918.主戦場の被害
軽い目眩に似た浮遊感に続いて、風景が一変した。
見慣れた部屋だ。
「ここは?」
金髪の放送局員にクフシーンカが答える。
「私の家です。お茶をお出しする時間はございませんが……」
「あぁ、いえいえ、そんな」
奥の自宅は無事だったが、通りに面した店舗は爆発に巻き込まれ、瓦礫の山と化していた。火事にならなかっただけでもマシだと思う他ない。瓦礫の撤去を考えただけでも頭が痛くなった。
放送局員がトルソーに躓いて悲鳴を上げる。
呪医が、ミシンの残骸に視線を落とし、溜め息を吐いた。
「これではもう、お仕事は……」
「もう歳ですから、そろそろ店を畳もうと思っていたところなんですよ」
クフシーンカは、三十年の思い出を胸の底に押し込み、司祭の手を借りて通りに出た。
大方の予想通り、団地地区が主戦場になった。
手榴弾やロケット弾によるものか、強力な魔法によるものか。大通りに面した個人商店は軒並み破壊され、クフシーンカの仕立屋は、自宅部分が残っただけまだマシだと思い知らされた。
星の標の銃火器とネミュス解放軍の魔法。どちらの手によるものであろうと、店と家が破壊された結果には、何の違いもない。
瓦礫の向こうに見える一本向こうの通りは、四階建ての団地だ。
建物はどうにか原形を保っていたが、爆風で窓ガラスが割れ、一枚も残らなかった。室内の惨状は想像に難くない。
「カピヨー、ご婦人を負ぶってさしあげろ」
「はッ!」
ウヌク・エルハイア将軍に命じられ、リストヴァー自治区襲撃作戦の指揮官が、クフシーンカに背を向けてしゃがむ。振り向いた湖の民の目が、自治区の老女に懇願する。互いに気は進まないが、将軍の命令には逆らえない。
二人の心情を知ってか知らずか、初老のウヌク・エルハイア将軍は司祭を促し、随分先まで進んでいた。
「足下がよろしくありませんからな」
「それでは、すみませんね」
時間が惜しく、クフシーンカは、魔法戦士の背に身を預けた。
呪医と放送局員が二人の後に続き、将軍と司祭を追いかける。
塀や壁に無数の弾痕が穿たれ、どの建物も穴だらけだ。
街路樹が焼け落ち、強力な攻撃を受けた店は崩壊した。
人の気配のない団地地区は、これでもまだ、冬の大火で失われたバラック街よりもずっとマシだった。
数々の痕跡は、戦闘の激しさを物語るが、死体どころか血痕ひとつない。
……殺された子の遺体は焼いたと言っていたわね。
遺体から魔物が涌き、受肉して魔獣化する心配はなさそうだが、キルクルス教式の葬儀はできなくなってしまった。
近所の人たちは、無事に逃げられただろうか。星の標ではない団地地区の住民はどこへ逃れたのか。
見知った街並は、悉く破壊され、たった一日で見る影もない。
一歩、また一歩と不安が募る。
行政機関などが集まった街区に入った。
コンボイールの報告通り、放送局前にマイクロバスが一台停まっていた。周辺の建物が全半壊する中、国営放送リストヴァー支局だけは、殆ど無傷だ。
「あ、あの、ここの局員さん、どうなったんでしょう?」
金髪の放送局員が勇気を振り絞って質問した。
ウヌク・エルハイア将軍に目顔で促され、カピヨーが、運転席で待機する兵士から聞き取って報告する。
「無抵抗の者は逃げるに任せたそうです。現在は【一方通行】の術で立入制限を行っておりますが、いつでも放送可能です」
「後程、話し合いの結果をまとめ、放送させるとしよう」
六人が乗り込むと、湖の民の兵が、国営放送のロゴが描かれた車輌にエンジンを掛けた。天井やドアの内側に呪符が貼ってある。
カピヨーが、クフシーンカの視線に気付いた。
「防護の呪符だ。移動中に襲われてはひとたまりもないからな」
司祭とクフシーンカは無言で頷いた。呪文はわからないが、中央の呪印は礼拝堂の内壁にもある。
銀行の建物は無事だったが、工員とその家族の安否はわからない。
放送局前から農村地区の門へ到る道は、瓦礫が撤去され、不自然なまでにキレイだ。昨日は自動小銃を持った門番が居たが、今日は誰も居なかった。
道路の両脇に広がる畑は爆発に巻き込まれ、あちこちが深く抉れて無残な傷を晒す。
「本当に星の標を一人残らず捕えたんですか?」
「哨戒兵が居る。【索敵】の術を用いれば、どこに隠れていようと無駄だ。自治区は要所要所に【消魔の石盤】を設置してあるようだが、そんな物では蜂角鷹の眼は妨げられぬ」
クフシーンカは、カピヨーの答えに背筋が凍った。
呪医と将軍は黙して語らず、先頭座席の司祭は道案内以外の声を発さなかった。
伝令として解放された者以外、星の標は居ないのだ。
どこかに閉じ込められたと言う者たちも、話し合いが長引けば、飢えや乾きで死んでしまうだろう。
区長宅に残った者たちは、それでも解放軍に抵抗するだろうか。
……戦いにならないように、私たちで説得できるかしら?
区長宅に近付くにつれ、畑の穴は少なくなり、やがて昨日と同じ風景になった。
マイクロバスが、区長宅から少し離れた路上で停車する。運転手が何やら呪文を唱え、前方を注視した。
「玄関前に自動小銃三十丁余りと、弾丸カートリッジが詰まった木箱が置いてあります。銃の山の中に爆弾があり、起爆スイッチらしき物を持った男が庭の隅、茂みの中で待機しています」
「セプテントリオー、水を貸してくれんか?」
呪医は通路に手を伸ばし、ウヌク・エルハイア将軍に小瓶を手渡した。
「家の外はその一名のみ。周辺は無人です」
「内部はどうだ?」
「玄関の右側、三番目の応接間らしき部屋に背広の男性が二名、二人ともポケットに手榴弾をふたつずつ、ホルスターに拳銃を所持。その部屋の両側と向かいに自動小銃を持った男が三人ずつ。各人、タクティカルベストに六個ずつ手榴弾をつけています。それから……」
魔法で区長宅を覗く兵が言い澱み、将軍がフロントガラスの向こうに視線を投げて促す。
「何だ?」
「応接間の天井裏に若い男性が一名。複数の呪符を扇型に広げて持っています。武器は携帯していません。一番奥の寝室に少女が一名。こちらも武器は所持していません」
「捕えられているのか?」
「いえ、室内をうろうろ歩き回っています」
「なるべく、全員生かして話し合いたいものだな」
ウヌク・エルハイア将軍が、小瓶を手に席を立つ。
運転手が不安な顔を向けた。
「天井の人物も、ですか? 政府軍の間諜の可能性がありますが……」
「ならば却って好都合。会談の様子をアル・ジャディに知らせる手間が省けようと言うもの。泳がせておけ」
一緒に降りようとするカピヨーを手振りで留める。
「儂一人で行こう。お主は念の為、車を守れ。終われば合図する」
「はッ!」
カピヨーは、ウヌク・エルハイア将軍に続いて降り、運転席の前に立って見送った。




