0931.毒を食らわば
機動隊の護送車がヤーブラカ市の門を出る。
クルィーロは後悔に震えた。隣の座席では、薬師アウェッラーナが目を閉じて指を組み、一心に祈りを捧げる。
警察のマイクロバスは、装甲と鉄格子、防弾ガラス、それに各種防護の術で守られ、一見すると頑丈そうだが、鱗蜘蛛にひっくり返されれば、中の人は大怪我をするだろう。
クルィーロは、冬の日を思い出して身震いした。乗っていたバスがアーテル軍の空襲で横転し、炎の壁に囲まれた。
今は作業服の上から魔法のマントを着て、土色の【護りのリボン】を鉢巻きにして、なんとも妙な出で立ちだ。だが、これがクルィーロの魔力で身に付けられる防禦の全てだった。
それでも、巨大な魔獣が相手では、気休めにもならないだろう。
クルィーロが、ヤーブラカ市警本部の資材調達課長に渡されたウェストポーチには、【真水の壁】の呪符と【魔力の水晶】がぎっしり詰まっていた。
作業服のポケットからカンニングペーパーを出し、呪文をおさらいする。
「天地の 間隔てる 風含む 仮初めの 不可視の壁よ
触れるまで 滾つ真水に 姿似て ここに建つ壁」
何度読み返しても、全く頭に入らない。
マイクロバスの席を埋めた魔獣対策本部の魔装警官は、呪文がびっしり刺繍された装備に身を固め、必要なこと以外一言も喋らなかった。プロの彼らも、鱗蜘蛛との戦いを前に緊張しているのだろうか。
……あんだけガッチガチに固めてても、軍の【鎧】より弱いって、軍人はどんだけ強いんだよ?
政府軍が動いてくれればいいのに……と車内の全員が思っているだろうが、誰一人として、それを口にする者はなかった。
薬師アウェッラーナが市警本部に呼び出されてから三日が経つ。
魔獣用の麻酔毒と神経毒用の解毒薬は、半日で完成した。
アウェッラーナはイヤそうにしていたが、やると決めてからの作業は、毒作りが初めてとは思えないくらい手際よく、失敗せずに三回分を完成させた。
資材調達課長たちが、私財を投じて掻き集めた素材が無駄にならずに済み、これで安心して戦えると殊の外喜ぶ。
下拵えを手伝ったクルィーロも、ひとまず胸を撫で下ろした。
「鱗蜘蛛が大きくなっていたら、一回分かもしれませんけど」
アウェッラーナの説明に資材調達課長は顔を引き攣らせたが、魔獣対策本部の本部長は、不敵な笑みで受取った。
「なぁに、一発で当てればいいんですよ。薬師さんのご協力、決して無駄には致しません」
そして、当たり前のような顔で言い渡した。
「お二人には引き続き、作戦中の治療もお願いします」
「えっ?」
二人は面食らい、咄嗟に言葉が出ない。本部長は反応を予想していたらしく、二人の沈黙をすらすら埋めた。
「無論、報酬はお支払いしますよ。何分、予算不足の折ですので、ご満足いただけますか自信はありませんが。しかし」
本部長が言葉を伐り、アウェッラーナに視線を固定した。
「警察病院も、魔法使いの医療者が軍に徴発され、人手がないのですよ。科学の医療者では、現場での対応が困難で」
「ちょっと待って下さい。病院じゃなくて、鱗蜘蛛と戦ってるとこで治療するんですか?」
アウェッラーナが、拒絶を含む悲鳴に近い声で聞く。
「そうです」
「神経毒の解毒薬は、その使用にもあなたの【思考する梟】か、呪医の【飛翔する梟】学派の術が必要ですよね?」
本部長が頷き、資材調達課長が確認すると、薬師アウェッラーナは怯えた目で小さく顎を引いた。
……端っからそのつもりで? 毒を食らわば皿までも? 冗談じゃない!
クルィーロは、警察のやり口を汚いと思ったが、言い返せなかった。深く息を吐き、ゆっくり吸いながら最適解を探す。
「あの、それだったら、民間の病院とか個人の薬局とか、地元のセンセイの方がよくないですか? この辺の地理に詳しい人の方が、イザって時に【跳躍】しやすいですよね」
「この度、モーシ綜合警備から派遣される魔法戦士の警備員さんは、あなた方のお知り合いだと伺いました。気心の知れている同士、連携しやすいのではありませんか?」
クルィーロがなけなしの智恵を絞った抵抗は、課長にあっさり切り返された。穏やかな物言いだが、大柄な彼が言うと威圧感があり、クルィーロは思わず怯んだ。
勇気を振り絞って言い返す。
「でも、俺たち、警備員さんとは避難先でたまたま出会ってちょっと喋っただけで別に仲いいワケじゃないですし、治療だったら地元のお巡りさんが病院に【跳躍】で運んだ方が」
「強力な神経毒で呼吸が麻痺するんですよ? ことによっては心臓も……」
「移動が徒歩と魔法では、心肺蘇生と両立できませんのでね」
課長が首を横に振り、本部長は眉を下げた。
「でも……」
「救急車は数に限りがありますし、装甲車ではありませんから、魔獣退治の現場に待機させられません。現場から【跳躍】しても、防壁があって市内には直接侵入できません。負傷者を背負って徒歩で門を通って【跳躍】許可地点まで移動して、次の【跳躍】許可地点から更に徒歩で病院に運んだのでは、到底間に合いません。それぞれの場所に警察車両を待機させても、乗り降りに時間を食います」
資材調達課長は、薬師アウェッラーナを遮って滔々と捲し立てた。
警察とクルィーロたち、どちらの想定が甘かったのか。
この四人の誰も、ジャーニトルの正確な力量を知らない。
わかっているのは【急降下する鷲】学派の魔法戦士で、薬師の用心棒としてレサルーブの森に入り、それなりに魔獣退治の経験を積んだらしいことだけだ。
アクイロー基地襲撃作戦からは、ほぼ無傷で帰還した。
オリョールが途中で連れ帰った少年兵モーフはともかく、力なき民のソルニャーク隊長と素人のロークも無傷で戻ったので、どこでどんな戦い方を担当したかにもよるのだろう。
もしかすると、他のゲリラがあんなに減ったのは、どさくさに紛れてオリョールに始末されたからかもしれない。
「俺たち、戦いの素人で、自分の身を守るのも無理なんです」
アウェッラーナが、蒼白な顔で何度も頷く。
本部長は厳つい顔に柔和な笑みを浮かべた。
「承知しております。助手の方が呪符で【真水の壁】を立てて、薬師さんを守って下さい」
「コツは鋭角の二等辺三角形をイメージして、呪符三枚で角を少しだけ空けて建てることです。大型の魔獣は侵入できず、人間なら出入りできる……そんな隙間です」
資材調達課長に手で図形を作って説明され、クルィーロは何となく納得しかけたが、アウェッラーナが掠れる声で反論した。
「そんなの、上から脚を入れられたら踏み潰されて……」
「現在、鱗蜘蛛は市の南南東の牧場に【流星陣】で閉じ込めてあります。……尊い犠牲を払いましたがね」
本部長と課長が、しばし瞑目する。
「作戦では、魔獣対策本部の隊員が【真水の壁】で牧場を囲み、その後に【流星陣】の銀糸を切ります」
「えっ?」
「知りませんでしたか? 【流星陣】は何者も通さない強力な結界です。魔獣は出られなくなりますが、我々も外から攻撃できないんですよ」
クルィーロは、課長の説明で頭が真っ白になった。
「私が【祓魔の矢】……薬師さんに作っていただいた麻酔を塗って撃ち、それから狩人さんが銃で狙撃。勿論、魔弾です。術は【光の槍】と【結籠火輪】だと言っていました」
「アレは現在、かなり大きくなっています。籠められる魔力が少ない魔弾だけでは、倒せないでしょう」
「魔法戦士の警備員さんに【壁】の内側に入っていただいて、トドメを刺してもらう予定です」
クルィーロは戦いの素人だ。
この作戦で上手くゆくかどうか、全くわからない。
わかるのは、民間人のジャーニトルが最も危険な役割を担うことと、魔装警官隊の【真水の壁】が一枚でも突破されれば、クルィーロとアウェッラーナはひとたまりもないことだけだ。
二人の服とマントにも【耐衝撃】などの防禦の術は掛かっているが、その強度は【鎧】とは比較にもならない。二人の魔力で発動できる防禦など、鱗蜘蛛の前ではないも同然だ。
魔装警官でさえ【流星陣】を張る際に犠牲者が出た危険な相手で、クルィーロたちが護ってもらえる保証はなかった。
……他所者だから、もしものことがあっても、ヤーブラカ市の医療体制に影響ないから、何が何でもアウェッラーナさんに押しつける気だな。
「その作戦、もしも警備員さんが毒でやられたら、お巡りさんたち、助けに行けないんじゃないんですか?」
「彼は【飛翔】して上空から【光の槍】を撃ちます。狩人さんが地上の【真水の壁】の隙間から狙撃で掩護するので、大丈夫です」
クルィーロは、本部長の説明に勢いよく食いついた。
「じゃあ、俺たち別にいらな……」
「あなた方は、万が一に備えた保険として……こう、みんなの安心の為に現場で待機していただきたいのです」
「安心感があれば、萎縮せず普段通りの力を発揮できますからな」
本部長と資材調達課長の説得と懇願は、二人が了承するまで続けられた。
その間に寄付が目標額に届き、モーシ綜合警備株式会社は契約通り、ヤーブラカ市に【急降下する鷲】学派の警備員ジャーニトルを寄越した。
☆冬の日/乗っていたバスがアーテル軍の空襲で横転……「056.最終バスの客」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦からはほぼ無傷で帰還……「466.ゲリラの帰還」参照




