0930.戦い用の薬を
薬師アウェッラーナは、ヤーブラカ市警から呼び出しを受けた。
移動販売店プラエテルミッサのトラックは、ヤーブラカ南署の二軒隣にある公園に停めてある。勿論、役所と仮設住宅自治会の許可はある。
「私も、詳しいことは聞いてないんですよ」
ヤーブラカ市警本部からの呼出状を持って来たのは、南署の事務員だ。年配の女性は、確かに渡しましたよ、と念を押して自分の仕事に戻った。
封筒の中身は、鱗蜘蛛退治への協力要請だった。
「ラジオで言いましたもんね」
クルィーロが肩越しに覗いて呟く。アウェッラーナは振り向いて頷いた。
「何を、幾つ、いつまでに作るのか、材料はどうするのか、大事なことを何も書いてないんですよ」
「ドーシチ市のお屋敷みたいになったら困りますよね」
二人して暗い顔になる。
兄のアビエースは今朝、漁の手伝いから戻って朝食を摂ると、水産加工場の手伝いも頼まれたとかで、また出て行ってしまった。鱗蜘蛛のせいで陸路の物流が滞り、近郊からの農産物の仕入れが減った分、港が忙しくなったらしい。
「行くんですか?」
「だって、警察ですよ?」
……断れるワケないじゃない。
葬儀屋アゴーニは、メドヴェージとモーフを連れて口座番号のビラ配り。兄は水産加工場で昼まで干物作り、DJレーフは行方不明で、ソルニャーク隊長はまだリストヴァー自治区から戻らない。国営放送のジョールチは荷台奥の係員室に籠り、昨日、レーチカ市で得た情報をまとめるのに忙しい。
「ちょっとした下拵えくらいしか手伝えませんけど、一緒に行きましょうか?」
「ありがとうございます」
他は、力なき民と女の子だ。何かあった時、却って大変なことになるかもしれない。クルィーロも、同じ消去法で申し出てくれたのだろう。二人の間に微妙な空気が流れた。
……この手紙、一人で来なさいって書いてないし、いいわよね?
クルィーロが父と妹、レノ店長に声を駆け、先に荷台を降りる。
薬師アウェッラーナは呼出状をコートのポケットに入れ、同封の地図を手に通りへ出た。通勤通学の時間帯を過ぎ、車道も歩道も閑散としている。
……でも、ジョールチさんがラジオで言ったのって、傷薬と濃縮傷薬を提供しましたって意味だったのに。
この街も、ドーシチ市のように古い価値観に縛られて魔法使いの医療者が居ないのか。想像が悪い方へ向かい、歩調が鈍る。
クルィーロが少し先で待っていた。アウェッラーナだけなら、逃げ出していたかもしれない。
二人は会話もなく、ヤーブラカ市の中心部にある市警本部を訪れた。
「あの、この件なんですけど……」
「移動放送の薬師様ですね。少々お待ち下さい」
受付に呼出状を見せると、内線電話でどこかに連絡した。待つ程もなく、大柄なスーツの男性が盛大に足音を立て、奥の階段を駆け下りてきた。
「薬師さんッ! ありがとうございます! 材料は用意してあるので早速」
「ちょちょっと待って下さい。薬師さんはこっちの人です」
大男がクルィーロの手をパッと離して赤面する。
「し、失礼しました」
「私も、何でも作れる訳じゃありませんし、何のお薬を、幾つ、いつまでに作って、その……報酬とかどうなるのか教えていただいてからでないと、決められません。ラジオで言ったお薬の提供は傷薬のことで、もう渡してあります」
大男が姿勢を正し、ネクタイに絡まった鎖を解いて【飛翔する鷹】学派の徽章の位置を直す。
「実は、モーシ綜合警備から、警備員と狩人の手配はできたから、鱗蜘蛛をどこか逃げられない所に追い込んで欲しい、と要請が来たんですよ」
掌で玄関ホールの隅にある質素な応接セットを示す。
二人がソファに浅く腰掛けると、【飛翔する鷹】の大男は向かいにどっかり腰を降ろした。
「あ、申し遅れました。私、魔獣対策部資材調達課の課長です」
課長が呼称を名乗らないので、こちらもそれに合わせる。
「開戦までネーニア島の民間病院で薬師をしていました」
「俺は工員だったんですけど、今は薬師さんや放送の手伝いをしている者です」
アウェッラーナは、襟から【思考する梟】学派の徽章を引っ張り出し、すぐに引っ込めた。
「クレーヴェルで、解放軍とかが医療者を無理に連れてって働かせるって噂を聞いて、隠してるんです」
「警察は勿論、そんな拉致監禁して強制労働なんてさせませんよ。ただ……」
「タダ?」
クルィーロが聞き返す。
「はい。すみません。タダなんです。予算の都合で、報酬がお支払できないんです。素材も署員有志からポケットマネーを掻き集めてどうにか最低限だけ調達してですね」
「と、言うことは、素材は必要な量ギリギリなんですね?」
薬師の問いに課長が首をがっくり落として頷き、そのまま頭を抱えた。
「上の連中は何もわかっちゃいないんだ。正規の予算申請なんか出した日にゃ三カ月は掛かるってのに、その間にどれだけ犠牲者が出ると思ってんだ」
鱗蜘蛛が居座っていては、規制が解除されず、移動販売店プラエテルミッサはどこへも行けない。
……ギリギリってコトは、失敗できないってコトよね。
引受けるしかないが、それはそれで気詰まりで荷が重い。
「何のお薬を幾つ、いつまでなんですか?」
「作って下さるんですね?」
「それを決めるのに必要な情報なんですけど」
顔を輝かせた課長に苦笑する。
「魔獣用の麻酔薬と神経毒用の解毒薬です。数は、材料があるだけ全部。完成次第、鱗蜘蛛対策本部の実動部隊に回します」
課長が表情を改め、アウェッラーナの緑の瞳を見て答えた。
湖の民の薬師は、子犬のような目に視線を合わせ、誠実に返す。
「すみません。私、大学で人間用のお薬しか習わなかったんです。解毒薬は病院でも作っていたので、大丈夫なんですけど、魔獣用は、呪文と素材が全然違うって言うことしか知らなくて」
「そこを何とか! お願いします!」
……そんな一生懸命「お願い」されたって、呪文もわかんないのに。
教科書には、魔獣用の麻酔は【思考する梟】学派の「薬」ではなく、【空に舞う鱗】学派の「毒」だと書いてあった憶えがある。それもコラムで数行触れただけで、どんな呪文なのか全く記されていなかった。
「魔道書の写しを手に入れて、素材を調達したんです。お願いします」
「警察の、そのー……調達課に薬師さんっていらっしゃらないんですか?」
流石に毒師とは言えない。
「政府軍に徴発されて、市民病院も民間病院も避難者が流入した分、忙しくなっていて、到底、こちらまでは……」
個人で開業する薬師では、毒を作ったことが住民に知られたら、街に居辛くなるかもしれない。
……流れの私ならいいって? タダ働きなのに?
「麻酔毒なしでは無理なんですか?」
「犠牲者が出て、毒の種類がわかったんです」
課長の低い声にクルィーロが青くなる。
「私、麻酔毒は作ったコトないんです。貴重な素材をダメにしてしまうかも」
「それは心配しないで下さい。私が全力で掻き集めますから」
逃げ道を塞がれ、薬師アウェッラーナは仕方なく首を縦に振った。
☆トラックは、ヤーブラカ南署の二軒隣にある公園に停めてある……「850.鱗蜘蛛の餌場」参照
☆ラジオで言いました……「885.公開生放送中」参照
☆ドーシチ市のお屋敷みたいに……「245.膨大な作業量」参照
☆古い価値観に縛られて魔法使いの医療者が居ない……「264.理由を語る者」参照
☆クレーヴェルで、解放軍とかが医療者を無理に連れてって働かせるって噂……「732.地上での予定」「733.検問所の部隊」参照




