくり歩く。
あんなにたくさんあった家財道具は、ひとつも残らなかった。
壁や柱の名残が僅かにあるだけだ。
父と祖父の寝室には、耐火金庫があった筈だが、それもない。
不思議と涙は出なかった。
台所跡地に入る。
食卓は当然だが、冷蔵庫やガスコンロ、食器もない。
よく見ると、食器棚があった辺りには破片が散らばっていた。食器棚が燃え、中身が落ちて割れたのだと納得する。
灰と破片を足で寄せる。
落とし戸は耐火材なのか、無傷であった。嵌め込み式の把手を引き出し、床の戸を開ける。
狭い階段の隅に綿埃が居座る。毎年、年末の大掃除以外では開けない場所だ。
二か月分の埃と雑妖が溜まっていた。
闇の中で雑妖の姿だけが、くっきり浮かび上がって見える。
横から覗き込んだソルニャーク隊長が、小さく溜め息を吐いた。
クルィーロが食器の欠片に【灯】を点し、階段の下へ投げ込む。月光のような淡い光に驚き、雑妖が地下室の隅へ逃げた。
棚がぼんやり照らされる。
「何か、いっぱい居るけど、降りてみる?」
金髪の工員クルィーロが、使われた形跡のない地下室から顔を上げ、家人のロークに聞いた。
空襲が始まったのは、平日の昼過ぎだ。
ロークの両親は職場に行ったかもしれない。
当時、家に居たのは祖父と星の道義勇兵。もしかすると、他の隠れ信徒も居たかもしれない。
ロークは、一人息子の不在を家族がどう受け止め、どう行動したか、想像がつかなかった。
誰にも行き先を告げず、突然、行方を晦ませた。
それまでのロークは模範的な態度を取り続けた。
信仰に疑問を持ったことや、家族の行動に不信感を抱いたことは、気付かれなかった筈だ。
以前の祖父と両親なら、あの状況でロークが居なくなれば、半狂乱で捜しに行っただろう。だが、今のロークには、両親がロークを心配するかどうかさえ、わからなかった。
「ここ、物置で、年末の大掃除の時くらいしか開けないんです。中身は、もらったけど使ってない食器とか、え~っと、あ、一応、防災用の備蓄も少し……」
「備蓄の回収は、可能ならしたいところだな」
ソルニャーク隊長が、改めて地下室を覗いた。
ここの雑妖は、個体の境がはっきりわかる。ロークの一家が大掃除したのは、ほんの二カ月前だ。全く日の射さない地下で、【魔除け】などもないせいだろう。
「あれをどうするか、だよなぁ」
クルィーロが呟いた。
隊長が、ロークに向き直って聞く。
「君たちはいつも、どのように掃除するのだ?」
「いつもは、教会で清められた塩を撒いて、雑妖を消してから掃除してました」
「塩か……」
「ごめん。俺、そこまで細かい操作はできないんだ」
クルィーロが申し訳なさそうに頭を掻く。
ロークは首を傾げた。
「どうして、クルィーロさんが謝るんです?」
「ん? あぁ、【操水】の術で、湖水から水と不純物除けて、塩だけ抜き取れる人も居るんだ。まぁ、あれを直接やっつける術が使えりゃ、早いんだけどなぁ」
「あ、いえ、そんな。俺は何もできないし、【灯】で下の様子がわかるだけでも有難いです」
ロークが言うと、クルィーロは複雑な顔で何事かごにょごにょ呟いた。
「備蓄の内容は覚えているか?」
ソルニャーク隊長に聞かれ、ロークは表情を引き締めた。
「確か、瓶入りの水と缶詰と電池。毛布代わりの断熱シート……えーっと、まだ何かあったかな?」
「成程、それだけあれば、当座は凌げるな」
「あの、【魔除け】のお守りを持った人が下に降りて、階段でバケツリレーみたいにすれば、いいと思います」
いつの間にか、薬師アウェッラーナが傍にいた。
メドヴェージも居る。
「力仕事くらいならできるぞ」
「私は、呪文、覚えてます。お守りはクルィーロさんが持って、二人居れば……雑妖だけなら、何とかできそうです」
「ここで悩んでたって仕方ないしな。ローク君、済まないけど、ちょっと貸してくれないか?」
ロークは素直にお守り……【魔除け】の護符を渡した。
「思ったより、運河を渡るので疲れたみてぇなんでな。もう一回、あれをやれってのは酷だろうってことになって、今日はもう公園で休んで、マスリーナに行くのは明日にしねぇかって話が出たんでさぁ」
メドヴェージが隊長に報告する。
ソルニャーク隊長は少し考えて答えた。
「食糧次第……だな」
アウェッラーナが【魔除け】を唱えて先に降りる。クルィーロは、護符をツナギのポケットに入れて後に続いた。
「水と……こっちが缶詰か」
「これも、使えそうですね」
二人は言葉少なに地下室を調べ、すぐに上がって来た。
クルィーロは水の瓶が詰まった木製の運搬ケース、アウェッラーナは丸めた断熱シートと麻袋の束を抱える。メドヴェージと隊長が受け取ると、二人はまたすぐに降りた。
三往復して、段ボール箱四つと追加の断熱シートも上がって来た。
メドヴェージが期待を籠めて聞く。
「風がない分、地下の方があったかかったろ?」
「でも、あれだけ雑妖が多いと……」
「うん、【簡易結界】じゃ無理っぽい感じだなぁ」
魔法使い二人は、残念そうに首を横に振った。
「少し強い雑妖が何匹も居て、襲われはしませんでしたが、【魔除け】でもイヤそうにするだけで、逃げなかったんです」
「結局、それで中身の確認もできない箱があって……」
空襲の翌朝は、寒さを凌ぎ易い地下室を探して歩いた。それが、とんでもないことだったと思い知らされる。
ロークは二人に申し訳なくなり、ペコペコ頭を下げた。
「すみません。雑妖に気に入られたんなら、多分それ、ガラクタです。もらったけど使ってない食器とか、そう言うの……」
「これだけあれば大助かりだ。行こう」
ソルニャーク隊長に促され、荷物を抱えて公園へ戻った。
☆空襲が始まったのは、平日の昼過ぎ……「0056.最終バスの客」参照
☆当時、家に居たのは祖父と星の道義勇兵……「0034.高校生の嘆き」「0036.義勇軍の計画」「0048.決意と実行と」参照
☆誰にも行き先を告げず、突然、行方を晦ませた……「0048.決意と実行と」参照




