0932.魔獣駆除作戦
「万が一、車輌がひっくり返された場合、却って危険です」
魔装警官に付き添われ、薬師アウェッラーナと、助手として来てくれたクルィーロは、警察のマイクロバスを降ろされた。
金属の装甲と魔法で守られた車輌から、ヤーブラカ市警魔獣対策本部の魔装警官隊が、休耕地に降り立つ。
警官隊は、各種防禦の呪文が刺繍された制服、同じく術が施された金属製の大盾を持ち、ヘルメットを被った物々しい出で立ちだが、これでも政府軍の魔装兵より弱いらしい。魔法の剣や手斧、【祓魔の矢】を番えた弩を携えているが、彼らがそれを使うのは、警備員ジャーニトルの掩護と、彼が負けた時だけだ。
灰色の鱗蜘蛛は、牧柵で囲まれた区画の中央辺りに居る。
アウェッラーナたちが降りた瞬間、身体ごと振り向いた。
八つの目が日を受けて輝いたと思う間もなく、魔獣の巨体が八本の脚で牧草地を駆け、見えない壁に当たって不自然な形で止まった。巨大な蜘蛛が、不可視の壁に脚を突っ張って後方へ跳ねる。元の位置に戻り、こちらを向いて蹲った。
あまりの速さにアウェッラーナは何の反応もできなかった。
魔装警官は【流星陣】に全幅の信頼を寄せているのか、数人がちらりと見ただけで何も言わなかった。重装備の警官隊が、待機場所に粛々と整列する。
久し振りに見た湖の民の警備員は、村の狩人と魔獣対策本部長との打合せ中で、アウェッラーナとクルィーロの到着に気付かない。
……少し痩せた? 気のせい?
ランテルナ島に隠された拠点に居た頃、薬師アウェッラーナは、武闘派ゲリラの誰ともなるべく関わらなくて済むよう、薬作りに専念して過ごした。
ジャーニトルは、武闘派ゲリラの中では異質な存在だった。
何もかも喪って自棄になったのではなく、恨みに憑かれ復讐に駆り立てられたのでもない。数少ない「話が通じるゲリラ」の一人だ。
彼が何故、ゲリラ活動に身を投じたのかわからない。物静かな人物だった。
今も、本部長と狩人を相手に落ち着いた様子で打合せをしている。
大物を前にした恐怖や緊張、戦いの昂揚感など何もない。祭会場の警備の話でもするような調子だ。
「何か……距離感がおかしくなっちゃいそうですね」
クルィーロが嘆息と共に呟く。
アウェッラーナは辛うじて首を縦に動かした。
……車くらいの大きさって言ってなかったっけ?
第一報では、乗用車か軽トラック並の魔獣が、羊などの家畜を襲ったと言っていた。今の鱗蜘蛛は、少し裕福な造りの民家くらいの大きさだ。
本部長が【流星陣】を張る際、犠牲者が出たと言っていた。その魔装警官の遺体を回収できなかったからだと思い到り、アウェッラーナは足下に大きな穴が空いたような気がした。
「薬師さんたちもこちらへ」
本部長に呼ばれたが、根が張ったように足が動かなかった。クルィーロが気遣わしげな目を向けるが、応えられない。視界にちらちら白い光が瞬き、次第にその数が増す。
不意に清冽な芳香が漂い、視界の膜を引き剥がした。
眼前に男性の手がある。
魔装警官が、生の香草を指ですり潰して香気を立ててくれたのだ。彼は目尻を下げ、怯える薬師を安心させるように微笑んで、軽く背を押した。
一旦、動けるようになると、足の震えが治まった。
「これ、移動販売店の備品なんで、後で絶対、返して下さいよ」
クルィーロが念を押して、クロエーニィエ店長がくれた旧王国時代の剣を警備員ジャーニトルに渡す。騎士団の制式武器で、使用者の魔力に応じて切れ味が上がる魔法の品だ。
ジャーニトルは鞘を払って刃を確認した。
「うん。いいの貸してくれてありがとう。自前のナイフじゃ短過ぎるし、会社の備品は軍に貸し出してて、丁度いいのなかったんだ。必ず返すよ」
久し振りだと言うのに、互いに一言の挨拶もない。
クルィーロは、三本の矢を地元の狩人に差し出した。【魔滅】の呪印と呪文が刻まれた【祓魔の矢】だ。銀の矢は矢羽の後ろ、矢筈の部分に普通の矢にはない紐を通す穴がある。
「狩人さん、初めまして。これで掩護射撃、お願いします」
「初めまして。薬師さんと助手の兄ちゃん。話は聞かせてもらった。こいつは必ず返すよ」
湖の民の狩人を守る森林迷彩服にも、防御の術が掛かっている。魔装警官より少ないが、薬師アウェッラーナよりは多かった。
資材調達課長と同じ【飛翔する鷹】学派の徽章を提げ、ライフルを携える。
腰のベルトには、予備の弾丸ケースと道具袋、それに呪印入りの鉈。三十代半ば程に見えるが、長命人種ならその限りではなく、経験などは外見からは全く読めなかった。
「手持ちの弾が尽きたら、有難く使わせてもらうよ」
湖の民の狩人は、道具袋から漁網用の太い糸を三巻出して【矢】に括りつけた。
「総員、配置につけ!」
本部長の号令で、魔装警官が【跳躍】で牧柵の周囲に散った。数十人が間違いなく持ち場についたのを確認し、本部長が右手を上げる。
「総員、【真水の壁】詠唱!」
「天地の 間隔てる 風含む 仮初めの 不可視の壁よ
触れるまで 滾つ真水に 姿似て ここに建つ壁」
一斉に力ある言葉が唱えられ、同時に不可視の壁が打ち建てられる。狩人も【祓魔の矢】に糸を結び終え、柵の傍へ跳んだ。
クルィーロが、地面に置いた呪符に手を触れて唱える。本部長が地面に引いた目印の線に沿って魔力の壁が建つ。魔力を放出し切った呪符が、灰になって風に散った。
薬師アウェッラーナが警察病院のロゴが入った袋を開ける。
クルィーロは、初めての術を発動できたことにホッとする間もなく、残る二枚の【壁】を建て、身体を横にして隙間から入った。【真水の壁】に囲まれた三角の空間は、大人が二人寝転んだだけでいっぱいになる狭さだ。
アウェッラーナは、負傷者が出ないことを祈りながら、ステンレスのトレーを四枚取り出した。
それぞれに傷薬と濃縮傷薬、そして、神経毒用の解毒薬の容器を並べ、四枚目にはガーゼと包帯、水が入った【無尽の瓶】を置く。
クルィーロはアウェッラーナに背を向けてしゃがみ、軍手に【不可視の盾】を掛けた。
「先具 不可視の守を 此処に置く 置盾其の名 “開け盾”」
合言葉の「開け盾」で【不可視の盾】を展開した彼の肩越しに牧場が見える。
灰色の鱗蜘蛛が、万歳するように前脚を高く上げ、大顎を開いた。八つの赤い目は、どこを見ているのかわからない。残る六本の脚が支える腹部は金属光沢のある鱗に覆われていた。
大盾を持つ警官隊が、小さな人形に見える。
奥の魔獣が巨大過ぎて、距離感が掴めない。
あの大顎は、警官を一度に何人も丸呑みにできそうに思えた。
☆ランテルナ島に隠された拠点……「228.有志の隠れ家」「285.諜報員の負傷」「318.幻の森に突入」「319.ゲリラの拠点」参照
☆薬作りに専念して過ごした……「335.バックアップ」「337.使用者の適性」「376.連絡係の青年」「377.知っている歌」「380.罪滅ぼしの力」「391.孤独な物思い」参照
☆ジャーニトルは、武闘派ゲリラの中では異質な存在……「360.ゲリラと難民」「361.ゲリラと職人」「389.発信機を発見」「390.部隊の再編成」「407.森の歩行訓練」「865.強力な助っ人」参照
☆第一報では、乗用車か軽トラック並の魔獣が、羊などの家畜を襲った……「849.八方塞の地方」「850.鱗蜘蛛の餌場」参照
☆クロエーニィエ店長がくれた旧王国時代の剣……「443.正答なき問い」参照
☆【魔滅】の呪印と呪文が刻まれた【祓魔の矢】……「533.身を守る手段」参照




