926.戻らない二人
留守番組が夕飯の片付けをしている所へ、葬儀屋アゴーニが一人で戻ってきた。少年兵モーフがトラックの荷台から飛び降り、公園の入口へ駆けて行く。
「なぁ、隊長とラジオのおっちゃんは?」
「ジャーニトルさんは、多分、まだレーチカの用事が済まねぇんだろ。それより先にメシ食わせてくれよ」
「何でだよ? 何で一緒じゃねぇんだよ? 隊長は?」
葬儀屋アゴーニは、纏わりつくモーフを片手であしらいながら、荷台に上がってきた。
クルィーロが【操水】での食器洗いを終えて出迎える。
「アゴーニさん、おかえりなさい」
「お疲れさまでした。レーチカの方、どうでした?」
父パドールリクが聞くと、湖の民の葬儀屋は膨らんだ袋を置いて苦笑した。
「まずは腹拵えさせて下さいよ」
老漁師アビエースと薬師アウェッラーナが、同族の葬儀屋に夕飯を用意する。
アビエースが、ステンレストレーにマジックで円を描いて【炉】を熾し、アルミホイルで包んだ魚を焼き始める。アウェッラーナは、スープの残りを【操水】で温め直し、銅のマグカップに注いだ。
「おっ、ありがとよ」
葬儀屋アゴーニは、早速スープを啜った。
少年兵モーフが、香ばしい匂いを漂わせ始めた魚を物欲しそうに見詰める。アビエースが干し魚の袋に手を伸ばした。
「癖ンなるから、甘やかさんでくれや」
「……だ、そうだ。坊や、明日の朝ごはんまで待っておくれ」
メドヴェージの声で、アビエースは手を引っ込めて、モーフにおどけた笑みを向ける。モーフは恨めしげな目でメドヴェージを見るだけで、何も言わなかった。
クルィーロは木箱に腰を降ろし、レノに借りた「水晶で使う鳩の術」を捲った。空き時間に数人で回し読みするから、まだ全部は読めていない。
アゴーニが夕飯を終え、ピナティフィダとアビエースがみんなのお茶を入れているところへ、国営放送のジョールチが帰ってきた。大きな紙袋に右肩が下がり、左手には【灯】を点したペンを持っている。
荷台の外はもう真っ暗だ。
クルィーロは、街にジョールチしか居ないような錯覚に陥り、首を振った。
「おっちゃん、おかえり!」
「ただいま。……アゴーニさんもお戻りでしたか。お疲れ様です」
「おう、お疲れさん」
ジョールチは荷台に目を走らせ、奥の係員室に目を凝らした。アゴーニが緑の頭を掻いて、バツが悪そうに言う。
「あの後、夏の都へはちゃんと行ったんだがよ、隊長さんも呪医もまだ戻ってなかったんだ」
「レーフも……まだなのですね?」
それには、みんながこくりと頷く。
ジョールチは眼鏡の奥に落胆の色を浮かべたが、明るい声で言った。
「向こうでいただいて来ましたから、結構ですよ。……モーシ綜合警備株式会社の方でも、かなり準備を進めてくれました」
重そうに持っていた紙袋を置いて、みんなの輪に加わる。中身は、鱗蜘蛛の退治費用を振込む口座番号と振込時の注意書きを印刷したものだ。
アゴーニも、持って帰った袋を開けた。
「夏の都で菓子もらったんだ。俺らは緑青飴、子供らにはクッキーだ」
アマナ、ピナティフィダ、エランティス、モーフにひとつずつ、クッキーの小袋が渡る。みんなが礼を言い、アマナは早速開けてクルィーロに二枚差し出した。
「いいのか?」
「みんなで食べた方がおいしいよ。お父さんも、はい」
「ありがとう。でも、父さんはおなかいっぱいだから、ひとつでいいよ」
父は一旦受取って一枚を袋に戻した。袋の中は三枚。元は六枚入りだ。
エランティスも、兄姉と二枚ずつ分け、ピナティフィダが大人たちに一枚ずつ配ろうとする。
「俺らはこれがあるし、君たちには上げられないから、いいぞ」
老漁師アビエースが緑青飴の小袋を振ってみせると、アウェッラーナとアゴーニも頷いた。湖の民にとっては健康維持に欠かせないが、クルィーロたち陸の民が口にすれば、中毒を起こして逆に命を縮めてしまう。
「私は向こうでいただきましたから」
「俺ぁ坊主にもらうからいいや。嬢ちゃんたち、兄姉妹の明日の分にしとけよ」
ジョールチも断り、メドヴェージがモーフに掌を差し出す。少年兵は図々しい手を叩いた。
「隊長が帰ってから開けるんだ」
少し明るさを取り戻していた荷台が、再び暗く沈む。
クルィーロは大きなクッキーでマグカップに蓋をして聞いた。
「ジョールチさん、警備会社の準備ってどのくらい進んだんですか?」
「オバーボクの支社から人を出して、被害状況の調査を行ったそうです。調査と並行して各村と交渉も行い、派遣する狩人の人選が決まりました」
ジョールチが、よくぞ聞いてくれたとばかりに報告すると、場の空気が少し持ち直した。
アウェッラーナが香草茶を一口飲んで聞く。
「狩人さん、何人来てくれることになったんですか?」
「一人です」
「えぇッ? 何でだよ? 自分らの村のコトじゃねぇのかよ」
少年兵モーフが拳を握る。
「その人はこの辺で一番腕のいい人で、鉄砲を使うから、他の人が一緒だと却ってよくないそうで、その狩人さん一人に決まったそうなんです」
ジョールチがみんなを見回す。
今、この場で銃を扱ったことがあるのは、星の道義勇軍のメドヴェージと少年兵モーフ、アクイロー基地襲撃作戦の為に訓練を受けたレノだけだ。もしかすると、父も、半世紀の内乱中に使ったことがあるかもしれないが、クルィーロは何となく怖くて確めたことがなかった。
レノが首を傾げる。
「えっ? それじゃあ、ジャーニトルさんも危ないんじゃないんですか?」
「それは直接、会って作戦を立てるそうですよ」
「どの途、カネが集まんなきゃ何もできねぇ。坊主、明日はビラ配りに行くぞ」
「俺も一緒に行くよ。店に置いてもらや、早く済む」
メドヴェージがモーフの肩を叩き、少年兵が渋々頷く。力なき民の二人だけで何かあるといけないと思ったのか、アゴーニも行ってくれる。
鱗蜘蛛のせいで、ヤーブラカ市から出られず、DJレーフとソルニャーク隊長が戻らないことには、市内でもトラックを移動できない。
今のクルィーロたちにできることは、二人の無事を祈ることと、魔獣退治に必要な情報を拡散することだけだった。
☆レノに借りた「水晶で使う鳩の術」……「641.地図を買いに」「688.社宅の暮らし」参照
☆オバーボクの支から人を出し……「877.本社との交渉」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦の為に訓練を受けたレノ……「367.廃墟の拠点で」「368.装備の仕分け」「388.銃火器の講習」参照




