917.教会を守る術
ウヌク・エルハイア将軍が、独断で兵を動かした支部長に命じる。
「カピヨー、【流星陣】を張れ。星の標を教会に入れるな」
ネミュス解放軍クリュークウァ支部長カピヨーは、待機命令に従わなかった言い訳をせず、魔法の【鎧】の胸に右手を当て、恭しく拝命した。
ベルトに提げた小袋から糸巻を取り出し、教会の門柱に括りつける。
「あの……一体、何を?」
歩きだしたカピヨーが足を止め、不安を発した司祭を振り返る。
「守りたい場所を銀の糸で囲んで一切の出入りを禁じる結界術の一種だ」
銀糸を繰り出しながら何やら唱え、塀に沿って歩みを再開した。ウヌク・エルハイア将軍が、魔術に疎い自治区民に説明を加える。
「この【流星陣】が完成すれば、蟻一匹出入りできなくなる。儂は【真水の壁】を建て、砲撃などから守ろう。よもや彼奴らは、戦車や爆撃機の類は持っておらぬであろうな?」
「え、えぇ、流石にそこまでは……」
司祭の答えに頷く。
「儂の魔力ならば、手で運べる大きさの銃火器では破れぬ。【流星陣】は彼奴らの武装解除後に解く」
どうやら、教会に閉じ込められるらしい。
断れる雰囲気はなく、また、その力もない。
信徒を人質に取られたも同然の司祭が、絶望的な顔で教会を振り返った。工員たちは礼拝堂の前に集まって、一様に不安な面持ちでこちらを見守る。
クフシーンカは自分を無理に納得させた。
……でも、どの途、戦闘が終わらないことには、どこへも行けないのよ。
カピヨーが一周し、糸巻から切った銀糸の端を最初の門柱に括りつけた。
ウヌク・エルハイア将軍が右腕を胸の高さに上げ、朗々と呪文を唱える。
星道の職人であるクフシーンカは、力ある言葉の文字なら少しわかるが、詠唱だけを聞いてもわからない。【真水の壁】とやらがどんな魔法なのか不安はあるが、呪医が止めないところを見ると、説明通りの術なのだろう。
将軍が腕を大きく上下に振り、結びの言葉を唱えた。
何も起こらなかったように見えるが、将軍は塀に沿って歩き、再び同じ呪文を唱える。副官グレムーチニクと三人の兵が隊列を離れ、将軍の警護につく。
将軍たちが角を曲がったところで、呪医が囁いた。
「出入りを禁じる【流星陣】は、普通の鋏で糸を切るだけで解除できます」
司祭とクフシーンカは兵たちに気取られぬよう、横目で呪医を窺った。
「閉じ込められたのではありませんから、そこは安心して下さい」
星の標に糸を切られたらと新たな懸念が持ち上がったが、将軍は外側から糸を切られないように魔法の【壁】を建てているのだと気付き、クフシーンカは門を見詰めた。
やはり何も見えない。
歩道に落ちるのは、門柱の短い影だけだ。
呪医はやや大きな声で言った。
「これは【真水の壁】で、今は肉眼では見えませんが、衝撃を受けると青く染まります。一定以上の衝撃を与えれば壊れますが、耐えられる衝撃や持続時間は、術者の魔力に依存します」
「具体的に、どの程度まで耐えられるのでしょう?」
司祭がみんなの不安を代弁する。
「本人が言った通り、戦車砲で何度も撃たれるか、【壁】のない空から爆撃でもされない限り、大丈夫です。将軍の魔力は、私が王国軍の軍医だった頃から衰えていませんね。流石に二百年以上経って、身体は老いていますが」
「しかし、ロケット弾などの飛翔体で【壁】の上を越えられた場合は……」
司祭は、星の標がどんな武器を隠し持っているか、クフシーンカよりずっと詳しいらしい。
「それは【流星陣】が食いとめます。真上……結界を張った彼も、そこそこ魔力が強いようで、かなり上まで守られていますし、万が一着弾しても、教会の建物にも護りが掛かっていますから、大丈夫ですよ」
呪医の落ち着いた声で、礼拝堂に入り切れなかった者たちが、僅かに緊張を解いた。
ウヌク・エルハイア将軍たちが、先に教会の門に戻った。コンボイールたちは、まだ、団地地区で停戦の伝達中だ。
将軍に請われ、司祭がリストヴァー自治区の大まかな地理を説明する。
湖の民の将軍は、複雑な顔で見回した。
「ここが、ほんの一年前までバラック街だったとはな」
真新しいアスファルトの道に沿って、プレハブの仮設住宅や新築のアパート、建設途中の集合住宅が整然と並び、歩道の車道側ではウバメガシの若木が若葉を茂らせる。
区長たちが決定した再開発の計画通り、大火から復興した東地区は他所他所しいまでに整えられた。
「学校は、どうなったのでしょう?」
司祭が、独断専行したカピヨーに声を掛けた。
自治区襲撃作戦の指揮官カピヨーは、礼拝堂前の工員にも届く声で答える。
「我らの目的は、国際テロ組織星の標の殲滅だ。子供を手に掛ける真似はせん」
「では、子供たちは無事なのですね?」
司祭の声に期待が籠もる。
「学校であると確認した後、我々は戦線を移した。だが、多数の住民が校舎に逃れるのを目にした。星の標も紛れ込んだが、深追いはしておらぬ」
「何故ですか?」
「そんなことをすれば、学校が戦場になる。魔法の攻撃は手加減できん。彼奴らは卑劣にも、我が方に爆弾を括りつけた子供を寄越しおった」
司祭が息を呑む。
呪医とクフシーンカは声もなく、カピヨーを見た。
将軍が眉間のしわを深くする。
「間に合わなかった……子供は死に、爆弾を外そうとした兵は負傷した」
カピヨーの感情を押し殺した声に場の空気が凍る。
司祭が震える声で葬送の祈りを唱えた。
「その子の遺体と怪我をした兵隊さんは、今……」
「遺体は火で清め、負傷者は拠点だ。星の標に撃たれた工員も、息がある者は同じ場所で保護しておる。……軍医殿、後程、治療をお願い致したく存じます」
カピヨーが、将軍に対するのと同じ恭しさで呪医に一礼する。ウヌク・エルハイア将軍の遠戚は、即答した。
「巻き込まれた自治区民は、必ず癒します。しかし、あなた方の仲間は、星の標との話し合いの後で考えさせて下さい」
ウヌク・エルハイア将軍は、言い返しかけたカピヨーを一瞥で黙らせた。
「セプテントリオーは、雲隠れしたシェラタン当主、クリペウス政権に与するアル・ジャディ、そして、この儂とも立場を異にする。誰の敵でもない代わりに、誰の味方にもならん」
兵たちの緑の目が、驚きに見開かれる。
「儂は、この中立を守ってもらいたい」
ペルシーク支部長コンボイールが、数十人の解放軍兵士を引き連れ、シーニー緑地の坂道を下ってきた。手前の道で何事か指示して部隊を移動させ、彼自身は教会の門へ駆け寄る。
いつの間にか銃声は止み、黒煙も消えていた。
「報告します」
「うむ」
「星の標の生存者は、伝令など一部を除いて【呪縄】を掛け、複数の建物に分散して【鍵】で閉じ込めました」
「武器は?」
「接収した武器、弾薬及び防具は、同様に捕虜とは別の建物で仮保管しております。ご命令いただければ、沿岸部などで破壊処理を行います」
ウヌク・エルハイア将軍は、即座に命令を下した。
「コンボイールは武器の処分、グレムーチニクはここを守れ。カピヨーは話し合いの場へ。司祭殿とご婦人は案内をお願いします」
「放送局前に接収したマイクロバスを待機させております」
「うむ。ご苦労。セプテントリオーと放送局員殿も、立会いを」
「や、やっぱ、俺も行くんですね?」
金髪の力ある民が、自分の鼻を指差す手は激しく震えていた。
将軍が深く頷く。
「共に行き、この地で何が起こったか、世界に伝えていただきたい」
「が、頑張ります」
「私が知っている場所まで【跳躍】しましょう」
呪医が手を繋ぎ、呪文を唱えた。
☆【流星陣】……「607.魔哮砲を包囲」、糸を切るだけで解除「609.膨らむ四眼狼」参照
☆【真水の壁】……「487.森の作戦会議」参照
☆歩道の車道側ではウバメガシの若木……「294.弱者救済事業」参照




