919.区長との対面
ウヌク・エルハイア将軍は、車輌と区長宅の中間地点で足を止めた。
将軍が小声で呪文を唱える。小瓶から大量の水が溢れ、マイクロバスと同じくらいの水塊が大蛇のように道を這った。門柱ごと門扉を叩き壊し、玄関先の黒い塊を呑んで天高く舞い上がる。
爆発は起きなかった。
庭の片隅に身を潜めた起爆係も、呆気に取られたのだろう。
水塊が近くの休耕地に移動し、中身を吐き出して区長宅に取って返す。玄関の前で直角に曲がり、塀の向こうに消えた。数秒後、塀の上に一人の男性を呑んだ水が姿を現し、将軍の許へ宙を舞って戻る。
ウヌク・エルハイア将軍は、路上に吐き出された男性を置いて、水塊と共に区長宅へ向かった。
星の標の兵は胸を掻き毟り、身体を二つ折りにして激しく咳込んで、立ち上がることもできない。
「生かしておくのではなかったの?」
「肺に水が入ったようですね。水を抜けば命に別条ありません」
呪医の声はあまりに冷静で、クフシーンカは兵が気の毒になってきた。
「でも、遅くなったら、溺れてしまうのではなくって?」
フロントガラスの向こうでは、水塊が立派な玄関扉を突き破っていた。どれ程の勢いをつければ、たった一撃でこんなことになるのか。
兵が咳込む度に水が出た。
男性たちが、銃と共に水流に呑まれ、生き物のように動く水の中で翻弄される。水塊は、先の一人と同じ場所に人間たちを吐き出した。
毟り取られた自動小銃とタクティカルベスト、ホルスター、剥き出しの手榴弾やナイフなどの武器が、意志を持つかのように流れる水の手で、休耕地に運ばれる。
後から来た十人も激しく咳込み、先頭座席の司祭が胸の前で聖印を描いて祈りを捧げた。
将軍が玄関前で片手を挙げる。
カピヨーが腰の袋から紐の束を取り出した。
呪文を唱える低い声に合わせて紐が解け、命を与えられたように動く。咳込む男の一人を捕え、足先から胸まで這い上がって巻き付いた。
呪医がマイクロバスを降り、何度も耳にした呪文を唱えて、紐が絡んだ兵の胸に触れる。彼の鼻と口からグラス一杯分ばかりの水が飛び出した。
咳が止み、涙目で呪医を見上げる兵の身に紐が更に食い込む。カピヨーは端を切り、別の兵を同様に捕縛した。縛られ、車道上に転がされた兵は全部で十人。それに区長宅の執事が加わって十一人だ。
ウヌク・エルハイア将軍は玄関前を動かない。
「みなさん、肺の水を抜きましたから、命に別条ありませんよ。紐は術で補強されています。あなた方の力ではどうにもなりませんので、じっとしていて下さい。話し合いが終われば」
「うるせぇ! 黙れッ! 虫ケラ扱いしやがって!」
兵の一人が吼え、呪医の声を遮った。
芋虫のようにのたうつ男にカピヨーが冷たく言い放つ。
「自治区内の星の標は全て捕縛済みだ。話し合いに応じる気がないなら、我らは引き揚げる。彼らも貴様らも、飢えて死ぬが……よいのだな?」
「何が話し合いだ!」
「悪しき者共と話すことなんざ何もねぇ!」
クフシーンカの知る者は執事一人だ。彼は歯を食いしばって屈辱に堪えていた。
「私と司祭様も話し合いに参加します。どうか、今は堪えて下さい」
運転手一人を残し、五人は扉がなくなった区長宅に上がった。
応接室の扉も外れ、代わりに水塊が塞ぐ。
区長が、窓辺の壁にへばりついて震える。
泥棒避けの鉄格子が仇になり、窓から逃げられない。
「司祭殿、お先にどうぞ」
ウヌク・エルハイア将軍が水塊を小瓶に戻し、呪医に返す。司祭は一礼して声を掛けた。
「区長さん、お怪我はありませんか?」
「し、しっ司祭様、店長さんッ!」
泣き笑いの顔で細い声を出す。リストヴァー自治区長と星の標リストヴァー支部長を兼任する男は、昨日とは別人のように小さく見えた。
……久し振りの実戦で、こうも一方的にやられたのではね。
半世紀の内乱は、魔法の届かない上空から大編隊を組んで面的に爆撃し、魔法で防ぎきれない威力の戦車を投入し、化学兵器まで使ったから、キルクルス教徒でも魔法使いに太刀打ちできたのだ。
「私と店長さん、それに市民病院の呪医と放送局員さんは、あなたとウヌク・エルハイア将軍との対話の立会いを依頼されました」
「たっ、た、たち……?」
歯の根も合わぬ区長は、見開いた眼を応接間に入った六人に巡らせた。
呪医が軽く会釈する。
「区長さん、初めまして。ゼルノー市立中央市民病院、外科部の呪医です」
金髪の放送局員が続いた。
「FMクレーヴェルのDJレーフです。あの、ホントに、俺なんかが立会いでいいんですか?」
「主神派の陸の民も居た方が、この国全体として平等であろう」
「えっ? でも、俺、そんな重要な役……」
ウヌク・エルハイア将軍は深く頷き、DJレーフの肩を軽く叩いた。
「君が知らせてくれなければ、ネミュス解放軍は、取り返しのつかない過ちを犯すところであった」
「あなたが?」
司祭とクフシーンカが目を瞠り、呪医もDJに驚いた顔を向ける。
DJレーフは、三人の目から逃れて横を向いたが、カピヨーと視線がぶつかり俯いた。自治区襲撃作戦を独断で強行した指揮官のカピヨーは、既に懲罰を受ける覚悟を固め、感情のない目で区長を見詰めて動かない。
「放送局員殿は、巷の噂でこの自治区襲撃作戦を知り、首都の戦闘を掻い潜って儂の許へ知らせに参った。フラクシヌス教徒でありながら、リストヴァー自治区を救う為、決死の覚悟で行動してくれたのだ」
「あ、いや、その、連れてってくれたのはペルシークの支部長さんで、俺は喋っただけなんで、えっと……」
DJレーフはしどろもどろに将軍の称賛を拒む。
「もし、その連絡先が政府軍ならば、解放軍、星の標、政府軍による三つ巴の戦いになるところであった。戦う力を持たぬ民の命が数多失われ、自治区は焦土と化したであろう」
区長たちも、タブレット端末を使い、インターネット経由でネミュス解放軍の動きを把握していた。
それどころか、この作戦自体が、ネミュス解放軍に「キルクルス教を信仰する力なき民を迫害した宗教弾圧者兼民族差別者」のレッテルを貼り、国連の武力介入を招じ入れる為に仕組まれたものだ。
ネミュス解放軍のクリュークウァ支部長カピヨーとヴィナグラート支部長のグレムーチニクは、まんまと踊らされた。
……この人は、どこまで調べ上げて将軍に伝えたのかしら?
クフシーンカは、FMクレーヴェルのDJレーフを見たが、金髪の陸の民は恐縮するばかりで、聞き出せそうもなかった。
☆リストヴァー自治区長と星の標リストヴァー支部長を兼任する男は、昨日……「893.動きだす作戦」参照
☆この作戦自体が(中略)仕組まれたもの……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照




