0933.魔弾の狙撃手
隊員と同じ装備の魔獣対策本部長が、備品の【祓魔の矢】に薬師アウェッラーナが作った麻酔毒を塗る。
鏃を漬けた小瓶の中身は、粘り気のある白い液体だ。
資材調達課長らが私財を投じて集めたなけなしの素材は、標準使用量の三回分にしかならなかった。
牧柵内に【流星陣】で囚われた鱗蜘蛛は、民家並の巨体で、ヤーブラカ市警の魔装警官を一度に四、五人は丸呑みにできそうだ。到底、あんな量では足りないだろう。
マイクロバスを運転してきた警官が装備を整え、薬師アウェッラーナたちの傍へ来て敬礼した。
「万が一こちらへ来た場合は、お二人を連れて【跳躍】します」
アウェッラーナとクルィーロは、警官の悲愴な言葉に声もなく頷いた。
牧柵の周囲には、数十人の魔装警官隊が展開し、僅かな隙間を空けて【真水の壁】を建てて次の動きに備える。
本部長が三本の【矢】に麻酔毒を塗り終えた。狩人が一足先に【跳躍】で牧場へ移動する。
警備員ジャーニトルが、剣の鞘をクルィーロに渡した。
「じゃ、これ、後で必ず返すよ」
「ご安全に」
クルィーロの工員らしい言葉に送られ、旧王国時代の剣を手にしたジャーニトルが【飛翔】を唱える。
「地の軛 柵離れ 静かなる 不可視の翼 羽振り行く
天路雲路を 縦舞う」
湖の民の警備員が地を離れ、遙か上空から鱗蜘蛛に近付く。
本部長が、休耕地で待機する救護班に敬礼し、牧場に【跳躍】した。詠唱を終えた途端、本部長の姿が牧柵の前に現れる。
傍らには金属の大盾を構えた魔装警官と、ヤーブラカ市周辺の村から選ばれた狩人。魔弾の狙撃手が、ギリギリまで握って魔力を籠め、慣れた手つきで弾丸をライフルに装填する。
本部長が剣を抜き、よく通る声で号令を発した。
「魔獣駆除作戦、開始! 総員、第二壁展開!」
「天地の 間隔てる 風含む 仮初めの……」
ライフルの狙撃手が朗々と呪文を詠じ、警官隊が一歩退がって唱える【真水の壁】の声に重なる。
「……不可視の壁よ 触れるまで 滾つ真水に 姿似て ここに建つ壁」
「力成す 道筋示せ 不可視の手 矢弾を運び 祝的せよ」
白刃が【流星陣】の銀糸を断ち切った。
銃声が轟き、魔獣の巨体を支える脚が一本吹き飛び、宙を舞う。
本部長が弩に持ち替え、狩人と同じ呪文を唱えた。一呼吸遅れて、麻酔毒を塗った【祓魔の矢】が大顎に飛び込む。
アウェッラーナは思わず心配を漏らした。
「でも、これって、外れたら反対側の壁が壊れちゃうんじゃ……」
「大丈夫ですよ。本部長と狩人の方は【必中】をお使いですから」
「それって、絶対、外れないんですよね?」
待機中の魔装警官が説明すると、クルィーロが不安げに確認した。警官が力強く頷く。
「はい。絶対に外しません。魔力の消耗が大きいので、あまり連続して使えないそうですが、今回は【魔力の水晶】をありったけ持ってきましたから」
「そうなんですか」
非戦闘員の二人には、みんなを信じて祈ることしかできない。
前から二番目の脚が牧草地に落ちた。これだけでも、電柱を十本束ねたくらいの太さで、二枚目の【真水の壁】を建てた警官よりずっと大きい。
灰色の鱗蜘蛛は前脚を降ろし、七本の脚で突進した。
狩人たちの前の空間が青く染まる。
「正面隊、第三壁展開!」
本部長の号令で、二発目の弾丸に魔力を籠める狩人と、彼の周囲の警官隊がまた一歩、退がる。正面隊の【壁】と同時に本部長が【必中】を唱える。
案の定、麻酔毒一回分を口に撃ち込んだくらいでは足りなかった。
しかも、【光の槍】の【祓魔の矢】をやわらかい筈の口腔内に命中させたにも関わらず、頭部に損傷を与えられた気配がない。噛み折られたのか、【祓魔の矢】に籠められる程度の魔力では、魔獣の魔法に対する抵抗力を抜けないのか。
魔獣の頭胸部に【光の槍】が突き立つ。
巨大な鱗蜘蛛が相手では、戦闘機をも撃墜し得る術が縫い針のようだ。一本目が消える前に二本目、三本目が上空から頭胸部に降り注ぐ。
魔獣の口に二本目の【祓魔の矢】が撃ち込まれる。
弾丸への魔力の充填が終わらず、狩人は動けない。
「何で先に魔力入れとかないんだよ」
「魔弾は、当たれば強力なんですけど、充填した魔力の保持時間が短くて、射撃の直前に籠めなければならないんです」
「そんなぁ……」
クルィーロが泣きそうな声を出す。
これだけ強力な弾丸でも、鱗蜘蛛の装甲を貫通できないから、鱗のない脚を狙うのだろう。
魔法戦士の警備員は、軍の【鎧】と同等の強力な防禦の術を施した制服を身に着け、魔力の制御が難しい【飛翔】で空を舞い、強い魔力が必要な【光の槍】を立て続けに放つ。
薬師アウェッラーナは、警備員ジャーニトルの強さに身震いした。
……こんな人が、民間の警備会社に居て、武闘派ゲリラになってたなんて……!
頼もしさより恐ろしさが勝り、自分の肩を抱く。
ランテルナ島の森で運び屋フィアールカが、呪符で放った【光の槍】では、この世に現れて間もない火の雄牛も倒せなかった。
魔物や魔獣が、魔法への耐性を持っているからだ。
この鱗蜘蛛も既に七本もの【光の槍】を受けて、まだ生きている。
向きを変え、上空のジャーニトルに向かって前脚を上げた。
「毒が来るぞ!」
本部長の鋭い警告が飛ぶ。ジャーニトルは剣を掲げ、魔獣と向き合ったまま、誘うようにゆっくりと後退した。
鱗蜘蛛は、五本の脚を器用に動かして、牧場の中央へ移動する。
魔獣の口から、白い塊が飛んだ。
湖の民の警備員が剣を突き出す。
白い何かが傘のように広がり、彼を避けて牧草に降り注いだ。
「あ……あぁ、【不可視の盾】ってあぁやって使……」
クルィーロの呆然とした呟きを銃声が掻き消した。
後ろ脚の関節に大穴が空く。辛うじてぶら下がる脚が魔獣の動きで千切れ、地響きを立てて落ちた。
魔獣がそろりそろりと振り向き、前脚を上げる。
「正面隊、右にずらして第四壁展開! 東部第一隊、【光の槍】の【祓魔の矢】用意!」
指揮官の号令で、警官隊が弩に魔法の矢を番え、狩人たちが更に退がる。
本部長が、最後の麻酔毒を放った。
☆戦闘機をも撃墜し得る術……「309.生贄と無人機」「757.防空網の突破」「758.最前線の攻防」参照
☆ランテルナ島の森で運び屋フィアールカが(中略)火の雄牛も倒せなかった……「479.千年茸の価値」参照




