923.人捜しの少年
ロークは今日も、対岸のイグニカーンス市へ情報収集に行った。
カフェで、先日のルフス神学校爆破事件の情報をノートに書き出しながら、周囲の噂話を盗み聞きする。
何軒ものカフェを転々として爆破事件をまとめ上げ、夕方のバスでランテルナ島のカルダフストヴォー市に戻った。夕飯の買出しや帰宅途中の勤め人が行き交う通りをすり抜け、地下街チェルノクニージニクに降りる階段へ急ぐ。
「上手く行ったみたいでよかったわ」
雑踏の中、聞き覚えのある声に足が止まった。
声がした方には、老婦人シルヴァにネモラリス憂撃隊への協力を求められた喫茶店があった。イヤなことを思い出し、歩きかけた足が重くなる。
「じゃあ、お婆さん、いとこの件、よろしくお願いします」
「任せてちょうだい。私は用事であちこち行って、色んな人に会うのよ。預かったお写真、みんなに見せて回るから、宿で待っててちょうだいね」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
何度も礼を繰り返す泣きそうな声も、気安く引受けた老婆の声も知っている。
ロークは思わず、顔を撫でた。まだ、【化粧】の首飾りは外していない。今は、誰も知る人のない気の強そうな若者の顔になっていた。
老婦人シルヴァが手を振って、私服姿の神学生ヂオリートと別れる。
ロークは、地図らしき紙を手に階段を降りる少年を追った。
……ヂオリート君は無事だったんだな。でも、何でこんなとこに?
ロークは、大きな鞄を肩に掛けた春物のコート姿を尾行しながら考えた。
スキーヌム同様、魔力があると気付いて神学校を出て、家にも帰れず、ランテルナ島に渡ったにしては、悲壮感がない。
スキーヌムは幼い頃に自身の魔力を知った上で、ルフス神学校に入学させられ、司祭と学長に受け容れられた結果、信仰にのめり込んだ。
もし、ヂオリートがつい最近、自分が何者であるか知り、司祭たちにも相談できず、身ひとつで出てきたなら、もっと不安や絶望を抱えている筈だ。
聖職者としての将来も、キルクルス教徒の家族や友人……これまでの人生の全てを一度に失った者にしては、彼の足取りは軽過ぎた。
それに、先程のシルヴァとの会話。
ヂオリートのいとこの写真をシルヴァに渡し、アーテル共和国外を含めて広範囲での捜索を依頼したように見える。
……何が「上手く行ったみたいでよかったわ」なんだ?
二人の様子は、以前からの知り合いに見えた。
武闘派ゲリラのネモラリス憂撃隊に所属して絶望に囚われた人々を死地に送る魔女と、ルフス神学校の聖職者コースに在籍するキルクルス教の信仰エリートが、どんな経緯で知り合いになったのかも気になる。
ヂオリートは、分かれ道に来る度に手許の紙で周囲の看板を確認し、地下街チェルノクニージニクの奥へしっかりとした歩調で進む。
ロークは、紙を覗こうと近付いた。無関係な通行人に割り込まれて避けた途端、あっという間に人波に流され、引き離されてしまった。
この辺りはよく知っている区画だが、あまり深追いして遅くなれば、呪符屋のゲンティウス店長が心配するだろう。
煉瓦敷きの通路には夕飯の美味そうな匂いが溢れ、混じり合って腹の虫を刺激する。昼をカフェの軽食で済ませたせいで、空腹はとっくに限界を越えていた。
向こうから、スキーヌムがやってきた。おつかいの帰りらしく、膨らんだ布袋を重そうに抱えている。
ロークは今日、店を変える度に【化粧】の首飾りを掛け直して顔を変えていた。スキーヌムがロークに気付く心配はないが、ヂオリートには気付くかもしれない。
……マズいな。
だが、話し掛ければ、声でロークだとわかってしまう。
看板を確認していたヂオリートが、通路の先を見て足を止めた。スキーヌムも気付いて同級生に駆け寄る。
「ヂオリート君! どうしてこんな所に?」
「スキーヌム君こそ! みんな心配してたんですよ」
「……僕を捜しに来たのですか?」
スキーヌムが荷物を抱え直して一歩退がると、ヂオリートは手にした紙をひらひら振った。
「いえ、個人的に用があって来たんです」
ポケットに手を入れ、手帳大のファイルを出した。
「いとこを捜してるんですけど、見かけませんでしたか?」
スキーヌムは、ファイルに寄せた頭を左右に振った。
「じゃあ、この宿屋さんはご存知ありませんか?」
紙を示されたスキーヌムが、これにも申し訳なさそうに首を振る。
……宿屋? いとこがみつかるまで、地下街に居座るってこと?
スキーヌムが余計なことを言わない内に先手を打たなければ、ルフス神学校やアーテルのキルクルス教団関係者に居所が漏れるかもしれない。
ロークはそっと離れて、看板の影で【化粧】の首飾りを外し、何食わぬ顔で声を掛けた。
「スキーヌム君、おつかいだったんですか?」
「あっ、ロークさん、おかえりなさい。店長さんに買出しを頼まれて、終わったところなんですけど、ヂオリート君に会って……」
スキーヌムが早口に事情を語ると、ヂオリートは驚いた顔で振り向いた。
「ロークさんまで……ずっとここに居たんですか? 二人とも行方不明だって、みんな心配してたんですよ」
ロークは応えず、スキーヌムに顔を向けた。
「立ち話もあれですし、先に頼まれ物を届けた方がいいですよ。店長さんに俺が戻ったことと、今日はもうアガって獅子屋で晩ごはん食べますって伝えて下さい。スキーヌム君はいつものでいいですね?」
決定事項として言い渡すと、案の定、スキーヌムは雰囲気に呑まれて了承した。ヂオリートに軽く会釈して人混みに紛れる。
「ヂオリート君こそ、ご無事でよかったです。晩ごはんは俺が奢りますから、食べながらゆっくり話しましょう。獅子屋さんって言う、美味しい定食屋さんがあるんですよ」
「えっ? いいんですか?」
「こんな時間まで居るの、今夜はこの街に泊まるからですよね?」
「えぇ、まぁ……」
ヂオリートは素直に認めたが、釈然としない顔だ。
ロークはそれ以上言わず、はぐれないように同級生の袖を掴んで歩きだした。
道々、自分の立場をどう誤魔化すか考える。
スキーヌムが来る前に説明できる短さで、万が一、彼が口を滑らせても矛盾が生じないように設定を練る。
ネモラリス憂撃隊の勧誘員シルヴァとの関係や、何故、人捜しを警察ではなく、ランテルナ自治区の者に頼んだのか、彼が帰宅せず、チェルノクニージニクに宿を取った理由などを無理なく聞き出す質問も組立てた。
☆ルフス神学校爆破事件……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」参照
☆老婦人シルヴァにネモラリス憂撃隊への協力を求められた喫茶店……「878.悪夢との再会」「879.深くて暗い溝」参照
☆スキーヌムは幼い頃に自身の魔力を知った……「809.変質した信仰」~「811.教団と星の標」参照




