925.薄汚れた教団
「シルヴァさんには、ついこの間、お断りしましたよ」
ロークが努めて冷静に聞くと、神学生ヂオリートは粘着質な笑いを引っ込めた。
「一度は仲間だったのに? まぁ、シルヴァさんにも無理強いはしないようにって言われたし、今はやめとくよ」
スキーヌムが、怯えた目で二人を交互に見る。
ロークは話題を変えた。
「それより、ヂオリート君は従姉さんを捜さなくていいんですか? それとも、シルヴァさんが捜すのを手伝う条件に俺の勧誘を?」
「ポーチカ姉さん……従姉を捜すのは別に交換条件じゃない。シルヴァさんは俺たちに魔法の宝石を貸してくれて、それで、責任を感じてるんだと思うよ」
ヂオリートは、世間話でもするような調子で言って、オムレツを口に入れる。とろりとした卵の中から、きのこと食べやすく切った野菜が覗いた。
夕飯時の獅子屋は席が全て埋まり、扉を細く開けて覗いた客が何組も、諦めて去る。あまりぐずぐずしていては、店と他の客に迷惑だと気付き、ロークもムニエルを食べ始めた。
スキーヌムが、付け合わせの温野菜を一口だけ食べてフォークを置いた。
「その宝石……まだ、ヂオリート君の手許にあるのですか?」
「いや、ポーチカ姉さんが持ってると思う。……気になるんだ?」
ロークの目に映るヂオリートは、優等生のスキーヌムが自分に怯えた目を向けるのを面白がっているように見えた。
少し食べ進めて聞いてみる。
「その宝石って【魔力の水晶】ですか? 呪文が刻んであって、魔力を蓄えるものなんですけど」
「水晶? いや? 赤い結晶で、何も加工されてなかった気がするけど。生温かいのに背筋がゾクゾクする冷たい気配があって、薄気味悪い宝石だった」
ヂオリートのぞんざいな口のきき方は、これが素なのか悪ぶっているのか、付き合いの浅いロークにはわからない。だが、信者の手本となるべき神学生的な話し方を捨てたことだけは、よくわかった。
ランテルナ島の拠点に居た頃は、ゲリラの誰かが死ねば、葬儀屋アゴーニが遺体を焼いて、灰と【魔道士の涙】に変えていた。
彼らの恨みを呑んだ【涙】は【慰撫囲】の術を掛けた袋に入れておかなければ、魔物を呼び寄せる危険な代物だった。
イヤな可能性が幾つも浮かび、鳥肌が立つ。
「宝石は、今、ポーチカさんが持ってるんですね?」
「多分……大司教の部屋に落として、警察が回収したかもしれないけど」
ロークが確認すると、ヂオリートは自信なさそうに言って、オムレツを食べ進めた。スキーヌムが訝る。
「ポーチカさんが大司教様のお部屋に持って行ったのですか?」
「聞きたい?」
ヂオリートの顔に再び魔物じみた笑いが浮かび、スキーヌムの怯えた顔を舐めるように眺めながら、話し始めた。
「俺、ホントは成績足りなかったんだ」
ルフス神学校初等部の入学試験は、不合格だった。
ヂオリートは勿論、父の落胆は本人以上で、食事も喉を通らない有り様だった。日に日に痩せて行く父に掛ける言葉がみつからず、勉強不足の罪悪感で消えてしまいたかった。
当時、存命だった祖父は、そんなヂオリートを笑って励ましてくれた。
「ヂオ坊、くよくよするな。過ぎたことだ。試験は中等部と高等部もあるんだ」
「もし、それもダメだったら?」
「今からそんな心配してどうするんだ。……まぁ、もし、頑張っても無理だったら、次はルフス大学の神学部を目指せばいい」
「そうよ。一回の失敗くらい別にいいじゃない。うんと頑張れば、その内なんとかなるものよ」
「ヂオはやればできる子だもの。三回も試験があるんだから、大丈夫よ」
母と従姉のポーチカも応援してくれた。
八歳上のポーチカは、ヂオリートが生まれる前年、両親を魔獣に奪われ、祖父の提案でピソーク家に引き取られた。ヂオリートにとって姉同然の存在で、毎日、学校の後でヂオリートに勉強を教えてくれた。
小学校の間は、期待と罪悪感に追い立てられ、家族の応援と従姉の協力に支えられて、遊ぶ間もなく勉強した。
その甲斐あって、ヂオリートは中等部からルフス神学校に入学できた。
聖職者クラスの中等部と高等部は、欠員補充がある年度のみ、入学試験が行われる。ヂオリートはその意味で、試験が受けられただけでも運がよかったのだと思った。
「……でも、そうじゃなかった」
ヂオリートは口許に笑みを貼り付かせたまま、涙を零した。嗚咽を上げるでもなく、ただ涙だけが流れ、目には何の表情もない。
「点数が少し足りなくて、補欠合格だった。後一人、誰か辞めれば入れる。喜べないけど、悲しんだら、また、父が傷付くと思って、何も言えなかった」
だが、合格発表の数日後、一人が「聖職者クラスで一番成績が悪く、向いてないようなので、家業を継ぐことになった」との理由で、自主退学した。
「カルタモ君のことですね。彼、今は一般の高校に通いながら、元気にお店のお手伝いをしていますよ。商売の才能があったみたいで、繁盛して……」
「おめでたいアタマしてんだな」
ヂオリートは、彼の罪悪感を拭おうとしたスキーヌムの微笑を鼻で嗤った。手の甲で涙を拭い、パンを乱暴に食い千切る。
「俺の父が、資金援助を条件に辞めさせたんだ。今でも自転車操業で、父が手を引けば潰れる。退学工作だけじゃない。ルフスの大司教に賄賂を贈って点数の水増しもさせてたんだ」
ヂオリートは一気に言葉を吐き出した。フォークを取り、殆ど減っていないスキーヌムの皿に手を付ける。神学校から逃げ出した元優等生は、メインのムニエルを攫われても何も言わなかった。
スキーヌムの分を食い散らかして満足したのか、異様にギラつく目で元優等生を見て聞く。
「大司教への賄賂はカネじゃない。何だと思う?」
スキーヌムは蒼白な唇を引き結び、ヂオリートから目を逸らす。
ロークは、とっくに予想が付いていたが、黙々と自分の分を食べ進めた。
「ポーチカ姉さんだ。去年の冬、姉さんが入院した。大司教の子を堕ろす為にな。それまでは、俺が帰省した時、家族はみんないつも通りで、何も言わなかった。俺一人、ずっと騙されてたんだ!」
給仕のおばさんが空いた皿を下げに来て、ロークに気遣わしげな視線を送る。
スキーヌムは、他人に食い散らかされてすっかり食欲を失ったらしく、香草茶をちびちび啜っていた。
「全部下げて下さい。それで、鎮花茶三人前追加で」
「はいよ」
おばさんの朗らかな笑顔で、ふっと胸が軽くなり、ロークは精神的な圧迫感を自覚した。
給仕が退がった途端、ヂオリートが捲し立てる。
「ポーチカ姉さんは俺が神学校に入った年、ルフス大学に就職して、職場の近所に引っ越した。平日は大学の事務員として働いて、休日にはボランティアとして、ルフス光跡教会に通ってるって……」
古く巨大で絶対的な権力を持つ組織には、ありがちな腐敗だ。
「でも、嘘だった。毎晩、大司教の寝室に呼び出されてたって、姉さんは……姉さんは、それでもまた、退院してすぐ大司教の言いなりに……姉さんの心はとっくに死んでたんだ! 俺のせいで!」
ヂオリートが卓に拳を叩きつけ、空のカップが跳ねて震えた。
大司教以外の聖職者たちも、多くがスネに傷を持つから、ポーチカ嬢が夜間に出入りするのを黙認していたのだろう。
スキーヌムが、微かに震えるカップを見詰める。
彼は成績こそよかったが、力ある民であると言う秘密と負い目を抱え、神学校の学長とアウグル司祭には、彼を亡き者にしようとする家族の手から守られて育った。
……キルクルス教団の暗部は、力ある民を神学校で匿ってることだけだと思ってたんだろうな。
「聖職者も、それになりたがる奴も! あいつら、ロクもんじゃないんだ! だから……」
「だから、ネモラリス憂撃隊に協力して、聖職者クラスのみんなを爆弾テロに遭わせて、ポーチカさんにゲリラの死霊が宿る【魔道士の涙】を渡して、大司教の部屋へ持って行かせたんですか?」
ロークが推測を口にすると、ヂオリートは顔を引き攣らせて黙った。左頬だけが釣り上がり、不自然な笑みの形になる。
給仕が来て熱い鎮花茶と空のカップを交換する。
周囲の客は、すっかり入れ替わっていた。
「ふ……ひひひっ、ロークさんにはそんなコトまでわかるんだ? へぇー。じゃあ、ポーチカ姉さんが今、どこに居るか、ホントは知ってて黙ってるんじゃないのか? なぁ、早く言えよッ!」
言いながら笑いが憤怒に変わり、スキーヌムが耳を塞いで頭を抱える。
ロークはカップを口許へ上げ、鎮花茶の甘い香りを一息分吸って、ヂオリートの方へ吹き送った。
「ただの推測だから、お茶を飲みながら聞いてもらえませんか?」
ロークは、ヂオリートがカップに口を付けるのを待って、説明を始めた。
「シルヴァさんが渡したのは、宝石じゃなくて【魔道士の涙】です」
「まどうしの、なみだ……?」
やや落ち着きを取り戻した声が、ぎこちなく問いを発する。
「魔法使いの遺体を火葬した後に残る魔力の結晶で、場合によっては本人の魂が宿ります。多分、ネモラリス憂撃隊でしょう」
「シルヴァさんが、仲間を焼いたってこと?」
「遺体を放置すると魔物が受肉して魔獣化しますから。……ニュースでは、大司教は密室で殺されて、魔法でも使わない限り犯行は不可能なのではないかとのことでした」
スキーヌムはカップを両手で包んで、深呼吸を繰り返している。
ロークは構わず説明を続けた。
「ゲリラの死霊が、ポーチカさんを乗っ取って大司教を殺し、【跳躍】の術で現場を離れた。行き先は多分、ネモラリス領の拠点か、アーテル領内の次の標的」
「次? 父かな? 俺かな?」
ヂオリートは嬉しそうだが、ロークは首を横に振った。
「他の聖職者か、ポデレス大統領か、アーテル軍の幹部辺りでしょう。いずれにせよ、俺たちの手が届かないところで、人殺しを続けます」
「そんな汚い奴らがどうなろうと知るもんか。ポーチカ姉さんの好きにさせてあげればいい。どこで会えるんだ?」
ヂオリートには半分以上、理解できなかったらしい。だが、ロークもこの方面に詳しいワケではなく、もどかしさが募った。
「ゲリラの死霊が雑妖や魔物を呼び寄せて、ポーチカさんの身体を取り込んで魔獣化するかもしれないんですよ?」
既にそうなった可能性もある。
ヂオリートの顔から血の気が引いた。
「そ、そんなの嘘だ! あれは、魔法の宝石で、姉さんに復讐の力をくれるモノだって……ポーチカ姉さんが、姉さんが……姉さん! 姉さんを助けてくれよ!」
ヂオリートが卓上に身を乗り出し、ロークの両肩を掴む。周囲の視線が集まったが、喧嘩ではないと見て取ると、すぐに興味を失った。
「今夜は宿で休んで、明日、そう言うの詳しい人に相談しに行こう」
ロークはヂオリートの手をそっと離し、鎮花茶の残りを啜った。
☆【慰撫囲】の術を掛けた袋……「512.後悔と罪悪感」参照
☆欠員補充/聖職者クラスで一番成績が悪く……「744.露骨な階層化」参照
☆力ある民であると言う秘密と負い目……「809.変質した信仰」参照
☆神学校の学長とアウグル司祭(中略)家族の手から守られて育った/力ある民を神学校で匿ってる……「810.魔女を焼く炎」参照
☆ニュースでは、大司教は密室で殺されて、魔法でも使わない限り犯行は不可能なのではないか……「908.生存した級友」参照




