0936.報酬の穴埋め
奥の部隊が【操水】で警備員ジャーニトルと、横倒しになった鱗蜘蛛を洗う。緑色の体液が流れ、傷だらけの腹部が露わになった。
「地の軛 柵離れ 静かなる 不可視の翼 羽振り行く
天路雲路を 縦舞う」
ジャーニトルは剣を持ち直し、再び【飛翔】した。
二階建の屋根くらいの高さの腹部に上がり、魔力を籠めた剣を振るう。金属の鱗を失った腹部が易々と裂かれた。腹部の裏面から突き出た突起を缶詰でも開けるように剣で切り取る。
ジャーニトルは、鱗蜘蛛の構造をよく知っているのか、躊躇なく腕をつっこみ、突起に繋がる内臓を引きずり出した。
両手で抱え、【飛翔】して更に引っ張り出す。
アウェッラーナの頭の中で、先程の狩人の叫びと魔法の道具屋“郭公の巣”で、クロエーニィエ店長を手伝った記憶が繋がった。
……糸。【鎧】の素材。これの為に?
アウェッラーナは身震いした。
「西第二隊! 残りの爪を切ってトドメ!」
本部長が命令を発した。
魔装警官七人が魔法の剣を手に牧柵を乗り越える。【飛翔】して大人の背丈程の鉤爪を根元から切り取り、三人掛かりで【無尽袋】に回収する。
他の部隊も、牧柵内に点々と散らばる盾くらいの鱗を回収していた。
「このお巡りさん、助かりそうか?」
狩人の声で顔を上げたが、アウェッラーナはすぐに俯いた。
「わかりません。応急処置はしましたけど、早く呪医に治してもらわないと。それに、感染の対策も……」
「そうか……」
奥のマイクロバスで待機していた部隊が、絶命した同僚を布で包んで担架に乗せた。布には【導く白蝶】学派の【慰撫囲】の呪文と呪印が施され、遺族への引き渡しまで魔物の侵入を防ぐ。
残りの部隊が【操水】で人と魔獣の血液を回収し、【炉】で焼き清めた。
「警備員の兄ちゃんが引っ張り出してるアレ、出糸突起って奴と、糸作るワタなんだ」
「それを……取る為に、トドメを刺さなかったんですか?」
アウェッラーナは喉に言葉が引っ掛かり、上手く言えなかった。
……ホントは、もっと早く存在の核を壊せたのに、すぐ殺さなかったの?
ジャーニトルが、出糸突起の回収を終え、腕を振って合図する。
魔装警官の一人が鞘で牧場に線を引き、鱗蜘蛛の死体を囲んだ。十人くらいで【炉】を唱え、火力を上げて使えない部位を焼き尽くす。
「そう言う約束だったんだよ。【流星陣】張る時にお巡りさん一人食われて、養分になっちまったからな。寄付金だけじゃ足りなくなったし、早くヤッちまわねぇと本格的にヤバいから」
村の狩人が、【操水】で手際よく魔獣の臓物を水抜きする警備員ジャーニトルを見守りながら訥々と語る。
……おカネの為に?
アウェッラーナは、患者の首筋に手を触れた。呼吸が安定し、脈拍に力が戻ってきた。【慰撫囲】の布に包まれた二人が、同僚の手で丁重にマイクロバスに乗せられる。
本部長が負傷者に駆け寄った。
「おい、しっかりしろ! もうすぐ西市民病院の呪医が来るぞ!」
負傷者がうっすら目を開ける。唇を震わせたが、言葉にならなかった。応急処置が奏功して意識が戻ったのはいいが、本人は痛みを感じて大変だ。
アウェッラーナは【見診】を掛け直し、患者の首筋に触れた。今すぐ生命がどうこうと言うことはないが、この大きな苦痛で体力を消耗してしまう。
……人間用の麻酔薬……せめて、痛み止めだけでも用意してくればよかった。
基本的な薬くらい、ヤーブラカ市警の魔獣対策本部が用意すると思い込んで、確認を怠った後悔に項垂れる。
「薬師さんが応急処置してくれた! 必ず助かる! 気をしっかり持て!」
本部長が部下の手を握って励ます。
ジャーニトルが牧場を出てアウェッラーナの傍らにしゃがんだ。
「剣と呪符、ありがとうございました。お陰でどうにか倒せました」
「えっと……今、患者さん看てるんで、クルィーロさんに……」
クルィーロが魔法の剣を鞘に収め、呪符の残りを作業服のポケットに仕舞う。狩人も、結局使わなかった【祓魔の矢】を返してくれた。
「警備員の兄ちゃん、怪我はないか?」
「はい。掩護、ありがとうございました。お陰さまで……俺は無事です」
ジャーニトルの声が途中から小さくなった。
狩人が本部長に向き直る。
「アレの爪、二本はこのお巡りさんの治療代、ダメだったお巡りさんにも二本ずつ、お悔やみにお譲りします」
「よろしいんですか?」
「俺が、脚ぶっ飛ばした場所がマズかったみてぇなんで、埋め合わせにもなりゃせんかもしれませんが、気持ちだけでも……」
アウェッラーナとクルィーロが質問する前に、ジャーニトルが説明してくれた。
「あの鱗蜘蛛、【流星陣】を張る時に係の人食べて大きくなって、駆除代が跳ね上がったんだよ。大きくなる前なら、寄付金足りたんだけど……急がなきゃいけなくなったから、会社の偉い人が素材採取を条件に昨日までに集まった寄付金で俺を派遣したんだ」
「取り分はそれぞれ、モーシ綜合警備に鱗が三分の二と糸、村には鱗が六分の一と爪、警察は鱗が六分の一という取り決めで、あなた方への報酬は警察の取り分からお支払する予定です」
本部長の補足に二人は何とも言えない気持ちになったが、内容を理解したと示す為に頷いた。
死骸の使い道のない部分が、警官たちの術で無害な灰になる。
「責任は、私にあります。退避命令が間に合っていれば……それに、治療費は労災、遺族にはきちんと手当てが出ますから心配ありません。村の取り分は、家畜など損害の補填に必要です。お受け取り下さい」
「それじゃあ俺の気が済まねぇ。近所の連中にゃ採りそびれたっつっとくんで、受け取って下さい」
本部長と狩人はしばらく押し問答を続け、最終的に爪二本を警察の取り分に加えることで落ち着いた。
休耕地に数人の人影が現れる。
魔装警官が、西市民病院の呪医を連れて戻ったのだ。
白衣の女性と往診鞄を持った男性が、警官の先導で患者に駆け寄る。
薬師アウェッラーナは、応急処置と感染の懸念を伝え、【青き片翼】の女医に場所を譲った。
もう一人は【飛翔する梟】の呪医だ。往診鞄から小さな薬瓶を取り出し、【操水】で患者の口に流し込む。
「先に消毒して、それからおなかの傷を塞ぎます」
「その後、骨折は私が」
呪医が患者の胸に手を触れ、アウェッラーナが知らない呪文を唱えた。【思考する梟】学派は術だけでも癒せるが、薬と組み合わせることで様々な病や傷に対応できるようになり、術だけの治療より強い効果を発揮する。
腹部の傷は、先に塗った濃縮傷薬と【薬即】の術との相乗効果で、何事もなかったかのように塞がった。
女医に代わり、大腿部の骨折もキレイに復元された。
患者が本部長に支えられて半身を起こすと、同僚たちから歓声が上がった。
警官は三人の医療者に何度も礼を言い、狩人に向き直った。
「我々は、覚悟の上で現場に臨んでいます。彼らも俺も、あなたを恨んだり、責任を云々することはありません。ご協力いただき、ありがとうございました」
狩人は袖で涙を拭い、何も言わなかった。
☆先程の狩人の叫び……「935.命懸けの治療」参照
☆魔法の道具屋“郭公の巣”で、クロエーニィエ店長を手伝った……「855.原材料は魔獣」参照
☆【導く白蝶】学派の【慰撫囲】……「512.後悔と罪悪感」参照
☆もっと早く存在の核を壊せたのに、すぐ殺さなかった……魔獣由来の素材採取「479.千年茸の価値」参照




