927.捨てた故郷が
呪医セプテントリオーは、予定日を過ぎても戻らなかった。リストヴァー自治区で何かあったらしいが、針子のアミエーラにまでは、情報が回って来ない。
今日はアミトスチグマの難民キャンプに行く日だ。
予定通りなら、呪医セプテントリオー、歌手のオラトリックスが、針子のアミエーラとサロートカを連れて【跳躍】する筈だったが、居ないのでは仕方がない。
あれから随分、魔法の練習を重ねた。
アミエーラは、パテンス市での新年コンサート用に拵えた衣裳に袖を通す。
今までは全く気付かなかったが、この衣裳は確かに、魔力の流れを作り出していた。【編む葦切】学派の職人の指示通り、訳のわからないまま施した刺繍でも、着る者を守ってくれる。
……これが、【編む葦切】学派の魔法。
仕立屋のクフシーンカ店長が持つ聖典の「星道記」にも、同じ刺繍があった。各呪印にどんな効果があるのかわからなくても、正確に刺繍すれば、術は発動する。
それを便利だと思う反面、恐ろしくもあった。
オラトリックスが迎えに来るまで、まだ少し時間がある。
パソコンの部屋を覗いてみた。
ファーキルが一人で画面とにらめっこしている。机上のタブレット端末にも、何か表示が出ていた。
たくさんのボタンが並ぶキーボードを凄い速さで叩き、アミエーラの入室にも気付かない。そっと背後に回り、パソコンの画面を覗く。
「えっ?」
「えっ? あッ、アミエーラさん」
思わず漏らした声にファーキルが振り向いた。
ネミュス解放軍、リストヴァー自治区に進攻
アミエーラは画面に釘付けになり、言葉が出なかった。ファーキルがタブレット端末を手に取って、気マズそうに説明する。
「一昨日の夜、ラゾールニクさんから連絡があって、昨日の朝、フィアールカさんが救援物資持ってノージ市に【跳躍】しました。呪医なら自治区とノージ市両方わかるから、取りに来てくれるだろうって……」
「あ、あの、他にはなんて? 店長さんたちは無事なの?」
「は、はい。それは大丈夫みたいです。今朝、ラゾールニクさんから連絡がありました。でも、心臓に悪いから、ラクエウス先生には内緒にして欲しいって」
「うん……こんなの言えるワケないじゃない」
画面には、工場の敷地内で山積みにされた銃を魔法で燃やす写真、負傷した自治区の工員を湖の民が介抱する写真、縛られてどこかに閉じ込められた人々の写真が表示されている。よく見ると、縛られた者たちは、星の標の腕章を巻いていた。
「呪医が救援物資を受取って教会に……」
ファーキルが、画面を下に移動して教会の写真を見せてくれた。
確かにキルクルス教の教会だが、建物は真新しく、写り込んだ周囲の建物はアミエーラの知らない物ばかりで、どこの教会だかわからない。
礼拝堂の前に段ボール箱が積み上がり、湖の民が住民に何かを配っている。それを見守る司祭と尼僧は、アミエーラがよく知る二人だ。
写真に目を凝らす。
何人か知っている顔がみつかり、熱い物が込み上げた。思いがけず、冬の大火から安否不明だった知人の無事がわかり、言葉が出ない。
ファーキルが、口許を押さえて涙を零すアミエーラに狼狽える。
「あ、あの、店長さん写ってませんけど、大丈夫なんで。後で手紙届けるってラゾールニクさんが。えぇっと、手紙持って帰るまでラクエウス先生には内緒で、このページも公開はまだまだ先で、取敢えず準備だけで」
「ご、ごめんなさい。近所のおばさん、生きてるのがわかって、嬉しくて」
涙を拭い、笑顔を繕うと、ファーキルはホッと肩の力を抜いた。
「解放軍の一部の人たちが勝手に自治区へ入ったらしいんです。ウヌク・エルハイア将軍が気付いて戦いをやめさせてくれて、この縛られてる人たちは、停戦に応じなかった星の標の団員なんだそうです」
「この人たち、どうなるの?」
「今、将軍と自治区の偉い人たちが話し合いをしてるそうです」
「そうなの……」
縛られた中に知り合いの顔はなかった。
話し合いがいい方に決まってくれればいいが、リストヴァー自治区の区長は星の標の支部長でもある。彼が強硬な態度を貫けば、ウヌク・エルハイア将軍は自治区を滅ぼしてしまうのではないか。
捨ててきたとは言え、アミエーラにとっては生まれ育った故郷だ。まだ、大切な人が生きて、住んでいる。
……でも、私には何もできないのね。
区長が叡智の光に導かれ、最良の選択をするよう、祈ることしかできない。
「あ、やっぱりここに居たのね」
アルキオーネが、ノックもせずに戸を開けた。
「呪医が居なくて、サロートカちゃんの代わりに私が行くことになったから、よろしくね」
「えっ? アルキオーネちゃんが繕い物してくれるの?」
「私、お裁縫は苦手だから、歌を手伝うの」
勝気な黒目が、アミエーラの湖水の色の瞳を見返す。
「えっ? でも、今日の歌は普通のじゃなくて……」
「知ってるし、動画でレッスンもいっぱいしたわ。今日は【道守り】歌いに行くんでしょ」
アルキオーネに早口で遮られ、アミエーラは口を噤んだ。平和の花束の四人がいつの間に呪歌の練習をしていたのか、全く気付かなかった。
ファーキルが目を丸くする。
「いいんですか? 魔法の歌ですよ?」
「あの【水晶】があれば、力なき民でも手伝えるって聞いたわ」
「じゃあ、エレクトラちゃんたちも?」
アイドルユニット「平和の花束」のリーダーが、二人に背を向けて歩き出す。
「他の三人は、まだ決心付かないみたいだから、今日は私だけ。それより、オラトリックス先生が待ってるから、急いで」
「う、うん」
アミエーラは小走りに後を追った。
アミトスチグマの難民キャンプは、広大な森林の一部を切り拓いて作られた。
用地と建材、燃料などは一度に確保できたが、魔物や魔獣、猪などの野生動物の被害は避けれられない。
それでも、ネモラリス共和国から逃れた難民にとっては、アーテル・ラニスタ連合軍の無人機による無差別絨緞爆撃や、キルクルス教原理主義を標榜する星の標による爆弾テロ、神政復古を掲げて武装蜂起したネミュス解放軍のクーデターの市街戦に晒されるより、遙かにマシだった。
少なくとも、寒さや野生動物なら、自分たちが頑張って丸木小屋や柵を建てれば防げるのだ。
アミトスチグマ政府が難民の受け容れを表明して以来、大勢の難民が専門家の指導を受けて工事を行い、毎日のように負傷者を出していた。
開戦から一年以上経った今は作業に慣れ、負傷者が減ってきたが、それでも一般の工事現場とは比べ物にならないくらい多い。
難民がとめどなく流入し、キャンプが日々拡大する為、普通の町や村のように防護の術を施した壁や塀を巡らせられず、魔物や魔獣の被害も続いていた。
☆パテンス市での新年コンサート用に拵えた衣裳……新年コンサート「813.新しい年の光」、衣裳の仕立てはサロートカ「804.歌う心の準備」、刺繍は後からアミエーラ「871.魔法の修行中」参照
☆仕立屋のクフシーンカ店長が持っていた聖典の内「星道記」にも、同じ刺繍……「554.信仰への疑問」「559.自治区の秘密」「582.命懸けの決意」「629.自治区の号外」「680.見てきたこと」参照
☆一昨日の夜、ラゾールニクさんから連絡……「901.外部との通信」参照
☆昨日の朝、フィアールカさんが救援物資持ってノージ市に【跳躍】……「912.運び屋の仕事」参照




