0095.仮橋をかける
アウェッラーナが、クルィーロの目を見て言う。
「結びの言葉は、『堅く平らかな橋となれ』でお願いします」
「わかりました」
二人で呼吸を合わせ、声を揃えて呪文を唱える。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、堅く平らかな橋となれ」
力ある言葉の命令に従い、濁った運河から水が起ち上がる。水に棲む魚、沈んだ車や瓦礫を置き去りにして宙に浮く。
マイクロバス一台分の水塊が、流れを離れて地面の高さに上がって来た。
アウェッラーナが、今度は一人で命じる。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、細く長く、堅く平らかな橋となれ」
水塊が、大人二人が並んで歩ける幅に広がりながら、対岸に伸びた。クルィーロは支えるだけで精一杯。湖の民が作り出した水の橋に意識を集中する。
「では、渡るぞ」
ソルニャーク隊長が、トタン板を抱えて橋に一歩、踏み出した。
水の板が体重を受け止め、波紋が広がる。後は一気に駆け抜けた。
抱えたトタンが風を受けて煽られたが、隊長は立ち止まらずに体勢を立て直し、対岸の車道に降り立つ。
誰からともなく、溜め息が漏れた。
「さ、ぐずぐずしてないで、次、行こう」
レノが言って、エランティスの手を引いて渡る。
エランティスは下を見て怖々、歩みを進めたが、急に顔を上げると、兄の手を引いて大急ぎで渡った。
二人が渡りきるのを見届け、ピナティフィダとアマナが続く。
少女たちが渡る間、メドヴェージとモーフが、トタン板を重ねて持ち直した。板の前後に並び、慎重に渡る。
……重い。
クルィーロの額に脂汗が滲む。無意識に歯を食いしばった。
「あ、あの、クルィーロさん、これ、どうぞ」
ロークが【水晶】を差し出す。
受け取った瞬間、掌が熱くなり、力が注がれた。
「ありがとう。早く向こう岸へ」
「はいッ!」
ロークは、水溜まりを行くように小走りで渡った。
残るは、術者のクルィーロとアウェッラーナだけだ。
「クルィーロさん、渡って下さい」
「アウェッラーナさんは?」
「私は大丈夫です」
遠慮してぐずぐずしても、それだけ魔力を浪費するだけだ。
クルィーロは湖の民に会釈し、仮橋の前に立った。
不純物を含まない水は透き通り、足下の運河がはっきり見える。
思った以上に薄い。だが、長い。
一人でいつまで支えられるのか。
クルィーロは橋に足を乗せ、大きく息を吸い込んだ。水の板が不安定に揺れる。息を止め、妹たちが渡った水の橋を一気に駆け抜ける。
最後の一歩で、大きく踏み切った。
跳躍した瞬間、橋が形を失う。
アスファルトに着地した直後、背後で大きな水音がした。
振り返ると、水の橋がなくなり、ジェリェーゾ区にアウェッラーナが一人、取り残された。
「アウェッラーナさんッ!」
「大丈夫です……【跳躍】します」
そう言って呼吸を整え、クルィーロの知らない呪文を朗々と唱えた。
向こう岸から、湖の民の薬師の姿が消える。
「お待たせしました」
少し離れた所から、少し息切れした声が聞こえた。
一斉に西を向く。
薬師アウェッラーナの無事な姿が、そこにあった。
ホッとして合流する。
「ローク君の家って、どの辺り?」
レノが聞くと、ロークは周囲を見回し、車道の先に目を凝らした。
道の両脇はジェリェーゾ区同様、見渡す限り瓦礫が続き、焼け折れて飴のように曲がった鉄柱が、車道を塞ぐ。
「……ここ、商店街か……じゃあ、もっと西です」
ロークは、家の方角に見当をつけて指差した。
みんなが荷物とトタン板を持ち直し、高校生の後について行く。
セリェブロー区は、ニェフリート運河と天然のニェフリート河に挟まれ、東西に細長い地区だ。民家や商店が犇めいて賑う筈だが、今は見る影もない。
ロークは、今居る道をそのまま北へ向かい、商店街のアーケードの残骸の手前で西へ曲がった。
四車線道路に生き物の姿はない。
誰も何も言わなかった。
 




