920.自治区の和平
司祭が区長を助け起こし、彼専用のソファに座らせる。
クフシーンカも司祭に手を借り、三人掛けのソファの中央に腰を降ろした。司祭は区長に近い側に座り、呪医が反対側を埋める。
向かいには、ネミュス解放軍のウヌク・エルハイア将軍、将軍に腕を引かれたクリュークウァ支部長カピヨー、FMクレーヴェルのDJレーフが着座した。
区長がやや気を取り直し、呼んでもいない六人の客を睨め回す。しかし、湖の民の将軍が顔を向けると、彼は司祭に視線を逃がした。
「まずは、自己紹介からお願いします」
司祭が落ち着いた声で言い、区長と目を合わせる。
「私からですか? 司祭様、ご冗談を。魔法使いの前ですよ。名乗れるワケがないでしょう」
「真名の支配をご存知ですか。それでは、肩書きと愛称などで結構ですよ」
呪医が穏やかな声で逃げ場を塞ぐ。
注目を浴び、区長は渋々名乗った。
「では、肩書きだけ。私は、リストヴァー自治区の区長です。あなた方は人の家に押し入って、どう言うおつもりですか。司祭様と店長さんまで……」
「お二方には、この和平会議の立会いをお願いしたのだ」
将軍の言葉で区長は二人を睨みつけた。
「申し遅れましたな。儂の呼称はウヌク・エルハイア・ラキュス・ネーニア。半世紀の内乱まではラキュス・ラクリマリス共和国の正規軍を預かる将軍であった。未だに儂を将軍と呼ぶ者も居るが、とうに引退した身だ」
長命人種にとって、三十年の引退生活などないも同然なのだろう。初老の将軍は、壮年のカピヨーより遙かに強そうに見えた。
「ネミュス解放軍クリュークウァ支部長カピヨーだ。リストヴァー自治区に於ける星の標殲滅作戦を計画し、指揮官として兵を挙げた」
言い終えるなり、区長に向けた尊大な目から力が失われ、隣に坐す湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血に連なる将軍に向けられる。
「将軍、私ごときの浅慮で兵を動かしたこの独断専行、申し開きの言葉もございません。斯くなる上は、いかなる処分をも、甘んじて受ける所存であります」
「それはこの会議が終わってからだ」
カピヨーは右手を胸に当て、居心地悪そうに頭を垂れた。
将軍に視線で促され、陸の民の青年も名乗る。
「FMクレーヴェルのDJ、呼称はレーフです。俺も、立ち会って欲しいって頼まれて連れて来られました」
「ゼルノー市立中央市民病院、外科部の呪医です。昨年の開戦前までは、救急協定に基づき、自治区内で発生した重傷の労災事故の治療も行っておりました。作戦の噂を耳にし、まさかとは思いながらも、自治区の負傷者を治療する為に参りました」
区長が、湖の民の呪医に信じられないモノを見る目を向ける。
「リストヴァー自治区在住、星道の職人でございます。聖典の縫製分野を修め、仕立屋を営業しておりました。私もつい先程、この話し合いの立会いを頼まれたばかりですの」
「リストヴァー自治区の東教区を預かる司祭です。……将軍、この話し合いの目的はなんでしょう?」
二人も、区長に合わせて名乗らなかった。
天井裏に潜むどこかの間諜に聞かせる為に名乗ったようなものだ。
「諸君ら、星の標と停戦協定を結びたい」
区長が言葉を失い、口を半開きにして司祭を見た。発言者の将軍を見ようともしないのは諦め、司祭が促す。
「どのような条件でしょう?」
「星の標の武装解除、ネモラリス共和国全土でのテロ活動の停止、及び、自治区への政府軍の駐留。我々は現在、沿岸部で漏出した化学物質を除染しておる。条件を飲むなら、瓦礫の撤去も行おう」
「何を馬鹿な! 武器を取り上げられたのでは、我々力なき民は、魔獣に手も足も出ん! こんな山に近い土地で、化け物の餌になれと言うのか!」
「星の道義勇軍はどうされましたかな?」
激昂する区長に、将軍が落ち着いた声で問う。
唇を引き結ぶ区長に代わって、司祭が答えた。
「星の道義勇軍をご存知でしたか。しかし、彼らの大半は昨年の大火で命を落とし、装備も全て失われました」
「そうであったか。だが、その為の政府軍だ。彼が派遣を要請する」
いきなり話を振られ、DJが狼狽する。
「えっ、お、俺?」
「左様。君にしかできぬ重要な役割だ」
「な、何でですか?」
「FMクレーヴェルは未だ政府軍の占有下にある。放送局員殿がここで結ばれた協定を伝達すれば、政府軍は動かざるを得ん。その為に無理を押して連れて来たのだ。わかってくれるな?」
クフシーンカは、DJレーフの怯えた様子を見て考えた。
ペルシーク支部長のコンボイールが、何かの用事で首都クレーヴェルに行った。
DJが誰かと「ネミュス解放軍がリストヴァー自治区を攻撃するらしい」と噂話をしているところに出食わした。ウヌク・エルハイア将軍の許へ連れて行き、知っている限りのことを喋らせた。
身元がFMクレーヴェルの職員とわかり、そのままここへ連れてきた。
FMクレーヴェルは首都で唯一、政府側が押さえられた放送局だ。その職員は、人質としての価値がそれなりに高いだろう。
DJならば、声が身分証のようなものだ。場合によっては、ネミュス解放軍が占拠した他の放送局で喋らせてもいいだろう。
……実際、どうだかわからないけれど、こんなところかしらね?
断れる筈もなく、DJは、了承の言葉と共に手帳を取り出した。
まさか、対立するネミュス解放軍が、政府軍に直接、キルクルス教徒のリストヴァー自治区を守って欲しいなどと要請を出すワケにもゆくまい。
ウヌク・エルハイア将軍は、自分と目を合わせようともしない区長から、視線を外さずに話を続ける。
「魔哮砲は、旧王国時代に作られた魔法生物だ。当時は国内外の法の下、厳格な条件を守って開発され、違法なモノではなかった。しかし、予期せぬ力を持つことがわかり、厳重に封印したのだ」
「破壊しなかったのですか?」
DJレーフは熱心にメモを取り、司祭が当然の疑問を口にする。
「あれの暴走事故で研究者の大半が死に到った。その特性故に破壊できず、封印するだけで精一杯だった。爾来、七百年余り静かに眠っておったのだ」
「それが、何故、政府軍の手に渡ったのですか?」
「半世紀の内乱後、儂の後任としてネモラリス共和国軍の将軍職に就いたアル・ジャディが、与党の一部派閥の指示で、あれの封印を密かに解き、軍事利用の研究をさせておったのだ」
時が止まったような沈黙が場を支配した。
司祭が胸の前で聖印を切り、動揺を鎮めて問いを口にする。
「いつからご存知だったのですか? 何故、止めて下さらなかったのですか?」
「昨年、ラクリマリス王国軍の発表で知った。その後、独自に調べさせた。知っていれば無論、何としてでも阻止した。アル・ジャディは替え玉で査察団を欺き、現在も魔哮砲……兵器に転用した魔法生物“清めの闇”を使役しておる」
ウヌク・エルハイア将軍は、遠縁の親戚であるアル・ジャディ将軍の行いを苦々しく語った。
「今冬、アーテル本土の基地が相次いで破壊されたのも、あれの仕業だ」
クフシーンカが将軍をまじまじと見る。まさか、そんなことまで把握しているとは思わなかった。
「あれが魔法生物であるとの噂は、ラクリマリス軍の発表以前から囁かれ、主に湖の民が、政府に反発しておった」
アーテル・ラニスタ連合軍が一方的に宣戦布告し、ネモラリス領に突然、大規模な空襲を仕掛けた。
ネモラリス軍は魔哮砲で連合軍の編隊を迎撃するだけで、一向に敵地に攻撃を仕掛けず、フラクシヌス教徒の不満は日増しに高まっていただろう。
「野党を中心に一部の国会議員は魔哮砲の使用に反発し、政府軍の手によって議員宿舎に囚われた。彼らが命懸けで脱出して、事の真相を広めたからだ」
クフシーンカは、弟のラクエウス議員の手紙と同じ内容が、湖の民であるウヌク・エルハイア将軍の口から語られるのを複雑な思いで聞いた。
☆魔哮砲は、旧王国時代に作られた魔法生物/あれの暴走事故で研究者の大半が死に到った……「581.清めの闇の姿」参照
☆昨年、ラクリマリス王国軍の発表で知った……「580.王国側の報道」参照
☆替え玉で査察団を欺き……「248.継続か廃止か」「269.失われた拠点」「278.支援者の家へ」「284.現況確認の日」「411.情報戦の敗北」「457.問題点と影響」「601.解放軍の声明」参照
☆一部の国会議員は魔哮砲の使用に反発し(中略)議員宿舎に囚われた……「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」参照
☆彼らが命懸けで脱出……「深夜の脱出行」参照




