表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十三章 衝突

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

939/3509

916.解放軍の将軍

 市民病院の呪医が、マントから小瓶を取り出した。

 「まず、一人ずつ傷を洗います。その後、軽傷の方はこちらへ移動。命に別条ないので後でまとめて癒します。少し傷が深い方はそちらへ」

 「私が傷薬を塗ります」

 老いた尼僧と若い母親たちが、紙袋を()げて礼拝堂から出てきた。クフシーンカは尼僧の傍へ行く。

 「私も包帯を巻くお手伝いをしましょう」


 老人と女性、若い男性でも足が()かない者が多く、救援物資の整理は遅々として進まない。  


 呪医の説明が続く。

 「骨折や、銃弾が残っている方は、私が個別に癒します」

 呪医が何事か言うと、小さな瓶から大量の水が流れ出て宙を漂った。浴槽一杯分はあろうか。

 キルクルス教徒が呆然と見守る中、水塊は呪医の近くに居た工員を包んだ。軟らかな生き物のように動き、こびり付いた血液や微細なガラス片、機械油や化学物質などを作業服から引き剥がす。

 司祭が礼拝堂に声を掛け、ゴミ袋を持って来させた。


 ……あぁ、おむつと同じで、汚れを捨てるのね。


 持って来た男性が松葉杖を脇に挟み、ゴミ袋の口を広げて持った。クフシーンカの想像通り、一人の洗滌(せんでき)を終えた水が、袋に汚れを吐き出して沸き立つ。

 「あなたはそちらへ」

 負傷者は素直に従い、軽傷者の待機場所に腰を落ち着ける。傷を洗われた者たちが次々と振り分けられ、クフシーンカたちは治療に忙しくなった。

 呪医が長い呪文を唱え、腕が見慣れない部分で曲がった者をその場で癒す。



 段ボールの仕分けが終わった。

 「哺乳瓶と粉ミルク、離乳食は一箱ずつ集会室へ。残りは北側の倉庫へ運びましょう」

 司祭の指示で人々が動き、呪医は二つ目の【無尽袋】を開けた。缶詰、堅パン、ドライフルーツの段ボールが次々に飛び出す。

 そこそこ重傷だった者たちは、すぐ動けるようになり、物資の仕分けに加わった。


 物資を彼らに任せ、洗滌(せんでき)と治療を再開する。

 傷薬を塗られた者がすっかりよくなるのは、明日の今頃だろう。プランターの(へり)に腰掛け、包帯をさすりながら、申し訳なさそうに作業を見守る。

 広場が片付く(たび)に魔法の袋が開けられ、手伝いの者が増えていった。



 粗方片付け終え、呪医は、後回しにされた軽傷者十数名に向き直る。水が生き物のように動いて小瓶に収まった。

 「お待たせしました。これから呪歌で癒します」

 あの日のクブルム街道と同じで、呪医の目は疲れ切っていたが、マスクを外してひとつ大きく息を吸うと、朗々と歌い始めた。呪医の顎に貼り付いた(カビ)のような無精髭に息を呑む。だが、誰も何も言わなかった。


 団地地区からは、銃声だけでなく、爆発音も聞こえ、黒煙が幾筋も上がる。

 呪医の口から童歌(わらべうた)に似た暢気(のんき)な調子の歌が紡ぎ出される。歌詞は何と言っているか全くわからないが、その心地よい調べにいつまでも身を(ゆだ)ねていたくなった。



 北側から男性が二人、走ってきた。緑色の髪だ。

 負傷者も気付いたのか、数人が不安な面持(おもも)ちで呪医を見る。だが、魔法の歌が終わる前に声を掛けるのは(はばか)られた。


 ……解放軍? どうして?


 呪医は道路を背に歌い、腕章を巻いた二人に気付かない。ネミュス解放軍の兵は(きびす)を返して駆け戻った。

 地面に落ちる影がとても短い。


 北側から重い足音が近付いて来る。かなりの人数のようだが、ぴったり揃ってひとつに聞こえた。

 工員たちが、老人と女性の背を押し、礼拝堂へ促す。包帯姿の者たちは泣きそうな顔で腰を浮かした。


 教会の前に昨日の副官――ネミュス解放軍ヴィナグラート支部長グレムーチニクと名乗った湖の民が姿を現した。隣を歩く男性も旧王国時代の【鎧】姿だ。湖の民は整然と行軍し、歩道に整列して止まった。

 呪医も気付いたようだが、魔法の歌は途中で止められないらしい。


 「店長さんも早く」

 司祭が大扉の片側を閉め、小声で呼ぶ。尼僧と手伝いの女性が戸口で手招きした。クフシーンカはゆっくり首を横に振り、開け放たれた教会の門へ向かう。

 副官もクフシーンカを憶えていたようだ。

 「お婆さん、こんにちは。星の(しるべ)に襲われなかったようで、なによりだ」

 工員たちは解放軍から目を離さず、じりじり礼拝堂の方へ移動する。


 司祭が扉を閉め、小走りでクフシーンカに並んだ。

 居並ぶ緑髪の兵の後ろから、三人の男が進み出る。

 一人は初老の湖の民。髪は緑より白が多いが、立派な【鎧】を(まと)い、他を圧する貫禄がある。

 壮年の湖の民も【鎧】姿だが、初老の彼を見た後では、弱そうに見えた。

 三人目は金髪の若い男性。【鎧】と呼べる程ではないが、ズボンとジャケットに呪印などの刺繍が施されている。明らかに場違いで、居心地悪そうに周囲を窺っていた。



 歌い終えた呪医が、門前に並ぶ五十人余りの軍勢に向き直る。

 「久しいな、セプテントリオー。顔をもっとよく見せてくれぬか?」

 初老の男性は、懐かしげに目を細めた。大声ではないのにずっしりと腹に響く。


 クフシーンカは内乱中の記憶がまざまざと甦った。

 「ウヌク……エルハイア将軍」

 思わず漏らした呟きに、初老の男性が緑の目を丸くする。呪医が肩越しに振り向き、諦めたようにフードを取って将軍に向き直った。


 ……まさか、将軍自身が出てくるだなんて。


 身内では、呪医を人違いだと誤魔化しようがない。この進攻は、将軍の不動に痺れを切らした一部の暴走だと言った、ラゾールニクの情報は誤りだったのか。

 幾つもの不安が渦を巻き、クフシーンカは杖に身を預けて立っているのもやっとだ。


 「あなたが、この作戦の指揮官だったのですか。見損ないました」

 呪医が棘のある声で吐き捨てる。

 居並ぶ兵は表情を変えず、微動だにしなかった。

 力ある陸の民一人がオロオロと両者を見比べる。


 「ここを潰せばどうなるか、重々承知しておる。だから、動かなかった。だが、一部の兵を抑え切れなかったことは、儂の不徳の致すところ」

 ウヌク・エルハイア将軍は、包帯姿の工員たちに目を向け、呪医の治療を受けていた軽傷の工員たちに視線を移した。

 「無用の苦痛を与えてすまなかった」

 将軍は申し訳なさそうに詫びたが、当の工員たちは震えあがった。

 淋しげな微笑が、司祭に向けられる。



 ウヌク・エルハイア将軍は、表情を改めて言った。

 「今からこの無益な戦いを止めに行く。司祭殿と儂を知るあなた、道案内と話し合いの立会いをして下さらぬか? セプテントリオーも」

 「えっ? えぇッ? あのお婆ちゃんを、ドンパチやってるとこに連れて行くんですか?」

 力ある陸の民が声を裏返らせる。

 将軍は青年の無礼な物言いに頓着(とんちゃく)せず、笑って応じた。少なくとも、軍人やネミュス解放軍の指揮下にある者ではないらしい。

 「まさか。先にこのコンボイールを()って、戦いを止めさせてからだ。兵はここに残し、教会を守らせる」

 「しかし、それでは却ってここが戦いに……」

 「術で壁を建て、一発の銃弾も中には入れん」

 将軍は司祭の懸念を力強く打ち消した。


 壮年の男性が、直立不動の姿勢で命令を待つ。

 「コンボイール、兵に作戦の中止を言い渡し、先程の駐車場に退()かせよ。星の(しるべ)の兵は伝令を残して捕縛。このウヌク・エルハイアが、星の(しるべ)の指揮官と直々に話をしたいと申しておったと伝達せよ」

 「はッ!」

 コンボイールと呼ばれた壮年の男性が、軽快な足取りで団地地区へ走り、直属の部下らしき兵が一人だけついて行く。

 「自治区のお二方、立会いをお引き受け下さるなら、こちらへ……セプテントリオーも、儂らと異なる立場を変えぬなら、来てくれぬか?」

 「店長さんは、ご無理をなさいませんよう」

 司祭がしっかりとした足取りへ門へ向かった。 クフシーンカは歳のせいで思うに任せぬ足で追いかける。


 呪医は負傷者らを振り返ったが、何も言わず、二人に続いた。

☆あの日のクブルム街道……「556.治療を終えて」参照

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ