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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十三章 衝突

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0934.突破された壁

 本部長の(いしゆみ)から放たれた【祓魔(ふつま)の矢】が、青く染まった【真水(さみず)の壁】の間をすり抜け、不自然に向きを変えて魔獣の大顎に消える。


 四枚目の【真水(さみず)の壁】が完成し、狩人がライフルを抱えて右翼へ走った。

 鱗蜘蛛(ウロコグモ)の口から白い液体が吐き出され、青く染まった一枚目の【壁】を砕き、二枚目と四枚目を青く染めて止まった。


 本部長が狩人に続き、走りながら命ずる。

 「西部第一隊、【操水】で除染! 正面隊、五歩ずつ後退し、第五壁と第六壁展開!」


 ……動き、少しは鈍くなったのかな?


 灰色の鱗蜘蛛は、跳ねて移動すると聞いたが、この個体はまだ一度も地を離れていない。

 薬師(くすし)アウェッラーナは、【空に舞う鱗】学派の術を使うのも、麻酔毒を作るのも初めてで、どの程度の時間で効力が現れるかわからなかった。

 狩人に脚を千切られて跳ねられなくなったのかもしれないが、元の脚力がわからないので何とも言えない。



 調毒師の【空に舞う鱗】学派は、殺鼠剤など暮らしに役立つ毒も作り出すが、多くの人々から忌まれ、堂々と徽章(きしょう)を身に着ける術者は居ない。

 アウェッラーナは、大学で初めて存在を知ったが、呪文や必要な素材など、具体的なことは何も教わらなかった。

 今回、資材調達課長から【空に舞う鱗】学派の魔道書の写しを一ページだけ渡され、何故この学派が忌まれるのか、わかった気がした。


 麻酔毒の素材は、人間用の麻酔薬と共通の房蛇根草(ふさへびねそう)と、異界由来でこの世に定着した毒草カーリナ、それに胎児の髄液だ。脊椎動物の胎児なら何でもいいらしい。

 後者ふたつは【思考する(フクロウ)】学派では使わない。少なくとも、アウェッラーナが作れる薬の素材では覚えがなかった。


 資材調達課長たちが何の動物の胎児を用意したか知らないが、この麻酔毒を作る為に、幾つかの命がこの世に生まれる前に摘み取られた。その申し訳なさで、初めてだからと言う甘い気持ちを抱くことなどできなかった。



 薬師(くすし)アウェッラーナが先日の憂鬱な作業を思い返す間にも、戦いは続く。

 水塊が【真水(さみず)の壁】に付着した毒を(すす)ぎ、牧草地の中心に捨てる。そのまま【壁】が破壊されたら、飛び散ってしまう。

 正面は隙間なく【真水(さみず)の壁】を建てたので、ここからはもう狙撃できない。

 狩人が右翼に移動して弾丸に魔力を籠め、本部長はその傍らで指揮を執る。


 「後方隊、【光の槍】の【祓魔の矢】、射撃用意!」

 本部長の指示で、牧場奥に配置された警官隊が(いしゆみ)を構える。


 ジャーニトルが急降下し、東の警官隊に気を取られる鱗蜘蛛の背後に回った。

 金属光沢のある鱗の隙間に刃を突き入れ、剣を(えぐ)る。盾と同じくらいの鱗が一枚剥がれ、緑色の体液が流れた。ジャーニトルは体液を避け、再び【飛翔】で宙を舞って【光の槍】で穿(うが)った胸部背面の穴に剣を突き立てた。

 体液が傷口で盛り上がり、背に緑の玉ができる。


 警備員ジャーニトルが背を蹴り、再び上空へ逃れた。

 狩人のライフルが火を噴き、三本目の脚が千切れる。


 「撃て!」

 警官隊が【祓魔の矢】を一斉に放った。奥と東の二方向から【矢】が曲線を描き、魔獣の身を離れてゆっくり傾ぐ脚を(かわ)す。数十の【矢】が光の尾を引き、鱗の剥がれた腹部に突き立った。

 警官隊が二の矢を(つが)え、狩人が次の弾丸を握って魔力を籠める。魔獣の脚が地に倒れ、重機のような鉤爪が土を抉った。


 「東部第二隊、【光の槍】の【祓魔の矢】、射撃用意!」

 鱗蜘蛛が前脚を上げ、東を向いた。

 「東部第二隊、射撃中断、第二壁展開!」

 警官隊が(いしゆみ)を降ろし、早口に呪文を唱える。


 「自分も鱗蜘蛛を見るのは初めてなんですが、手を上げるのが、毒を吐く準備動作なんですね」

 アウェッラーナたちの傍らで、盾を構えた若い警官が言う。そう言うものなのかと思ったが、【壁】が間に合うのか気が気でなく、返事もできない。


 鱗蜘蛛の腹部が少し膨らみ、緑色の体液が噴き出した。同時に大顎から毒液が放たれる。

 薬師(くすし)アウェッラーナは、トレーから【無尽の瓶】を取って蓋を外した。


 ……水で洗滌(せんでき)できるから、渡されたのよね?


 毒液が不可視の【真水(さみず)の壁】に当たり、吸収した衝撃の分、【壁】が青く染まる。白い液が半透明の障壁に広がり、汚染の範囲がはっきり目視できた。

 毒液の汚染は【壁】一枚分、切り取られたようにぽっかり空いていた。

 汚染域の端から二番目、正面隊との境を守る警官が盾を取り落とした。


 「えっ?」

 「あッ……!」

 アウェッラーナたちは息を呑み、寸の間、思考が停止した。両隣の二人も膝から崩れ、大盾が倒れる。救護所からも苦悶の表情がわかった。


 「あ、えっえっと、水! 水で洗って、運んで!」

 傍らの警官がしどろもどろに叫ぶ。

 牧柵を囲む警官隊は【真水(さみず)の壁】の維持で動けない。鱗蜘蛛が倒れた警官たちに直進する。

 「二番隊四名、東部第一隊へ移動後、直ちに【真水(さみず)の壁】を展開!」

 本部長の声が牧場に轟き、倒れた警官の代わりが【跳躍】で配置に()く。

 他に気を取られて気付かなかったが、アウェッラーナたちとは牧場を挟んで対角線上の休耕地にも、マイクロバスが見えた。


 「西部第一隊、【操水】で除染!」

 続く命令で、牧柵の外を回って水流が伸びる。最初に倒れた一人が嘔吐した。

 交代要員が立て続けに二枚の【壁】を建てる傍らで、倒れた警官たちが洗滌を受ける。


 「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。

  漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。

  起ち上がり、我が意に依りて、人運ぶ道となれ」


 アウェッラーナも【操水】を唱え、倒れた警官を水に乗せて手繰(たぐ)り寄せる。

 三人の魔装警官は呼吸困難の苦悶に顔を歪め、呻き声すら発せなくなっていた。


 「クルィーロさん、そっちの人に心臓マッサージ、お巡りさんは、こっちの人、お願いします」

 工員クルィーロが安全地帯を飛び出し、お手本のようにキレイな動作で胸骨圧迫を始めた。警官も盾を置いて同僚の救命に掛かる。薬師(くすし)アウェッラーナは、水の不純物を捨てて【無尽の瓶】に収めた。


 ……落ち着いて。薬はたくさんあるのよ。


 自分に言い聞かせ、解毒薬の蓋を取る。【操水】で最初に倒れた警官の半開きになった口に薬液を流し込み、安全地帯を出て患者の首筋に手を触れた。

 神経毒用の魔法薬は、飲んだだけでは効果を発揮しない。ひとつ深呼吸して発動の【律動の鍵】を唱える。


 「命成(いのちな)す 正しき歩み 律動す 今開く 偽の鍵以(かぎも)て (ふさ)がれし 時刻(とききざ)む門」


 結びの言葉と同時に呼吸が戻り、蒼白だった唇に赤みが差す。

 別の言葉を使う【飛翔する(フクロウ)】学派の同名の呪文なら、薬なしでも速やかに神経毒の影響を取り除けるが、薬師(くすし)アウェッラーナが修めたのは【思考する(フクロウ)】学派で、強い魔力を必要とする【飛翔する(フクロウ)】学派の術は、あまり使えなかった。

 解毒薬を飲ませる分、【飛翔する(フクロウ)】学派の呪医より時間が掛かり、焦りが募る。


 アウェッラーナは安全地帯に戻り、解毒薬を二本掴んで振り向いた。

 正面から【真水(さみず)の壁】が失われ、幾人もの警官が毒に(まみ)れて倒れる。


 「アウェッラーナさん、早く!」

 クルィーロの悲鳴のような声で我に返り、彼の患者に薬を与える。首に触れ、呪文を唱える内にやや冷静さを取り戻し、指示を出す。

 「クルィーロさん、【操水】で患者さん洗ってこっちに運んで」

 クルィーロが【無尽の瓶】取って立ち上がる。アウェッラーナは三人目に薬を投与した。


 西第一隊が正面に回って【壁】を建て直し、クルィーロが警官を回収する時間を稼ぐ。

 先に解毒した三人が身を起し、戦線の惨状に沈黙する。

 警備員ジャーニトルが呪符で【紫電の網】を打ち、鱗蜘蛛の頭部を覆った。大顎が網の【放電】を受けて火花を散らす。

 銃声の直後、鱗蜘蛛の後ろ脚がもげ、巨体が(かし)いだ。



 水が運んだ警官は六人。

 「お巡りさんたち、動けます? 来た人に心臓マッサージして下さい」

 アウェッラーナはこの場の五人に応急処置を頼み、解毒薬をトレーごと安全地帯の外に出す。


 ……短い呪文だから大丈夫。一人ずつ、確実に。


 焦らないよう自分に言い聞かせ、目の前の患者に意識を集中した。

☆灰色の鱗蜘蛛は、跳ねて移動する……「850.鱗蜘蛛の餌場」「864.隠された勝利」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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